FoundX でのアソシエーション / Association

FoundX では「コミュニティ」という言葉ではなく「アソシエーション」という言葉を積極的に使っていきたいと思っています。

マッキーバー (1917) はアソシエーションとコミュニティを比較して、このようにまとめています。

この分別に従えば、スタートアップは特定のミッションや目的を持つためアソシエーションという分類になり、コミュニティではないと言えます。

FoundX はスタートアップというアソシエーションを支援するプログラムと施設です。FoundX にはミッションがあり、そこにいるスタートアップの皆さんを成功させるという目的があるため、その意味で FoundX はアソシエーションです。そして FoundX は、スタートアップというアソシエーションが複数集うアソシエーションとして機能できればと考えています。

もちろん FoundX 自体にもコミュニティとしての側面があります。しかし FoundX は「ここにいる」というだけでその人を受け入れるようなコミュニティでもなければ、生活まで共同とするような集まりではないと考えています。逆に、組織として成長して本郷や FoundX という場所から離れても、同じ目的を共有している限り、同じアソシエーションに属していると言えます。

デランティは『コミュニティ:グローバル化と社会理論の変容』の中で、ウェーバーを引きながら以下のようにコミュニティとアソシエーションを対比しています。

マックス・ヴェーバーもコミュニティを、伝統あるいは脱伝統的な双方の可能性に開かれているものと定義した。つまり、「社会関係は、社会的行為の方向性が――平均的に見て個別的なケースであるか純粋型であるかを問わず――情緒的であろうが伝統的であろうが、帰属する諸集団の主観的感情に基づいているかぎり、『コミュナル』と呼べるだろう」。対照的に、結社的な(アソシエイティブ)関係は、「合理的判断の基礎が絶対的価値であるか、利己主義的な理由であるかを問わず、合理的に動機づけられた利害調整もしくは同様に動機づけられた同意を基盤としている」とヴェーバーは指摘している。

コミュニティが主観的感情に基づき、アソシエーションは合理性に基づいているとしたとき、私たちのミッションである「ひらかれた社会」はアソシエーションに近いものとして位置づけられるように思います。

他の用語の検討

アソシエーションと似た意味を持つその他の言葉も検討してみました。

たとえば協同組合という言葉です。アソシエーションを日本語にすると協同組合に近いニュアンスを持ちます。確かに協同組合ではそれぞれの組合が特定のミッションを持っており、それに個人が集ってそのミッションを達成するという形になります。ただ協同組合は非営利のものが多く、スタートアップは営利組織である点が異なるため、協同組合という言葉もまた違うのではないかと考えました。

Company (自らが共にありたいと望むもの) という言葉も検討しました。しかしカンパニーは現代においてあまりにも会社や法人の意味が強いため、会社以前のチームをカバーできないイメージになってしまうほか、目的志向性や連帯の意味が異なってきてしまう点が懸念としてありました。

Association という言葉を使うメリット

アソシエーションという言葉を使うメリットがあるとすれば、ミルのアソシエーション概念に近いニュアンスが出せるのではと考えました。ミルはアソシエーションについてこのように述べます。

公共精神、寛大な心、あるいは真の正義と平等を望むならば、これらの美しい資質を育成する学校となるのは、利害の孤立ではなく、利害の結合(association)である。進歩によってめざすべきは、人が他者に頼ることなくやっていける状態にすることのみにあるのではない。人が他者とともに働くこと、(従属ではないかたちで)他者のために働くことを可能にすることこそ、進歩の目的であるべきである。いままでのところ、労働によって生計を立てる人は、各自自分だけのために働くか、あるいは雇い主のために働くかしか道はなかった。[しかしこれからは]文明化し、結合の力がより活かされるだろう。大規模な生産による効率性と節約がおこなわれるだろう。
But if public spirit, generous sentiments, or true justice and equality are desired, association, not isolation, of interests, is the school in which these excellences are nurtured. The aim of improvement should be not solely to place human beings in a condition in which they will be able to do without one another, but to enable them to work with or for one another in relations not involving dependence. Hitherto there has been no alternative for those who lived by their labour, but that of labouring either each for himself alone, or for a master. But the civilizing and improving influences of association, and the efficiency and economy of production on a large scale, may be obtained without dividing the producers into two parties with hostile interests and feelings, the many who do the work being mere servants under the command of the one who supplies the funds, and having no interest of their own in the enterprise except to earn their wages with as little labour as possible. [Principles of Political Economy, 日本語訳は下記の中村より]

これについて中村 (2018) は次のような解説を加えます。

ミルは、会社の経営者が費用をかけてでも労働者の協力や自発性を引き出そうとすれば、労働者は会社に貢献するように協力したり、能力を伸ばしたりする生き方を身につけていくと考えている。その実践経験の場(学校)として、会社という組織を考えているのである。この「経済のなかで如何なる人間性が形成されるか」という問題意識は、スミスと共通する。さらに、ミルは、この会社組織における労働者の能力成長が、遠い将来においては資本主義そのものを乗り越えるものとなる、と考えた。労働者が能力を向上させ、自ら会社を経営する能力までも持つようになれば、資本家(資金の提供者にして事業経営者)が労働者たちを支配する必要はなくなる。やがては、会社は労働者と資本家の共同組織となり、あるいは労働者どうしの共同組織(資本家はたんなる資金提供者にとどまる)となるであろう。それは、「他者とともに」、そして「他者のために」働く自由な個人のアソシエーションである。これが、ミルの考える資本主義の未来であり、労働者階級の貧困という問題への答えであった。
ミルは、自由な個人のアソシエーションという未来──資本主義を超えた理想の将来像──を描き出したけれども、もちろんそれは遠い将来の話である。事業経営を担う能力が現状では資本家階級にしかない以上、いまのところはそれに頼った資本主義経済で行くしかない。できることは、啓蒙的な事業経営者の手で、労働者階級の能力成長に一歩踏み出すことだけである。

このようなアソシエーションが増えてくれば、経営者も、そしてそこで働く労働者も、その両者がともにゆとりを生み出し、ゆとりを享受できるように思います。そしてこうした事業経営者を増やしていきたいという思いもあり、アソシエーションという言葉を積極的に使いたいと考えています。

なお、アソシエーションという言葉自体は、ウェーバーによる定義や、マルクスに連なる論者による定義、日本では柄谷行人などの定義があります。それらについても目を通したつもりですが、上述のような考えで、マッキーバーやミルの定義に近いアソシエーションを作っていければと考えています。