直感の精度

toyama satoshi
3 min readJan 18, 2016

とあるブログで読んだこの言葉がとても好きだ。同じようなことは多くの本やブログでも語られているが、「直感の精度」という言葉にしたことで「センス」や「感覚」よりも具体的になり磨きやすく、振り返りやすくなった。とっさに出た一言や、ホワイトボードに書いた落書きの精度が全てなんだ。時間を書けて積み上げてもそれは直感の精度に勝てない。だから、直感の精度を磨かなければいけない。

以下、そのブログ。「技術とはなぜ磨かれなければならないか」というテーマで対談形式でまとめられている。「直感の精度」以外にもいくつも印象的な言葉があるので、ここまで読んだ人は、是非読んでおいた方がいいと思う。

棋士の一手、クリエイターの一言

将棋は、AIがどこまで人に迫っているかを見極める重要なゲームであった。最新の研究ではほぼほぼAIに勝ちが見えていて、より難解な囲碁へと進んでいるみたいだが、人がAIプログラムの矛盾をつく手を指してバグで勝利するなどゲームとしての見応えは十分ある。

将棋の研究の中でも、比較的指し手が限られてくる中盤から後半にかけてはAIにかなり分があるが、無限大に可能性のある序盤では人の方が強いらしい。人にとっても、定石があっても序盤は難しい。

人もAIも序盤の何十手先を読み切ることは不可能だけれど、盤面を見た時に言葉にできない必然性が訪れることがあると思う。僕は将棋は強くないからこの経験はないけど、多分あるんだと思う。

クリエイターは「0から1を作る」という命題と日々戦っているが、そのアウトプットはモノよりも言葉であることが多いと思う。プロトタイプが重要だと言っても、それ以上にコンセプトが重要だし、コンセプトとは言葉だと思うので、研ぎ澄まされた言葉が新しい世界を作るのだと思う。

新しい言葉は論理的な環境では生まれず、突然現われるもの。しかし、その出会いは偶然ではなくて必然だ。それまでの論理的な思考や、情報収集で得たいくつもの点がつながった時、その言葉は最初からそこにいたように自然に存在している。

点が増えるごとに精密さは増すだろうし、それを磨く技術を高めていけばより美しく輝くだろう。

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