”他人と暮らす ”の中にあるジブン。

人と一緒に居ることが好きでかつ苦に感じない私は、

3年間の大学生活の大半を同居人と過ごしてきた。姉や彼氏や友達と。

なので、1人で何かするという概念がほとんどない。しかし、人によっては1人の時間がないと無理だという人も多い。1人の時間がないと生きていけないという人は、それと比例して誰かといる時に自分を消耗しているのだろうか。自分という電池のチャージ期間として1人の時間が必要なのだろうか。

しかし、思い返してみると中学受験/大学受験の際私はアウトローな人間で学校を一定期間休学した。1人で家や図書館で10時間~12時間は籠って勉強していた。まさしく一人の時間がないとだめな人だった。

なぜだったのだろうか?

いま考えると、理由は2つだ。

・比較厨だったこと

・他人の評価を自分の評価軸にしていたこと

比較厨だったことについては、常に周りの同期は比較対象であり、例えばAさんよりもある分野で劣ってると感じたらそこを伸ばす。その際Aさんは私の中では敵同然であるという風に他人のことを見ていた。敵意丸出しである。一つ一つの負けが重なっていくのが怖かった。

(今ならば、受験は総合点のスポーツであり自分の得意を伸ばし一部は捨てるなどの戦略を持って臨むだろう。その際、他人が点数がいいのは自分には関係のないことであり、自分がどうすべきかを真剣に考える。)

さらに、他人が思う私のイメージというものに大変振り回された。大学受験時、一緒にいる子たちは勉強よりも部活を優先していた子も多く、その中で突然東大に行きたいと猛勉強をし始める私に周りは、「いきなり勉強してもそんな成績はかわんないよ。遊んでよ。勉強やめようよ。」などの声をかける人もいた。担任にも、「東大いきたいとかいってますけど、無理なのでやめてください。」といわれる始末だった。私は、他人の声を敏感に受け取るタイプだったので苦悩した。

そこで他人とのつながりを物理的に絶つことを選択した。

他人は煩わしいものであり、足を引っ張る存在だと当時は思っていた。

今なら言える。

いや、違うぞ。と

心理的に自分が変化する方法があるぞ。と

かつての私は他人に焦点を当てて自分の人生を生きてきた。

自分の人生なのに。

今の私は自分の人生を生きているとはっきり言える。

なぜこんな変化をみせたのかというと、

これは親の離婚問題がきっかけとなり、一人で生きていくことを猛烈に考えさせられたからだ。親と私は他人であり、親はいつか亡くなってしまう。私は自力で私の人生を歩まなければならないと悟ったのだった。

自分の人生を他人に左右されてたまるか!!自分で人生つかみ取ってやる。

と思えるようになった。

そういうマインドを持って日々生きていれば、他人といても一人の時間(=周囲を気にせずなにかに没頭できる時間)をもつことはできると思う。

つまり私が言いたいのは、他人と関わることが必須なこの世の中で自分を見失わないでいれば、他人というものは決して煩わしいだけの存在ではないのではないか。他人といても一人の時間はつくれるということです。

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