梅棹忠夫「知的生産の技術」/ 4 きりぬきと規格化

知的生産の現場は10年単位でものを考えているのに、それを支えるべき市販事務用品メーカーは、マーケットの都合を優先して応えようとしないのだと言っている。

市販品のもう一つの欠点は、おなじものがそろわないことだ。文房具類のメーカーは、自分のほうのつごうで、かってに製品を変える。二、三年もすれば、まえのとおなじものがなくなってしまうのだ。(中略)企業というものは、一年二年の短期の生産計画でうごくものかもしれないが、われわれ知的生産業のほうは、一〇年あるいはそれ以上の期間をかんがえてうごかなければならないのである。

そして、市販品はかえって不経済なのだ、と。

市販品をさけて注文でつくらせるというのは、そこで趣味を充足させようというのではなく、むしろ一種の合理主義からであった。市販品はかえって規格の維持がむつかしいうえ、不経済だからである。

1960年代に書かれたものだから、60年後になろうとしている現代の市販製品には当てはまらないかもしれない。むしろ、様々な規格が売られていて知的生産のための「規格」を定めにくい状況であるようにも思える。

むしろ、梅棹さんのこの指摘は、知的生産のために用いる「規格」は一度はじめたら容易に変えてはならないという教えとして汲み取るべきではないだろうか。

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