新卒海外就職は善なのか? ASEANで働いてみて考えたことを徒然なるままに

Toshiya Isobe
9 min readAug 27, 2016

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友達がFacebookシェアしていた記事を読みました。

「新卒で海外で働きたい人にどうやって機会を作るか」

ぼくは直接関わりがありませんが、タイでビジネスをされていて、弊メディアアセナビでもインタビューをさせていただいた方のブログでした。

(参照) 35歳・子持ち起業! アジア発の人事コンサルをタイ人とともに創りだす Asian Identity 中村勝裕氏

「どうしても行きたいのに行けない」のはややもったいなく、「行きたいと思うなら行けばいいよ」といえるような、適切な選択肢のある社会が望ましいなぁと思っています。

この1年で考えていたことが集約されすぎていてビビりました。

自分も意見は同じなのですが、自分の体験ベースで、自分の言葉で意見を述べてみようと思います。

「新卒でASEAN就職」は善か?

1年前に持っていた課題感は、「海外で働くということが普通になっている今、どうして新卒で海外就職するという選択肢が広く知れ渡っていないんだろう?」という、就活を前に控えた海外志向の学生ならではの考えでした。

その課題感を基に、「新卒海外特集」と銘打って、新卒海外就職をしたいと話す方と協力しながらアセナビとして初めての特集を組んで発信をしました(その方は無事に新卒で海外に就職されました)。20記事ほどを発信し、結果として毎週のようにお問い合わせをいただくほどたくさんの方には読んでもらえ、「新卒 海外」と調べたらトップに来るほどになりました。

この扉記事はもとくらさんのオマージュです

【新卒海外就職特集】新卒で”ASEANで働く“方々のインタビュー特集、はじめます。

この特集の企画・編集を通して多くの方の「新卒海外就職」に対する想いに触れました。ぼくが行き着いたのは、「目的があって本当に行きたいのであれば行けばいい」という考えです。

日本でうまくやってはいるけれど、自分の力を世界で試してみたい、実は行きたいけれど情報や機会に巡りあえず不幸になってしまっている、そんな方々は多分一定数いるので、そういう人に対して「新卒で海外で働くという選択肢って、無くはないんだよ」っていうのを伝えていきたいとは思っています。

ただ、「海外生活に憧れる」「英語を使えるようになりたい」「ボンビーガールで流れてたような生活がしたい」みたいな気持ちだけの人には、一度ストップをかけたいと思います。

その理由は、「行くな!」ではなく、「憧れだけじゃ難しいという現実をつきつけられた上で、それでも行きたいと思うか」を試したいと思うからです。それでも行ってしまう人は、現地に行ってももいろいろありながら道を切り開いていけるだろうし、現地に対してのプラスとなる人なんだろうなあと思います。仮にその選択がミスだったとしても、次の道を見出していくはずです。反対にそうじゃない人は、現地の人を見下したりとか、困窮邦人コースを歩んだりとか、結局消耗してしまい、間違った選択をしたというネガティブイメージを持つパターンが多いのかなあという印象です(事実、物事はグラデーション的なので一概にはいえませんが、あえて極端な例を出しています)。

だから、ちゃんと考えてもらいたいなあと思います。

なのでもう一度まとめると、「新卒海外就職に善悪などなく、その人の強い目的意識と熱意次第」に集約されるかなあと。

そんなことを、アセナビで企画・編集した「新卒海外就職」を通して、また新卒という過渡期に差し掛かる前にインターンという立場で、ベトナム・フィリピンで働いてみて思ったことでした。学生のくせに超超生意気ですが、これが自分の意見です。

海外で働いてみて、どうだったか

ぼく自身、ベトナムの首都・ハノイと、フィリピンのセブ島という2拠点で、合計半年ほどインターンをさせていただいています。

ベトナムに行った理由は、当時運営をしていた広報ブログで書いていました。

フランジアで半年間のインターンをはじめた3つの理由。

読み返すと、何もないくせに生意気なことをつらつらと書いています。社長のことを「彼」呼ばわりしているし、人に対しての尊敬の念だったり、自分の身の丈だったり、何にもわかっていない人間の文章だなあと、今振り返ったら思います(笑)まあこれはこれなので、このまま残しておきます。

