その方面に関心があることはおくびにも出さなかった

「○○が苦手」って物言いがあるじゃないですか。「なすびが苦手」とかじゃなくて、特定の人物が苦手とか、ある行為が苦手とか。そういう物の言い方って嫌いなんです。だって嫌いって言えばいいじゃん。
「○○が苦手」って言い方の裏には、嫌いとは言ってないという逃走経路を確保した意思が見え隠れしているし、苦手という言い方で同じように嫌いだと思っている人を募って賛同する人を確保出来てから嫌いだと宣言するという姑息な意図が見え隠れしているから嫌い。こういう言い方をする人間って嫌いということでさえ自分一人では主張できないんだよね。皆が好きだと言っていても俺は嫌いだ!と宣言する根性がないんですよ。常に孤立を恐れて群れを形成することばかり考えている。
確かに派閥の構成員の数というのはそれだけで力だけど、そればかり意識してちゃだめでしょう。俺一人であっても俺が信じている正義は貫くという意志はもっておかないとだめでしょう。そんな群れてお友達ごっこばっかりして誰かの顔色ばかり窺っていても自分なんてものはないのと一緒じゃんか。そんなのはだめだ。ちゃんと嫌いなものは嫌いと言えなきゃだめだ。勿論、社会であり世間であり人間関係なのだから余計な波風は立たせなくていいと思うけど、嫌いなものは嫌いって言ってもいいということは憶えておかないといけない。そういうのも自由の行使だから。
お友達と一緒じゃないと何かを嫌うことも出来ないのなら、そんな弱い自分を憎むべきだ。

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