名古屋造形大学地域社会圏領域特任講師着任のお知らせ

この度、令和2年度4月1日より名古屋造形大学地域社会圏領域の特任講師に着任することになりました。下記は志望時に執筆したテキストです。

地域社会圏に対する抱負

私は、大学院在籍時に山本理顕学長(2009–10年当時横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA校長)が提唱する地域社会圏をテーマにした設計スタジオを履修し、その理念を学んだ。経済と資本を優先させた近代以降の社会の枠組みが、法、倫理、空間、教育、労働を規定し、それらが社会の近代性をさらに補強する、そしてその仕組が人口減少社会に突入した日本においては瓦解し始めているという前提のもと、どのような地域社会を描くかを建築空間の側から提案するという、大変野心的な課題であった。この時私が山本から学んだことは、建築の作り方ではなく、建築家としての、あるいは現代人として生きるための理念である。建築は、その敷地の中のためだけに、施主の利益のためだけに作られてはならず、より広範な社会に利するものでなくてはならない。私達は、一人では生きることができない。誰かを頼って、頼られ、様々な因果のネットワークに身を委ねて初めて生きていける。その根本的な事実が、現代社会を生きていると簡単に忘れられてしまう。一人で生きていけるという錯覚に陥る。その錯覚が「個」の概念を補強し、その「個」に紐付けられた様々な商品が売れる。それが現代の資本主義社会の根本であるということ、その社会の底が抜け始め、新しい社会観を建築空間と一緒に提示すること、その時我々が拠って立つ基盤は地域社会でありコミュニティであるということ。それが地域社会圏のモチベーションであり、私が山本から学んだことだ。私は、その学びを独立した2011年以降、浜松で実践している。地域社会圏というまとまった敷地と建築空間を設計しているわけではなく、今ある地域社会に入り込み、その仲間に入れてもらって、いくつかの建築的なお手伝いをさせてもらっているのが現状である。その建築的実践は非常に小さくささやかなものであるが、その実践を通して書き換えられたネットワークによって、私はコミュニティの概念を実感した。持ちつ持たれつという関係が何故自分たちに利するのか、その時他者への眼差しはどう変化するか、そしてその関係の空間化はどのようなプロセスによって可能になるのか、そのような地域社会圏の核心となるであろう想像力の感触を、私よりも一回り若い学生たちとともに研究していきたいと考えている。

領域に対する抱負

名古屋造形大学の5つのラーニングセクターの分類法は、学部ではなく領域である。従来の学部学科体系で分かつのでなく、横文字にも頼ることなく、日本語で新しい名の冠された5つの「領域」が設定されている。この意図は明快である。近代化の過程で構築された分厚い部門・科目という壁を一旦取り外し、より日本的な領域という空間概念によって大学を再構成しようということであると認識できる。領域は、部門・科目よりも境が曖昧で、例えば日本家屋の道・庭・庇・縁側・居間・寝室というグラデーションがあるように、緩やかな境界を持っているから、前述した大学を再構成するというミッションは、このような相互に浸透可能な領域性でもって達成されようとしていることがわかる。つまり、各領域は相互に連携し、知の創発を生みだせる。その持続的な知の創発の仕組みが他大学に対する優位性となる。私は、名古屋造形大学の新たな編成をそのように理解した上で、その各領域の横断を積極的に試みたいと考えている。自分にとってもその横断から学べることは多分にあると推測できるし、浜松という地域をフィールドに活動していると、そもそも学部学科の体系的な棲み分けよりも、領域的な曖昧な棲み分けでもって社会が構成されていることが実感でき、そこに育てられた自分は、異なる分野・部門・領域を横断する能力を有していると認識しているからである。

名古屋造形大学の社会的価値に対する抱負

名古屋は地政学的に関東と関西の中間に位置し、東海道ベルトを支える工業都市の親玉のような都市である。私が拠点を構える浜松は隣の静岡県に位置するが、歴史的にも産業的にも、文化圏としては名古屋に近く、肌感覚は理解できる。近年はあいちトリエンナーレに代表されるように、工業都市群から文化都市群への転換を図っているように見え、文化・芸術に対する野心を都市そのものから感じる。大学機関についても、名古屋造形大学以外に複数の芸術大学があり、建築を学ぶことができる大学も多いのは、名古屋が持つ一つの特徴といえる。その中でも名古屋造形大学は、建築家・山本理顕氏を学長に迎え、キャンパスを都市部に移転することを決定し、学部編成を組み換え、その体制を大きく変えようとしており、名古屋の芸術文化を新たな変革とともに先導する立場にあると言え、ひいては経済成長が支えてきた日本の都市が、21–22世紀の戦略を立てようとする時に、文化芸術を中心とした新しいモデルとして参考にできるような可能性を秘めている。ここで言う文化芸術の社会的価値とは、見た目のデザインや美しさを整備するということではなく、分断が叫ばれるこの時代に、人がどう自己を表現し他者の表現を受け入れ、誰とどこでどのように生きていくかという哲学的な問いの先にある、人間の生き方に直結するものである。その先に、私達のコミュニティは、街は、都市は、国は、世界はどうあるべきか、という理念がある。その理念は名古屋造形大学の「同朋和敬」そのものである。表現の素晴らしさは、他者の概念の創出にあり、教育の素晴らしさは、その作法の同時代的な共有にあり、大学の素晴らしさは、その研究の蓄積によって可能となる過去と未来との対話にある。私は、文化芸術と都市を結びつける野心的な取り組みとして名古屋造形大学の変革を捉えており、その只中に身を置くことで、私が学べるだろうこと、私が伝えられるであろうことに大変期待している。

Written by

403architecture [dajiba] / 辻琢磨建築企画事務所

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