Under 30” Photo by Martin Reisch

新しい100年社会、21世紀人の4つの顔

以前に「ロボットに仕事を半分奪われたら4時間だけ働けばいいじゃない?」と書いた。8時間働くということに意味があるのか、わからなかったからだ。

8時間労働の歴史と意思

8時間という数字には、歴史と、そこに着地させた先人たちの意思がある。

産業革命当時のイギリスでは、週6日10〜16時間が平均的な労働時間だった。その中である工場主が1日10時間労働を訴え、自分の工場で実践に、さらに「仕事に8時間を、休息に8時間を、やりたいことに8時間を」(Eight hours labour, Eight hours recreation, Eight hours rest)のスローガンを作り出して社会に訴えた。これが英国に工場法を制定させ、後にメーデーのスローガンにもなり、ついには国際労働機関(ILO)で国際的労働基準として確立された。

僕たちには、水浴びをし寝床に潜り込み休養せねば生きられない動物(生物)としての顔と、社会で役割を果たしその対価で食い扶持を稼がなければいけない労働者としての顔と、そして私人として暮らしや家庭の中で幸せを求める個人の顔とがある。1日を三等分した8・8・8時間という数字には、そのどれもが等しく尊重されるべきというメッセージが宿っているみたいに思える。

週40時間労働の100年社会

この8時間労働をベースにして、いまの社会は再設計され、再編され、すごく丁寧にち密に組みあがってきているみたいに見える。例えば「ロボットに仕事を半分奪われたら…」に書いた通り、最低賃金は8時間労働すれば生活できる、そういう数字になっている。それが労働者を8時間労働に駆り立てる。労働基準法は8時間労働を基準としている。それが企業に8時間までは働かせようと考えさせる。

産業革命当時のイギリスでは週6日10〜16時間だから、中をとって週78時間が平均的な労働時間だった。それが社会が要求する労務量、社会を維持するのに必要だった人力規模だったのだろう。でもいまやその約半分、週40時間が標準だ。社会は産業革命の成果を活用し、社会を支えるのに必要な一人当たり労務量を週40時間に減らしてきた。いま社会が成立しているのだから、そういうことのはずだ。

ここまでには長い時間が経過している。「国際的労働基準として確立された」のが1919年、日本で初めて取り入れられたのも1919年。およそ100年前だ。さらに言えば8・8・8のスローガンが作り出されたのは1817年、ちょうど200年前だ。僕たちの社会はもしかしたら、100年前のグランドデザイン、200年前のコンセプトでできている。

ロボットに仕事を半分奪われたら4時間だけ働けばいい

そしてこの100年社会に、再度転機が訪れようとしている…とAIやロボット周りの人は言う。試算によれば米国の総雇用者の約47%、日本の総雇用者の49%の仕事が代替される可能性が高いとも言う。でも49%…そんなもの?だって、週78時間労働から40時間労働への変化も49%減だ。そんなの、もう通って来た道じゃないのか?

産業革命は、言ってみれば動力の革命だろう。ものを作ったり運んだりする生産・製造・物流は、多くの人夫で行うことから、大小の機械と少数のオペレーターやドライバーによるものになった。圧倒的に社会が必要とする物資は増えたけど、それに必要な人力は激減した。

きっとそうした物を相手にする仕事は、就労人口×週40時間分もなくて、もしかしたらその半分だってなかったかもしれない。だってその行き着いた先が現代。物ではなく人か情報を相手にするのが仕事のボリュームゾーンだ。情報?そう、情報。例えば金融業や保険業なんかは、ITよりずっと古く、当時からあった情報産業だ。

ロボットとAI革命は、言ってみればデータ判断の革命だ。まだ機械化に至っていない生産・製造・物流の仕事、オペレーターやドライバーの仕事、そして情報の仕事を奪うだろう。この社会が要求する人力は、再び大きく減る。でもそれは週20時間労働の「次の100年社会」に向かっていって、その辺で安定化を迎えるんじゃないのかな。

社会とテクノ失業、働き方改革とベーシックインカム

心配なのは、1つはその過渡期には「週20時間の人力しか必要としない」けど「週40時間就業しないと食べていけない」社会になるかもということ、いわゆる「技術失業」「テクノ失業」だ。みんなが週20時間働けばいいユートピアじゃなく、半分の人だけが週40時間働き続け残り半分が働き口を失い生活できなくなるディストピアだ。

