series、clapについて雑感

しばらく放置気味だったmedium。

なんかアプリのアイコンが変わって、おしゃれ度が増したなー、いいなーと思い、それだけで、さいきんまたポチポチ更新を始めたのですが、機能も追加されていて、個人的には魅力が増したかなと思います。

日本のユーザーは相変わらず、すくないみたい。そこも個人的には魅力があるところです。ははは。あまりの読まれなさが最高です。statsの微動だにしない感じに快感をおぼえる変態です。

あたらしく追加されたのは主にふたつかな。seriesとclap。
まず惹かれたのがseriesです。

わたしがはじめて触れたseriesは、とある海外のユーザーさんのものだったのですが、ほんとうに感動しました。タップするたびに、わけのわからない画像やことばがどんどん出てくる。ブリコラージュのような、ひとつの作品になっていて、「わーおもしろいっ」と興奮し、すぐに「わたしもやりたいっ」と思いました。

どんなふうに使われることを見込みつくられたものなのか、しょうじきあんまりわかっていません。でも、正しいゆいいつの使い方などないと思うので、とりあえずじぶんなりに、やりたいようにやってみました。

パワーポイントみたいな説明に使うのも、生煮えのアイデアをメモするのも、小洒落た日記にするのも、テーマを決めて好きなようにことばや写真をコラージュしてみるのも、なんでもよいのだと思います。

わたしのseriesは、数年ぶんの読書メモから発掘したことばと写真を組み合わせてなんとなくつくったものです。丸裸のことばを、ごろっと置いておきたくて、出典はあえて記さなかったのですが……。あんまりよくないのかな。

好きなものを、好きなように並べ置くことが趣味なので、seriesはわたしの趣味と合致します。つくるのたのしい。

よくわからないけど、未確定なもの、あたらしい意味を含みつつあるようなものがわたしは大好きです。黎明の時間。

もうひとつ、clapです。

これには戸惑っています。なにに戸惑うのかというと、回数です。いいな、応援したいなとか、おもしろいなとか、いい刺激をもらったな、と思う記事には積極的にclapしていきたいのですが、1回じゃだめなような気もする。一丁締めかよ。

2,3回だと中途半端なような……。かといって、あんまり連打するのも、へんかな。じゃあ、とりあえず、5回しようか。みたいなところに、だいたい落ち着きます。おそらく、ほんきでもう、スタンディングオベーション級にすばらしい記事なら、なんら躊躇なく100回でも200回でもclapするのだと思います。

でもそんなに人生、感動的にできちゃいないので、5回がいいとこです。clapの回数は、性格が出るような気がします。わたしの過去記事やseriesに、豪快なclapがついていてとてもおどろきました。宵越しの銭は持たないような、豪快な方なのだと思いました(笑)。ありがとうございます。感謝しています。

数字が増えるのはうれしいですね。意味なく。クッキークリッカーっていうクッキーをクリックしてひたすら増やすだけのゲームがありましたが、わけもなくうれしかったもんなー、クッキー増えると。

わたしも、すこしでもすばらしいなーと思ったものについては、5回といわず、宵越しの銭は持たない勢いでclapしていけたら、と思います。

ただtextとclapの相性って、どうなんでしょう。本を読んでいて、拍手をしたくなること、わたしはありません。これはヤバイ!と思ったら即座に紙面から顔をあげ、宙空をみつめたり、あたまをぶんぶん振ったりします。

わたしはclapよりも、どちらかというとhead-bangingがしたいのです。お上品ですよね、拍手なんて。わたしの感動はそんなんじゃ表現できない。首がもげるまで、あたまを振り乱したい。ヘドバンボタンも併設して欲しいところです。

それに、「拍手」というのは、終わったもの、ちゃんとまとまって完結しているものに対してする、みたいな意識がわたしにはあります。

textというのは、どこまでも“あいだ”にあるものであって、特にSNSのようなWeb上のネットワークは、完結しえないところに特色があるのではないでしょうか。

わたしの偏愛するロシアの作家、セルゲイ・ドヴラートフは、こんなことばを遺しています。

何かをぼんやりと感じているときは、まだ書き始めるにはちょっと早いだろう。でも、すべてがはっきりしてしまったら、後は沈黙あるのみ。つまり文学にとっては、ちょうどいい瞬間というものはない。文学はいつでも間の悪いものなのだ。

きっと文学に限らず、textというのは間の悪い性質をもったものなのだと思う。全知全能の神はなにも言わない。すべて知っているから、お見通しだから、ことばを使用する必要などないのです。

ひとは、知らないから、書く。はっきりしない、けれど、“ぼんやり”以上には何かを感じる。わたしが書きたいと思うのは、そんな、“間の悪い”なんとも判じ得ないことについてだけです。

ことばは、完結しない。どこまでも見通しのきかない決まりの悪さを孕む。そうやってどこまでも拡がりつづけ、拡がった先で、知らないあいだに大海原を見渡せているときもあるだろう。

止まって拍手なんかしている場合じゃない。飛んでいこう。霧のなか、汚れた空をかいくぐり。行こうぜ、ピリオドの向こうへ。そう思うから、わたしは直感的に、textとclapの相性はあまりよくない、と思います。

でも、clapをもらえるとうれしいことは、うれしいです(笑)。statsは動いても動かなくても快感をおぼえる変態です。どちらにせようれしい!生きてるだけでうれしい!そんな感じ。

以上、さいきんのmediumについて思ったこと、でした。

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