それでもウェイターは歌っている

それでもウェイターは歌っている

イタリア人は働かない」と、軽い冗談のようにして繰り返され、立派なステレオタイプとして根付いてしまった言い草は、もはや覆しがたい。

それでも私は、イタリアに住んでいる者のちょっとした責任のようなものを感じながら、「イタリア人は働く」のだと、声を大にして、少なくともこれを読んでいる読者の方には知っておいてもらいたいと思う。

強いて、「イタリア人は働かない」と主張する方々に同調するなら、少なくともイタリア人は(いまだ多くの) 日本人に「ああ、あの人まさしく働いているなあ」と感じられるような働き方はしない、と言っておくべきだろう。

「イタリア人は働く」という最終的な結論に達する前に、まずは何故「イタリア人は働かない」と思われてしまっているのか、代表的な例で説明してみよう。

1) ウェイターが歌っている

2) 店員から売る気が感じられない

3) お釣りをちょろまかそうとしてくる

4) 店の昼休みが営業時間より長い

5) 休日祝日は必ず休む

6) バスが来ない

7) 人も来ない

8) 笑ってる

9) なんか楽しそう

10) ジローラモも楽しそう

などなど・・・・・・。

これらが根も葉もない話かというと、そうでもない。約10割は正確にイタリア人を言い表している。けれど、全て言葉通りの意味かと言えばそうではないし、果たしてそれらをもって「働いていない」と定義することが正しいのかと言うとそうでもない。

例えば、1) ウェイターが歌っているのは、給仕という職務をまっとうしていないからではなく、歌いたいからである。夥しい数の“給仕”の中で、数字の“1”になってしまうなどという従順さには見向きもせず(そんな可能性を知りもせず)、そのウェイターは仕事中でも彼自身であり続けているのだ。つまり、ウェイターが歌いたいからではなく、“歌いたい”という衝動を心に持ち続ける1人の人間が、たまたまウェイター(給仕)という職務を全うしているだけである。あんなに奇跡的に旨い料理を作る国民が、食事客の合間を踊り抜けながら歌いたくなるのは分かる気がしないでもないだろう。

次に、2) 店員から売る気が感じられないのは、たまたま不機嫌だという可能性もあるが、多くの場合において“いくら働いても稼ぎは同じ”という感情が態度に出てしまうからである。いわゆる“グローバルスタンダード”というやっかいな代物を保持しなくてはいけない高級ブランド店やレストンでは、店員が程よく心地よい距離を客であるあなたと保ってくれるのは説明するまでもないが、そうではない場合、先述の感情が視界を曇らせ、ホスピリティの必要性を見えなくしているのだ。これは先述の感情に由来するインセンティブの欠如からだけでなく、低賃金の横行(税金控除前の平均年収はイタリア約320万円、日本約415万円) にも根を伸ばす社会全体の重大な問題の1つである。読者の中には驚く方もいるかもしれないが、2つや3つの仕事を掛け持ちしている若いイタリア人は、決して珍しい例ではない。

3) お釣りをちょろまかそうとしてくるのは、ちょろまかしに成功した分ポケットに入る小銭が増えるという名人芸が流行しているからである。ここにも2) で話した低賃金の問題が顔を見せる。「お金を盗んではダメだ」という倫理は、経済的切迫度によってその敷居を下げる。

4) 店の昼休みが営業時間より長い、というのはもちろん冗談だが、昼休み中にお店を閉めることはいまだ一般的である。お昼も休まずに営業している店舗形態 に慣れ切っている人にとっては、不便極まりないと感じられるのかもしれないが、休みをきちんと取ることで人生と仕事にメリハリをつけているという見方が合理的だろうと思う。誰も活動していないので、結局あなたも休む。ただ、賢い仕事人が賢い頭を働かせすぎたせいか、昼も休まず開店している店も増えてきているのも事実。特に観光地ではその方がもっと良くお金が回るのだろうとは、容易に推測できることだろう。

5) 休日祝日は必ず休むのは、もちろんカトリックの習慣が深く根付いていると論じられるのも合理的だが、4) のお昼休みと同じように仕事と人生に良いメリハリをつけてきた(たい)人々の暗黙の了解なのだと思う。「おれも休むから、お前も休めよ」というような。しかし、これも容易に予測できることだが、休祝日の労働も、休まないお昼と同じ定めに従いつつあるようだ。

6) バスが来ない、と書いたが、実際のところバスは来る。待てば、(ボイコットされていなければ)そのうち来る。10分後に来なくても、1時間後には、(ボイコットされていなければ)たぶん来る。日本ではもう絶滅危惧種になってしまったこの”バスの待ち時間”は、バスが人に動かされていることを忘れてしまった人達の頭を冷やす役目を持つ。

7) 人も来ない、というのは真っ赤な嘘。やっぱり人は来る。驚くほど時間を守るイタリア人もいれば、約束の翌日には必ずやって来るイタリア人も多い。それは日本でもドイツでも同じ。前者の割合が日本でのそれに比べて多いような気がするのは分かるものの、私はどうかイタリアにこのままであってほしいと願っている。世界中が日本人やドイツ人だらけだったら嫌だもの。

8) 笑ってる、というのは本当。いつまでも本当であってほしいイタリアの真実。スマイルを”サービス”としか捉えていない人の笑顔とは違って、本物の、「眼と眼が合ったらそりゃ笑うよね」みたいな自然な笑顔で溢れている。バーでコーヒーを注文するたった数秒の瞬間でも、人は冗談を交わし合う隙がないかを探っている。あなたがイタリアを旅行して、愛想のないイタリア人にじろじろ見られたら、それは彼が仲間内で今夜披露するための冗談の種を、日本人のあなたから得ようとしているのかもしれない。

9) なんか楽しそう。だいたいみんな楽しそう。もちろん暗く落ち込んでしまっている人もいるけれど。留学で初めてイタリアを訪れた頃、ある日エリック・クラプトンのTシャツを着てフィレンツェを歩いたら、最低でも5人から「いいTシャツだね!」と言われたのはいい思い出。あのTシャツは確かにちょっとキッチュだったけど。

最後に、10) ジローラモも楽しそう、だよね? 最近あまり見ないけど。ちなみに、ジローラモは日本のイタリア代表ではあっても、イタリアではほぼ無名に近いので、ジローラモを話題にして友人を作ろうとすると苦笑いされる。ただ、イタリア語のウィキペディアはあるので、証拠として手元に用意しておくのはいい。

つまり、長くなってしまったが、何が言いたかったのかというと「イタリア人は働く」ということ。

けれど、万人に「ああ、あの人まさしく働いているなあ」という印象を与えるような“グローバルスタンダード”に沿っては働いていないということ。どちらかというと、「ああ、あの人まさしく生きてんなあ」という印象を与える”イタリアンスタンダード”に沿っているということ。

仕事をいくつも掛け持ちするのは案外一般的で、あわよくばお釣りをくすねたい人もいるし、約束に数日の誤差を許す人もいるし、バスはたぶん日が変わったら来るけれど、それでもウェイターは歌うということ。それでもなんか楽しそうに笑っているということ。それでも誰もジローラモを知らないということ。

そう、誰もジローラモを知らない。

イタリアに来て最大のカルチャーショックはこれだと思う。

そういう話。

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