働き方改革では一億総活躍社会、老若男女みんなが週40時間働く社会が目指されている。副業論では合計で週40時間を働くダブル労働の実現が議論されている。その議論はディストピアへの道を探っているように見える。経済産業省平成27年度総合調査研究「新たな政策的課題への対応に向けた経済学動向に関する調査研究」の「人工知能・経済成長・技術的失業:井上智洋先生」で、この2つの状況がある理由が簡明に述べられている。

今のように1日8時間労働するのは、人類にとって普遍的なものではなく、近代化の中で、長時間労働しないと他国に負ける、ということで定着したもの。ケインズも1930年代に、将来的には、人間は1日3時間働けば良くなると言っている。

でも幸い、ユートピア行きの道筋を探る議論も起こっている。例えばベーシック・インカム論。フィンランドは2017年1月に実証実験に踏み切っているけれど、支給額は月額6万8千円。目指すところは「働かなくても生きていける社会」ではなく「失業手当の打ち切りがなくなり、たとえ低収入の仕事であっても就職するインセンティブが生まれ、失業率が低下する」こと。「人工知能・経済成長・技術的失業」によれば日本での支給額を探るなら「日銀委員の原田氏の試算によれば現状経済では、7万円」。

低収入の仕事であっても...ある意味では1日4時間、週20時間労働でも...生きていける社会だ。

個人とテクノ失業、21世紀人の4つの顔

米国のベンチャーキャピタルY Combinatorは、独自のベーシック・インカムの実験を通じて「無条件でお金を受け取った人のクオリティ・オブ・ライフと仕事へのモチベーションはどうなるのか?」「人はより幸福になれるのか、生きる意味や充足感を得るために、仕事は不可欠なのか」を探ろうとしている。社会が20時間労働に備えなければいけないのとともに、個人もその時代への心構えを求められている。求められるんじゃないか、とY Combinatorは考えている。

19世紀人は「仕事の8時間、休息の8時間、やりたいことの8時間」というモデルを生み出したけど、「仕事の8時間」が崩れる21世紀人の僕たちはどうなるんだろう。フィンランドのベーシック・インカム実験は定量的なデータの公開は来年以降だけど、定性的な効果が報告され始めている。この記事中で、こう述べられている。「BIは中間層に経済力を再分配できる。それはすなわち、不本意な職につく必要がないという意味です」。仕事に自分を丸ごと預けるようなモデルだけはありえなさそうな気がする。

19世紀人は「仕事(labour=労務)」と「やりたいこと(recreation=娯楽)」と表現した。でも現代の人と情報を扱う仕事は、単なる「労務」ではなくもう少し人の「やりたいこと」に近いところにある気がする。同時にやりたいことには娯楽も含まれるけど、趣味は少し毛色が違うし、この時間には生活者・家庭人としての喜びや安らぎと勤めが含まれていく気がする。自分の場合を考えると、こんな4つの顔を考えることができそうだ。

社会を支える労働者としての顔、娯楽・趣味・興味・使命感で社会に参加する私人としての顔、生活を営む家庭人の顔、生きるための休養に充てる動物の顔。労働者としての4時間、私人としての6時間、家庭人としての6時間、動物としてのヒトの6時間。私人としては趣味を楽しみ、こうした議論を楽しみ、時には社会問題みたいなことを考えてみるかもしれない。個人で考えてもしょうがない?そうでもないというのがCivic×Techとかプロボノといった最近のムーブメントだし、それは娯楽とはちょっと違うけど考えること自体わくわくする。

一般論に戻すと、週20直労働社会の中で、個人は「不本意な職につく必要がない」「生きる意味や充足感を得るために、仕事は不可欠なのか」を問う場面を迎える。「仕事」ってなんだろうとか、家庭にも会社にも縛られていない時間を何に使おうとか、それが身近な問いかけになってくる。収入とか就業とか、そういう言葉から離れて考えることはこの100年で培ってきた習慣にそぐわない。でも、その習慣から離れてみよう。