ハノイと言えばココな気がする

そして、待ちに待ったベトナムのインターン生活では、見事にボコボコにされました(笑)自己肯定感低く生きてきたと思っていたのですが、実はプライドや虚栄心の塊だったことが働く中で顕著に現れて、もうそれは、本当に人生が嫌になるくらい精神的に追いつめられてしました。当時は、自分の周りにいる全員が敵に見えました。先輩と目を合わせるのが怖くて、体調不良と偽ってずっと寝てたこともあります。「終わりなき旅で感動して泣く」みたいな話してましたが、まあそういうことです。

その時は、誰かに気づかれようと英語のポエムをFacebookに投稿してみたり、心の拠り所として彼女を作ってみたり(半分冗談、半分本音です)、自分なりに必死でした。とにかくChatworkを開くのがいやでいやで、楽しいはずの雲南省への一人旅も、常に仕事のことがつきまとい、気が気ではありませんでした。

それでも、Framgiaは偉大です。そんな自分にも、容赦なくバッシングをいれてくれるんです。普通、インターン生に対してそこまで面倒見てくれるところなんてないですよね?いや、当時は「マジふざけんなよ」という気持ちが大きかったのは今だから言えることですが(笑)、今だからこそ、その時に言われていたことが胸に響くんです(もちろん、たくさんケアもしていただきました。その節は、本当にお世話になりました)。

そして、8月までいさせていただくインターン期間も、諸事情あって6月末で終わることになりました。

その時の感情は誰にも打ち明けたことなかったのですが、たぶんここまで読んでくださっている方は、ぼくの心中を察してくださっているはずです。

「ほっとした」、これに尽きます(関係者の方ほんとすいません)。

ようやく、悪夢のような日々から抜け出せる、ようやく怒られずに済む、そう思って「休学期間もあと2, 3ヶ月あるし、どこか旅しようかな」と、すぐにエアアジアとジェットスターのアプリを起動したのは言うまでもありません。

でも、その後にふと考える機会がありました。「おれ、このままいったら、一生このままだな」って。社員のみなさんに迷惑だけかけて、Framgiaという会社に何も残さずに、のこのこと帰っていく姿を想像したときに、その先の人生がなんだかとてもつまらなくなる気がしたんです。

ベトナムインターンの終わる間際、先輩たちからフェアウェルパーティーを開いていただいて、二次会が終わった後に社長とタクシーの中で話す機会がありました。お互い酔っ払っていたのですが、はっきり覚えている一言があります。

「いそべっちは、このままいったら年収600万だな」

そこでぼくは、「あ、確かになあ」と思いました。

その感情が湧き上がった後に感じたのは、年収600万円という、日本社会において中の中〜中の上くらいの、社会の歯車としてふわっと生きていく未来を、自分自身で認めてしまっていることへの悔しさでした。そこで、「いや、おれはそんなんじゃ終わんねえよ。何か大きなことをしてやるんだ」という反論が出なかったことは、言うまでもありません。

でもその次の日とかも考えて考え抜いた結果、もうちょっと頑張りたいと思いました。何でもいいから、死ぬ気でがんばりたい。ゼロからなんでも挑戦し、自分に自身を付けたい。そして、凡人から抜け出したい。

そこで、人事側として募集の運用をしていた「フィリピンでのインターン」への可能性を見出します。そこでだったら、死ぬ気で頑張れる環境があるかもしれない、自分が変わるきっかけになるかもしれない。そんなことを考えて、フィリピンオフィスのDivision Managerに連絡をしました。

もはや、その時にどんな話をしたかは覚えていませんが、自分なりに必死でした。そして、結果としてフィリピンでのインターンに行かせていただくことになりました。

と、海外で働いて思ったことを簡単にお伝えしようと思ったのですが、ここまで書いてみて想像以上にいろいろこみ上げてきて手が止まらなくなったので、フィリピン編は別の記事で書こうと思います。

次に書きたいのは、フィリピンに行ってすぐ挫折したこと、人生に思い悩んだこと、仕事にやりがいを見出していったこと、そしてその先へ、みたいな構成になると思います。

こんな記事を公開していいかわかりませんが、とりあえずPublishしてみます。

*追記1 過去の自分をまるで別人かのようにDisっていますが、まぎれもなく延長線上であることは理解しています。故に、いまでもなにもわかっていないんだろうと思います。

*追記2 続き書いてみました。最初のイメージよりも遥かに長くなりそうなので、細切れに書いていきます。

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Toshiya Isobe

94年生まれ / 好き → アジア・デザイン・編集・本/最近はnoteで書きます https://note.mu/isobe1048