[Uberが上場した今、日本第1号社員が振り返る] 1. ゴールドマン・サックスを退職しUberへ

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狭小・雑多な Uber Japan の初代オフィスで同僚に誕生日を祝って頂く私。なぜキティちゃんのケーキだったのかは未だに謎。

ゴールドマン・サックスから「良くわからない会社」へ

私が Uber に入社したのは2013年9月、社会人3年目のことでした。それまで私はゴールドマン・サックスのテクノロジー部で働いていて、当時の私の周りには、Uber を知る人は全くと言って良いほどいませんでした。はたから見れば、「超一流企業から、タクシー会社(?)なのかIT企業(?)なのかも良くわからない謎の会社への、意味不明な転職」に見えたと思いますし、実際にそのようなご意見を頂いたこともありました。

きっかけは Linkedin という SNS を通じたヘッドハントでした。ヘッドハントと言うと大げさに感じますが、外資系の会社で働いていると日常的にSNSやメール、手紙などでリクルーターやヘッドハンターからご連絡をいただきます。そのほとんどは同業他社等からのお誘いで、失礼ながら斜め読みだけしてスルーしてしまう事がほとんどなのですが、UBERのリクルーターから頂いたメッセージには何か光るものがあり、話を聞いてみたいと思いました。

理屈ではなく、純粋にワクワクした

Uber の募集要項には、「テクノロジーを使って、世界中の街を変えていく仕事」、「シムシティをやった事はありますか?同じようなことを、実世界でやる仕事です」、のような事が書いてあり、とてもワクワクしたのを覚えています。キャリア形成とか、スキル向上とか、そういう理屈からくる転職意欲ではなく、純粋に心から楽しそう、やってみたいと思えたのです。私は中学からプログラミングを初め、大学・大学院ではコンピューターサイエンスを学んでいました。また、昔から車や飛行機、鉄道等が乗り物が大好きでした。自分が大好きな「IT」と「乗り物」を組み合わせて、人々の移動を変えていく。これ以上興奮することは無いと思いました。

「来週、アジア太平洋の最高責任者が日本に行くから、その時会ってもらえるか」とリクルーターから連絡をもらい、会うことに。当時はまだ日本に Uber のオフィスは無く、渋谷のバーで飲みながらの会話となりました。会話の節々で「世界中の都市交通を変えていく」、「我々ならどんな困難でも乗り越えていく」といった意気込みが感じられました。後にわかる事なのですが、この前のめりの姿勢は当時の全Uber社員に共通している Uberness (Uber らしさ) とも言える特徴でした。私はそのような姿勢が大好きでしたし、今でも大好きです。

その後、採用プロセスに入り、最初に受けることとなったデータ分析のテスト。詳しくは書きませんが、当時は「データ」と「実世界の課題」を示されて、データを活用して課題への解決策を導き出すという open-ended な(1つの答えがない自由な)問題でした。これが本当に面白く、いかにUber においてデータ・ドリブンで意思決定を行っていくのかを身をもって体験できる機会でした。

アメリカ本国の社員や当時の日本法人の代表取締役の方との面接等を経て、第1号社員として入社することに。波乱万丈な4年半のスタートです。

次回予告

次回以降、以下のような事を振り返って書いていこうと思っています。

  • Uber Japan の初期メンバーと立ち上げ秘話
  • Uber に入って変わった「ワーク」と「ライフ」の考え方
  • Uber の急成長を支えたカルチャー、Uber の社員の特徴
  • Uber を退職した理由
  • Uber の上場で、気になる社員のお財布事情

[2019/05/18 追記] 次の記事を掲載しました!

「こんな話を聞きたい!」などありましたら、コメントか Twitter 等でご連絡いただければ幸いです。

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殿崎 俊太郎 Shuntaro Tonosaki

株式会社ライトマークスCEO。慶應首席卒業後、ゴールドマン・サックスを経てUber日本第1号社員に。現在はインキュベーターを目指し「ゼロイチCafe」運営。