toyama satoshi

お昼ご飯を食べながらtwitterを見ていて、宇多田ヒカルの最新アルバムがリリースされたことを知り、5秒後にはApple MusicでBAD MODEを再生した。素晴らしい音楽だと感動したのだけど、Apple Musicで音楽を聞くことに飽きている自分に気づいた。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を劇場で見て、エンドロールでOne Last Kissが流れた時、「レコードで聴きたい」と思った。レコードを袋から出して、レコードプレイヤーにおいて聴きたいと思った。

好きだから所有したいということではなく、欲求を満たすまでの余白を感じたくなった。余白を楽しみたいけど、スマートフォンは驚異的な速さで欲求を満たしてしまい、目の前から取り去ってしまう。それなら再生ボタン押すまでに10分待てばいいのかもしれないが、それでは満たされないようだった。儀式的なことがしたいんだと思う。

欲求を最短距離で満たすことだけが正しいわけじゃない。その道のりに意味があることもある。

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大学生の頃、よく通ったイタリアンレストランがありました。それはJR円町駅の裏道から住宅街に入ったところにひっそりと店をかまえるCheerという名前のイタリアンレストラン。僕が社会人になると同時にシェフが体調を崩して閉店してしまったので、今はもう行くことができません。 1階には雑貨屋があり、独特のラインナップでした。そこで買った雪だるまの指人形は今も棚に飾っています。2階に上がると、耳触りのいい洋楽が聞こえ、ドアを開けると柔らかい光に照らされた大きなソファが目に映ります。テーブルとテーブルの間は、隣の席の話し声が聞こえないくらい余裕がありました。 料理もお酒もとてもおいしいのですが、その辺りは学生街なこともあって、値段は手頃でした。何度行っても閉店時間ギリギリまで居てしまい、お店の方には迷惑だったかもしれません。でも、あんなに居心地がいいお店にはまだ出会っていません。 前置きが長くなりましたが、私はMediumに、このイタリアンレストランと同じ心地よさを感じています。どちらにも時代の流れに左右されない変わらない良さがあります。レイアウトや色合い、形、手触りなどが自分の感性にピッタリあって、気持ちいい。しばらく顔を出しておらず、久々におとずれると、「やっぱりここが1番だな」と再認識する感じ、私は好きです。

Mediumの心地よさは、思い出のイタリアンレストランに似ている
Mediumの心地よさは、思い出のイタリアンレストランに似ている