こどものころの話

部屋で1人になって、古い雑誌を眺めていたら、子供の頃に感じていた不条理や生きにくさがわーっと蘇ってきた。
ひとりっ子だから、そのときの気持ちが再生されたのかもしれない。
以下、箇条書きにて。


風呂に設置された水道の元栓は「ひねったら風呂ごと爆発して団地の人がみんな死ぬ」と教えられていたのに、父がなにかの点検か修理でそれをひねったので大泣きした。

実家にあった古いブラウン管テレビは、ガラス面がはずれるようにできていたが、それも「外すと火が吹き出して死ぬ」と言われていたので、学校で女の子を泣かせてしまった日に、死ぬしかないと思ってガラスを外したが何も起こらなかった。

スイミングスクールにあった17アイスの自動販売機。アイスの棒を勇者の剣という設定にして送迎バスで友達と遊んでいたが、そのメンバー全員が「理想よりかなり短い」と思いながら口にできなかった。

僕のいちばん古い記憶は、雨粒がついたビニールカバーを通して見たベビーカーを押す母の顔なのだけど、母が傘をさしていなかったので「僕だけ、なんか悪いな」と思ったこと。

小学6年生までサンタクロースを信じていたのだけど、4年生頃からはサンタが部屋に入ってくるのが怖くて、でも親のてまえ窓の鍵は開けておかなくてはならず、窓際に見張り役のガン消しを並べていた。

ちびまる子ちゃんの家が貧乏という設定であるのを知ったときに、ああ、うちも貧乏気味だな…と思って、それから夕飯の献立を母に聞かれてもふざけて「豚の丸焼き!」とは言えなくなった。

ゴジラはいつも東京の都会に出てくるので、多摩の僕の家は大丈夫だけどお父さんはきっと死ぬだろうと思い、ゴジラを見た翌日は父が会社に行くのを見送るときに「これで最後かもしれない」と思っていた。

中学生のころの三者面談で、母が「うちの子はいつも学校に行くときベランダで洗濯物を干してる私に大きな声でいってきますを言うのに、機嫌が悪い日は言わないから分かりやすい」と担任に話していて、そういうネタバレやめろよと本気で怒って翌日から「いってきます」は言うのをやめた。

小学校でノストラダムスの大予言が流行って、最後の食事は何がいいかみんなで話し合っていた時、「豚の丸焼き」しか思いつかなくて、もっとあるだろ!なにか!と発想の貧困さを呪った。

理科室の実験机についていた水道、やたら勢いがいいので手を洗うと服やら床やら水びたしになって先生に怒られたけど「それはこんな水道を作った学校が悪いだろ」と思っていた。生意気な発言だとわかっていたので言えなかったけど。

小学生のころ、夏休みに教室の金魚に餌をあげる係だったクラスメイトがさぼって一ヶ月分の餌をまとめて水槽に入れた。夏休み明け、腹が裂けて餌のつぶつぶがはみ出した金魚の死体。クラスメイトのみんなが「かわいそう」よりも「金魚ってバカだ…」と思っていたが、大人に聞かれてはいけない本音だったのでみんな黙っていた。

いじめ問題がテレビで取り上げられるようになった頃、母から「いじめられるくらいなら、いじめる側になりなさい」と言われた。わあ、この人は僕とまったく違う子供時代を送ったんだ!とすごく驚いた。そして、僕は言われるまでもなく、どちからといえば「いじめる側」だった。

雑木林の中につくった秘密基地。すごく好きだったけど、その森が通称「ゴミ虫の天国」(そう呼ばれてた昆虫がいた)だったので、どこか卑屈な気持ちがあって本当に仲の良い何人かの秘密だった。

かわいいんだけど、息が臭いクラスメイトが小学校にいた。
いま思うと、あれは胃腸が悪い人の口臭なのだけど、小学校3年生でそこまで胃腸を傷めつけた理由は何だったのか、気になる。

家族総出(といっても3人)での年賀状作りでは、プリントゴッコの「ピカッ!」とやる工程が僕の担当だった。すごく好きな工程だったので、悪いなと思い、親の書いた年賀状をやたら褒めてた。


とりあえずこんなところでしょうか。
もっと記憶の深層に入っていけばありそうだけど、今日はそろそろ寝ます。

なかなかおもしろかったので、また思いついたら追記していこう。

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