波除神社(東京 築地)にお参りしました

東京『築地』
そこには、「市場」があります。
「東京都中央卸売市場 築地市場」という、世界最大級の市場です。

築地市場は、東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場のひとつで、青果物も取り扱っていますが、水産物の流通量では世界一の、公設の卸売市場です。
卸売市場なので小売りはしていませんが、一般の人でも入場できる場所があります。
一定条件のもとマグロの”せり”を見学することもでき、食事ができる場内の飲食店もあります。

また、”場外”と呼ばれる「場外市場」には、生鮮食品を扱う店や飲食店が370余あり、一般の人でも気軽に立ち寄ることができます。
場外市場の奥まった所、場内に入る門のひとつ、海幸橋門の手前に、波除神社(なみよけ じんじゃ)は鎮座します。
築地は、江戸時代初めまでは海でした。
埋め立てて築いた土地ということから「築地」。
徳川家康が幕府を開く以前の江戸は海岸線が入り組んでおり、現在の日比谷辺りは「日比谷入江」と呼ばれる浅瀬で、築地のあたりは荒川(現 隅田川)の河口に位置しました。
江戸の地の利に最初に着目したのは、太田道灌です。
康正三年(1457年)、道灌は入り江に突き出た天然の要害「江の戸(江戸という地名の由来)」に城を設けます。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めが終わったあと、徳川家康は三河から関東に移封を命じられ、江戸に入ります。
そして台地の突端に城(江戸城)を築くとともに、城下の整備を進めます。
家康は港湾都市をめざし、東南方向へ埋め立てを進め、水路を設けるとともに陸地が拡がります。
参考:「国土交通省 関東地方整備局 東京港湾ホームページ」
ところが、今の築地あたりで、工事は困難を極めます。
堤防を築いて埋め立てを進めようとしても、何度も荒波に阻まれます。
ある時、光りを放って海の波間を漂うものが目に入ります。
何かと、皆が舟を出してみると、それは稲荷大神の立派な御神体でした。
人々は畏怖し、社殿を造ってお祀りします。
やがて海は穏やかになり、工事がはかどって、埋立てが叶ったそうです。
万治二年(1659年)のことで、将軍は四代家綱の時代です。
その霊験あらたかなことに、稲荷大神に 『波除』(なみよけ) の尊称を奉り、今に至るまで、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷さまとして崇敬を集めています。

なお、お祀りしている神さまの正式名称は、倉稲魂命(うがの みたま の みこと)です。
神社創建の由来に、波が立つのは、雲を従える龍、風を従える虎によるものとされ、それらを鎮めるのは獅子ということで、大きな獅子頭が二体あります。

江戸時代に、厄除け、災難除けに多くの参拝人があった象徴としての獅子頭で、江戸時代末に焼失したものを、平成二年に再興したそうです。

こちらは、学芸と福徳の神さま「市杵島姫命」(いちきしまひめ の みこと)をお祀りする弁財天社で、雌を表す頭の宝珠の中に市杵島姫命の御神像が納められているそうです。
境内には、築地市場に縁ある、次のような石碑も立ちます。


海産物を豊富に扱う築地市場に隣接することから、活魚、海老などを慰霊するとともに感謝の気持ちを表す塚が、各々の同業者組合により設けられています。

新鮮な水産物というと、鮨。
鮨には玉子焼きがつきもので、玉子焼きで有名な老舗店も複数あります。
多くの玉子を扱うことから、厚焼き玉子の業者による玉子塚もあります。


早朝、市場への出入りの際に、波除神社に手を合わせる市場関係者も多いそうです。
日々、人々の生命を紡ぐ水産物や農産物と向き合うなか、ことに活魚に接する人は、人間の生存にとって必要不可欠な、それら農水産物の命に対する感謝の気持ちと畏れ、そして、それらを扱う仕事をしていることへの感謝の気持ちが強いかと思われます。
そのような思いが、日々の生活の中に溶け込むとともに、塚の建立や年に一度の魚霊祭や各々の塚の祭りにつながっているかと推し量られます。
街の中の、規模はけっして大きくない神社ですが、そこに日本人の心、
そして日本の神社の一側面をみる思いです。
(2016年8月11日 参拝)
参考:
1. 波除神社のサイト
2. 波除神社の住所
東京都中央区築地 6−20−37
3. 電車
東京メトロ 日比谷線「築地」駅 徒歩7分
都営地下鉄 大江戸線「築地市場」駅 徒歩5分