裸芸は“低俗”? TBS『謝肉祭』BPO審議入りに異論

うろ覚えですが、
儒教的な教えに依れば裸になることは下品であるということだったはず。中国や韓国はその教訓が残っていて、日本人よりも裸になることに抵抗があるということを何かで読んだことがある。
裸になることを厭うのは人間の本能的なものでもあるけれど、そういう常識にまで落し込まれた倫理によって人々の間にそれを 律する気持ちがあるものだ。

祭りで裸になるのは、それが晴れの舞台であり、そのような常識、日常からの脱却だからでもある。
無法者が裸になって刺青を晒すのも一般人は裸になることを厭うという常識がある上で、その常識に囚われない気概の持ち主だということを主張して威嚇するものだ。

笑いというのは常識があるところに非常識を持ちこむことで笑いが起きる。落語には間抜けなキャラクターが登場するし、漫才師のボケと云う役割は非常識な人間を演じて、それをツッコミが常識から外れていることを示すことで笑いが起きる。だから裸でいるのは滑稽だという常識があるからこそ芸人はその様を演じ、それを笑いに変える。

裸芸が下品か否かと言われれば上品ではない。しかしそれはお笑いなのだ。強固な常識があればこそそれを笑うことができる。常識が揺らいでいる場では裸は笑いに転化しない。
裸芸が氾濫するのは良いことではないだろうが、多少あってもそれはお笑いなのだと見逃すことができるくらいの世の中であった方が健全だろう。常識のない人間や考えのない人間ほど芸人の真似事をして自分を面白可笑しい人間であるかのように演出するが、笑いの構造が分かっていないことによるものでしかない。

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