スタートアップに挑戦できる最後の世代

昨日発表された、経産省の次官・若手プロジェクトである『不安な個人、立ちすくむ国家』という資料が話題を呼んでいます。危機感が伝わってくる資料で、ここからさらに一歩進んで効果的な経済政策に繋がることを期待しています(微力ながら経済に貢献したいとは思っているので…)。

さて、この資料の最後には「この数年が勝負」「最後のチャンス」という言葉が出てきます。

不安な個人、立ちすくむ国家 p.64(強調は引用者)

最後、という言葉は強すぎて好みではないのですが、しかしこの危機感と同じような話を起業家の方と最近したことを思い出します。それは「我々の世代がスタートアップに挑戦できる権利を持つ『最後の世代』になってしまうのでは」という話です。

挑戦には失敗がつきものです。実際、スタートアップの多くは失敗します。そしてその失敗を許せるような余力が残っているのはかろうじて今だけではないか、そして近い将来、この国の多くの人たちはある種の敗戦処理と撤退戦ばかりをしなければならないのではないか、という悲観的な展望から、スタートアップが今後しづらくなるのではないか、という話が出ました。

つまり、今はまだ多くの人がスタートアップするかしないかを自分で選べますが、少し先の将来においてスタートアップに挑戦する権利を持つのは、既に資産を持つようなほんの一握りの人たちだけになるかもしれません。

逆に言えば、今挑戦をして新たな富を作り、パイを広げて経済成長を遂げること、そしてその新たな富を適切に再配分する方法を見つけることが、今の我々の世代に課された仕事なのではないかと思います。上記に話を引用した起業家の方々も「だからこそ自分たちのスタートアップの世代が成功しなければならない」という言葉を続けます。

個人的には、Sam Altman と同様に経済成長の最も効果的な一つの方法がスタートアップであると信じています。そして残された時間が僅かなのであればなおさら、スピード感を持って多数の挑戦に取り組めるスタートアップ、そしてその手法に学ぶべき部分が多いはずです。

以下は上述の資料と少し符合する、自著の『逆説のスタートアップ思考』の「おわりに」からです。出版社の許可を得て転載しておきます。

■今を生きる私たちにできること
挑戦すること、それ自体はいつでも、誰でも可能です。スタートアップについても、若くても年老いてからも始めることはできます。
ただし人にも国にも、挑戦しやすい時期というものはあるように思います。スタートアップであれば、体力があり、養う家族や介護する家族がおらず、低い給料でも何とか生きていけるような若い人たちのほうが断然挑戦しやすいのは明白です。
また昨今の日本は起業環境が徐々によくなってきています。たとえばスタートアップに対して注目が高まった結果、それに対する投資も支援も年を追うごとに増えています。この増加がいつまで続くかは分かりませんが、少なくともここしばらくは増加していくものと予想されます。
そうした状況を考えるに、今日本に住む若者にとって、スタートアップに挑戦しやすい時期が来ているように思います。
しかし一方で、将来のスタートアップ環境に関して言えば、少し悲観的な部分があるのも事実です。
近年、日本という国に明るい見通しを立てにくい、という論調が多勢を占めています。世界における日本の科学的地位、そして経済的地位の低下が毎日のようにメディアで取り上げられ、楽観的な展望を持ちにくい状況になっています。
悲観論が多勢を占めて、さらに国として余裕がなくなれば、失敗を許容できない社会となり、挑戦がしにくくなります。失敗に不寛容な環境になればなるほど、スタートアップのような、ほとんどが失敗する挑戦がなお一層しにくい環境になり、イノベーションは起きにくくなるでしょう。
日本の財政がさらに逼迫し、挑戦を許容できない風潮になるまで、残された時間はわずかしかないように思えます。
こうした近年の起業環境の改善と、日本という国に残された時間の両面を考えると、おそらくスタートアップする最適なタイミングは「今」です。今であれば、利用できる技術や資源はまだこの国に残されています。逆に言えば、この数年で大きなイノベーションを起こし、急速に成長する事業を立てられなければ、国は衰退し、様々な社会課題が私たち一人ひとり
の生活を徐々に苦しめていくはずです。
しかしもし、今始めた誰かのスタートアップがこの数年で大きく成長すれば、それは多くの人々にとって、一つの希望になるはずです。かつて先人たちが築き上げた製造業が日本人の誇りになったように、今を生きる私たちの世代も新しい産業や事業を作り、新たな希望や誇りを築いていく必要があるのではないでしょうか。
■ 誰かの挑戦で世界はよくなっている
日本国内のみならず、世界には多くの課題が未だ解決されずに残っています。悲観的なニュースはシェアされやすく、多くの人の心に残るため、世界は悲惨な出来事であふれているように感じます。
それでも世界はかつてに比べて圧倒的によくなっています。
たとえば約200年前の1820年、人の寿命は 歳以下であるとされ、 %の人が「絶対的貧困」にありました。
現在、人の寿命は 歳を超え、「絶対的貧困」とされる割合は、世界で9・6%しかいないと言われています。そして先進国に生きる私たちはかつてビリオネアの象徴とされたロックフェラーより、遥かに豊かな生活を送っています。
マット・リドレーの『繁栄― 明日を切り拓くための人類 万年史(上・下)』(大田直子、 鍛原多惠子、柴田裕之訳、早川書房)では、人類の繁栄は「節約された時間」で測るとよい、としています。かつて人生の時間のほとんどが水汲みや洗濯、食料の確保などで使われていたことを考えれば、今の人類はこれまで以上の余暇と自己実現のための時間を有しています。 現代人はかつてない繁栄を謳歌していると言っても過言ではないでしょう。
もちろん、科学の発展に伴う新しい課題として、気候変動やパンデミックの危険性は高まっています。世界的な人口増によるエネルギー不足や食料問題と言った新たな課題も今後出 てくるものと思います。
しかし、それでもこの世界は決して悲しいことばかりではなく、先述の通り、着実によい方向に向かっています。そしてそれは、これまで一人ひとりが挑戦を重ねた結果でもたらされたものです。
特にこの100年、科学技術の発展が世界をよくする原動力でした。そして目の前の問題に対し、積み重ねた知識や経験で対処していく人たちがいました。
そうした歴史を振り返ってみれば、私たちはもっと楽観的な合理主義者になっていいはずです。特に昨今衰えつつある科学技術への信頼は、もっとあってもよいのではないでしょうか。そして科学や工学という、人類の知識の蓄積を用いたイノベーションを、もっと皆で推進していってもよいのではないでしょうか。
そうしたある種の合理的な楽観と、未来への信頼に基づく新たな挑戦が、イノベーションの発生を加速すると筆者は信じています。そのためには挑戦をする人たちが必要であり、その挑戦のほとんどが失敗するとしても、彼らを支援する仕組みが必要です。

我々の世代での挑戦を成功させて、次の世代にも挑戦できる権利を継承していくこと、そうしたことができればいいなと思います。

なお、「おわりに」には画像を付けないほうがよい、というアドバイスをもらって画像は削除しましたが、以下のような画像を付ける予定でした。

http://pandawhale.com/post/69402/for-the-first-time-less-than-10-percent-of-the-world-is-living-in-extreme-poverty-world-bank-says

Bill Gates の今年の Annual Letter にも勇気の出るチャートが掲載されています。

Show your support

Clapping shows how much you appreciated Taka Umada’s story.