ソクラテスなんてこわくない

こわいものは人それぞれです。
蜘蛛がこわい人もいれば、注射がこわい人もいて、まんじゅうがこわい人もいます。

このタイトルには、「ソクラテスなんてこわくない」とありますが、ソクラテスも往々にしてこわがられるものです。

ソクラテスといえば、古代ギリシャの哲学者で、もじゃもじゃヒゲの胸像で顔を知られています。石膏でみる限りは、好好爺です。

ソクラテスは、生と死、人間と世界にまつわる膨大な事柄を、哲学でもって紐解こうとした人です。つまり哲学者です。

けれど、不思議なのは、おそらく世界中のほとんどの人が”知っている”のに、存命中に”何を語ったか”を知っている人はほんの少しだという事実です。

大学に行った方は「国家」やなんかを読まされた記憶があるかもしれません。そうでなければ、倫理の授業が頭の片隅に残っていて、名前と略歴と少しばかりの箴言を覚えているほどでしょうか。

実際、ソクラテス(プラトン)なんて読まない人がほとんどなのです。

だいたいからして小難しい議論が多すぎて、道ばたで人に会うなり愛について小一時間話すなんて正気の沙汰じゃない。そもそも巻数おおすぎ。どこから読めばいいか分かんない。誰か漫画で解説お願い。

そんな感じでしょうか。

別にそれでも良いのです。

なぜなら、どんな本を読むか、読まないかはすごく個人的な意志決定の問題で、古典を読んでいないからといって恥入ることではありませんし、読んだからといって驕ることでもありません。

けれども、ちょっとこんなことを考えてみてください。

ソクラテスの生きたのは、ほんの70年ほどです。彼の哲学への熱意がゆえに、無い罪着せられ処刑されてしまいました。

その後、ソクラテスの熱心な弟子プラトンが、恩師の生き様と教えを文字として残すことを決意し、約3000年後を生きる私たちがその言葉を様々な翻訳を通して読んでいるのです。

人間が一生を終えて、その後の人々の記憶に残るということすらそもそも起こり難いことです。

それをこのソクラテスという古代ギリシャ人は、70年のたったひとつの命でもって、3000年の記憶を生み、数百億人の命に伝わり、しかもその記憶の糸が途切れることなど、とても想像できることではないのです。

死語も長く人々の記憶に残り、多くの人に尊敬されているという意味では、唯一張り合えるのはキリストぐらいでしょうか。シェイクスピアでもまだまだ若造というほどです。

生きているうちに何を学ぶかは各人の自由ですが、ソクラテスという知の巨人とその深い記憶のつながりを目の前にして、「おや、ここには何か知るべきことがあるな」と直感するのは、決して無駄なことではないと思うのです。

そして気が向いた時に、プラトンの書いたソクラテス知的冒険譚をひも解けば、気難しい”年寄り”哲学者ソクラテスではなく、機知に富んでお茶目な賢い友人ソクラテスに出会えるはずです。