徳大寺有恒さんが亡くなった。

嗚呼…。徳大寺さんの本を読み始めたのは小学生1年の時だったか。なんだか難しいこと書いてあるなぁと思いつつ面白くて毎年間違いだらけを買っていました。それから20年以上たってとあるアルファ特別仕様の発表会でお見かけし、恐る恐るお声をかけさせていただきました。

「初めまして、森と申します。徳大寺さんのおかげで、いや、徳大寺さんのせいで、人からアホと言われるほどのクルマ好きになってしまいました。握手させてください」

「そうですか…ではもっともっとクルマ好きになって下さいね」

Instagramより そのあと、不思議な縁があるものでソーシャルメディアで知り合った友人がかつて徳大寺さんとお仕事してたということで、ご自宅にお伺いすることがありました。

渋滞してて遅れるとベランダに立っててずっと待っててくれたようです。ヘミングウェイの小説に「大人の男同士が友人になるにはシガーがあればいい」とありました。徳大寺さんのシガー好きはつとに有名でしたからとっておきの一本を持って行きました。書斎にて煙にしてしまおうという算段。お渡しするとにっこり微笑んで「こういう良いものはもっと時間のあるときにゆっくりやりましょう」とお受け取りになりませんでした。一流の配慮であり美学だったのでしょう。『あの映画で出てきたあの年式のフォードはナ、オプションでオフホワイトとスカイブルーのツートンがあってそりゃオシャレなもんだった」など、凄まじい記憶力と知識教養の深淵に驚いたものです。

さらにそのあとお台場で行われたコンコースデレガンスでなぜかご一緒することに。麻のハットにブレザーで、コーディネート完璧。こんなおしゃれな方がいるのかと、まるでペブルビーチにいるかのような気分でした。一見地味なフォードモデルBの2ドアセダンをじっと見て「森くん、ボクはこれが一番素敵だと思うナ」とじっと見られてました。そこに目を止められなかった自分の見る目のなさを嘆いたものです。

ちょうど去年くらいから手放してしまってた著作を古本屋で買い戻して再読していたところです。30年、20年前の著作に書かれていることはもはや『よげんのしょ』です。たぶん当時、そんなことが“見えていた”のは徳大寺さんだけだったでしょう。当時読んでも「ふーん」くらいにしか思いませんでしたから。

クルマに単なる工業製品やスペックや移動手段でない、移動の自由や権利や楽しさや文化など様々な側面と深さがあることを教えてくれたのが徳大寺さんでした。そして、クルマからワタシはスタイルや様式や文化や、歴史や、階級やダンディズムや、デザインやら産業やら経済やらを学びました。多分それが今の自分を形作っていますし直接的間接的にそれが仕事にもなってます。そのきっかけは間違いなく徳大寺さんです。

亡くなった方を偶像化する趣味はありませんが、これで本当に「クルマの神様」になられてしまったのだなぁ…と思います。

「次来た時はゆっくりシガーをやりましょう」は果たせませんでした。残念です。

ありがとうございました。あちらでヘンリー・フォードさんやウィリアムズ・ライオンさんや小林章太郎さんとクルマ談義してて下さい。ご冥福をお祈りいたします。 ※2014年11月8日のFacebookポストより再掲

スティーブ・ジョブズの伝記を買いました。 全体として、あれだけの突貫作業(1カ月も発売を早めたとか)の時間のないなかで、装丁家、編集者、営業担当者、彼らの直属の役員といった方々が打ち合わせを重ねて意見を戦わせた結果なのだろうなぁ、みんなそれぞれ大変だったろうなぁ…というのが一番の感想です。

たしかに上巻のオレンジ(そういえばアップル創業時に「オレンジ」っていう後追い会社があったそうですね)、下巻のグリーン(なんとなく“アップルグリーン”に見えなくもない)ともに刺し色としてさほど効いているとも思えませんし、帯が入ると思いっきり普通のビジネス伝記っぽい感じになっていて、Appleユーザーとしては確かに納得がいくものではありません。が、さりとてソーシャルメディア上で話題になっているほど目くじらをたてていうほどではないとも思いました。 帯を外せば、だいぶ雰囲気かわりますし;-)

むしろ帯やオレンジの刺し色よりも個人的には裏表紙の写真の使い方の方が気になります。

あぐらをかいたJobsの裁ち落とし(一面に写真を引くこと)が日本語版では切り抜きで中央に配されています。バーコードなどのレギュレーションもありますが、切り抜きになっていることもあいまって、なにかちんまい感じ。本として小粒になっていることは否めないでしょう。“Appleファンとして”率直に言えば「確かに残念」であります。 大前提としてワタシ自身は、Jobsを尊敬する生粋のAppleユーザーです。JobsがAppleを追い出されたあとのアメリオ体制のどん底にあるときから途中強制的に2年ほどWindowsを使わされた時をのぞいて今までずっとアップルを使ってきました。初めての仕事で貰ったギャラを全部突っ込んで買ったPowerBook190Cs(世紀の大駄作といわれたPowerBook5300のノンPowerPC版という情けないモデル)が初めてのApple製品といえばおわかりかと。以来、ずっとApple製品とともに雑誌編集の仕事をしてきました(詳しくはLinkedInで)。このブログのタイトルだってまんまです ;-) さて、ここで考えたのは、もうちょっと別の側面です。 ワタシたちのようなJobsファン、Appleファンは、結局どんな装丁だろうと間違いなく買うでしょう。むしろこの本の売り先は、the Rest of usもとい、それほどJobsやAppleのことを知らない人たちのはず。 彼らには、英語版そのまんまの装丁では、きっと売れません。なぜならその人たちは“Jobs的なるもの、Apple的なるもの”をまだ知らず、ゆえにJobs的表紙は響かないからです。 Jobsファンとして、Appleファンとしてワタシたちがこの本を一番読んで欲しいのは、そういう人たちではないでしょうか? そして、版元の講談社もそういう人たちをターゲットにしているはずです。なぜならこれはビジネスだから。最初からワタシたちのような純粋Jobsファン、Appleファンはベースラインとして織り込み済みです。 「Appleのことを例に出すと社内で叩かれる」なんていう会社がいくつもある日本です。ワタシは、そういう風潮の会社にいるような、Jobsのことを最近知った人にこそこの本を読んでもらいたい。まだ実は読んでないけれど、この本にはきっとその何かがある。 そう考えれば、表紙がJobs的でないということは、ささいなことに思えます。いや、むしろ帯があって良かったとさえ思う(ついでにいうと帯の下になにもないのは装丁家のせめてもの矜持かと)。これを機会に、より多くの日本人に読んでもらい、そこから何かを学んでくれれば、日本や日本の企業も変わるかもしれない。少なくとも変わるきっかけにはなるかもしれない。 この本をもっと多くの人に読んでもらって、ワタシたちJobsファン、Appleファンが感じているような、“よりよい何か”を、日本のいろいろな人に知ってもらうことの方が、より上のレイヤーでJobs的なのではないでしょうか。 なんてったって「世界をより良く変化させていくこと」が彼の人生そのものだったのですから。


Originally published at torumori.blogspot.jp on July 14, 2015.