リフォローするか否かはその方々がリアルを出しているかどうかと関係し、少なくとも私はFacebookやTwitterでその方のご職業や社会活動等が垣間見える状況である場合にだけ、リフォローさせて頂くことに決めている。
Mediumのロゴ一新.. にも関わらず
Didier Merah
28

リアルの差分

またの日の夢物語
動物たち
病人たち
囚人たち

セリーヌ、『またの日の夢物語』のエピグラフとして掲げられているこのことばが、わたしは好きです。

フォローする、しない。あるいはリムーブする、しない。の基準など、わたしはまったく決めておらず、考えなしの直感の気まぐれもいいとこなので、Didier Merahさんは、とても考えのしっかりしておられる方だな、すばらしいな、と思います。

あたりまえですが、そのしっかりした“考え”に、うんうんと共感するところもあれば、わたしとはちがうなーと感じるところもあります。あたりまえすぎますね。

共感はうれしいものですが、“ちがい”は刺激になります。わたしは差異を愛したい。

セリーヌのことばを思い出したのは、そしてこんなものを書きだしたのは、Didier Merahさんのおっしゃる、「リアル」「ご職業」「社会活動等」という単語に反応してしまって。

わたしは現在無職で、病気持ちで、「リアル」な「社会活動」もとくにしていません。ただ、生きています。それがわたしのリアルです。

ネットは「社会活動」をされている方の発信する場所でもありますが、いっぽうでわたしは、あぶれものや、落ちこぼれ、声なきものたちが、それでも縋れる、居場所をつくれる媒体でもあると思っています。

これは、単純に、“好みの問題”ですが、わたしにはそうした社会的な場をもたない、あるいは場があっても不安定な、弱々しい人々の声を偏愛してしまうところがあります。じぶんがそうだから、というのもあるのかな。

そもそも、「社会人」とそれ以外、というのは明確に線引きできるのか、という疑問もあります。擦られ尽くした言辞ですが、人生はいつ、なにが起こるかわからない。極端だけど、きょう事故に遭って、じぶんが「社会」なるものからこぼれ落ちてしまうかもしれない。

わたしが思う「社会」なるものは、もうちょっと広いです。動物も、病人も、囚人も、浮浪者も、この社会の立派な構成員だと思っています。生まれたての赤ん坊から、瀕死の老人まで、社会人です。そこには、それぞれのリアルがあります。

もちろん、このような認識は世間一般とはズレています。大いにズレまくっています。すみません。

社会的な肩書は、ひとを判断するためにはたいへん重要な要素だと思います。しかし、それだけでリアルなそのひとが測れるとは、わたしは思っていません。ひとは、そのひとが表現しているものです。

ほんのひとかけらの、くだらないつぶやきのなかにも、そのひとのすべてが表れているのだと思います。わたしはそうやって、ひとを見ています。すくなくとも、わたしのことばは、矛盾もまちがいも嘘も含めわたしのすべてです。

わたしは「視えない」ひとが好きです。得体の知れない。よくわからない。けれど、どこか惹かれる。なんなんだこのひとは!そういったものに圧倒されます。たとえそれが、仮面でも、嘘でもかまいやしません。

わからないもの、了解できないものに、惹かれる。これはおそらく、わたしの生来の性分です。詩人のヴィスワヴァ・シンボルスカが、ノーベル賞講演で語っていた「わたしは知らない」という小さな声。小さいながら、強力な翼を孕んだ、この声をたいせつに想って生きたい。そう感じています。

ちょっとしたことばに触発されてしまい、“わたしの思うこと”を単に記してみました。反論がしたいのでも議論がしたいのでもありません。感想文です。誤読しているところもあるかと思います。

Didier Merahさんの実直な文章、音楽の雰囲気も、とても好きです。応援していますね。得体の知れない奴から長々とレスポンスがきて、不快に思うところもあったかもしれません。失礼いたしました。ではでは。

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