もしチームが滞留してると思ったら、分報に挑戦してみると良いよ

という記事を読んで、分報というチームコミュニケーションのやり方があることを知った。

これまた、やってみないと成果は実感できないので、少しだけ運用してみた。そこで気づいたまとめ。

振り返りの頻度が多くなる

日報だと1日1回の振り返りで終わってしまうが、分報だと気づいた時にすぐに気づきをチームの情報共有プラットフォームに投稿できる。

振り返りは、その日にやったタスクごと、何かに気づいたその時など、より小さい粒度で実施できる。

振り返りの回数が多くなると、それだけ早くKPTが回せることになる。気付きの数だけ、チームが前進する。

振り返りは重厚長大ではなく、サクッとカジュアルに

振り返りは面倒なものだ。仕事の失敗に向き合わないといけないし、それを文字に残すのは気が重い。

気づいたその場で振り返りができれば御の字だが、たいていは嫌なことから目を背けたくなりがち。振り返りの習慣化をチームに取り入れようとしても、定着しにくい理由はそこにあるのだと思う。

分報は、その面倒さというか、精神的なしんどさとは真逆のチームコミュニケーションだ。気づいたことをその場で投稿すればいいだけなので、本当に楽。この手軽さが担保されているのがよいところ。

チームのオンラインコミュニケーションの敷居を下げる

気づいたことを投稿するだけなので、本当に気が楽だ。そして、カジュアルな投稿だからこそ、特にチームに入ったばかりの人にとってのとっつきやすさは格別だと思う。

日報も、週報も、なんだか形式張っていて書くのがしんどい。でも週報なら、そんな気の重さは感じさせない。誰の目も気にすることなく書けてしまう。それが、チームにとっての気付きにつながることだってある。

リーダーは、すべての投稿に反応しなくてよい

メンバーの進捗を見る立場の人も、すべての分報に反応しなくてよい。分報は個人のつぶやき掲示版のようなものだから、基本は投稿しっぱなしの運用でOKだ。

ただ、そこからメンバーのタスクの進ちょくの危険信号を発見することができる。メンバーが困っていることが投稿されたら、そこはすぐに反応してあげればよい。分報だから、反応もカジュアルにできてしまうのだ。

この早さとカジュアルな対応が、チームの危機を事前察知させることにつながる。

分報はチームでやらないと意味がない

個人で分報をやってみたのだが、個人の運用だと分報の良さは生かされない。

分報に対するチームからの反応が、分報をよりよく機能させる。自分だけでやった分報は個人の振り返りにはよいのかもしれないが、やはりチームの第三者の知見が反応として返ってくるほうが、分報を生かせる。

分報は、チームを滞留させないコミュニケーション手法なのだと気づいた。