もういいかな、というコンフリクト


クレジットカードや電子マネーの話から、私のデザインに対する考え方の一端を述べてみます。

私には、小銭と紙幣を持ちたくない欲求が幼い頃からあり、汚い画面のデザイン(当時はインターフェイスデザインという言葉はなかったと記憶している)にストレスを感じながらも、NTT docomoの「おサイフケータイ」が使えるお店を逐一探して使っていました。当時は名古屋市の郊外に住んでいましたが、都心まで1時間ほど電車に乗って(毎回どうして名古屋は非接触ICカードで電車に乗れないんだとストレスを感じつつ)電子決済に対応している100円ショップへ行って数百円の買い物をしたりしていた記憶があります。

iPhoneに乗り換えてからは、お気に入りのカードフェイスで、更に同社のVIが優れているという理由だけで、Citiカードを契約してみましたが、モノを失くすことが多い私は何度かカードを紛失し、カード会社から「あと数回カードを紛失すると会員資格停止となります」と言われてしまったりもしました。
そんな愛して止まなかったCitiカードは、同じく愛用していたCitiBank銀行と共に数年前に日本から撤退してしまい、カード更新時期まで大事に使おうと思っていたけれど、新会社から送られてくるファンシーなダイレクトメールのデザインに耐え切れずのちに解約。

以降はさんざん悩んだ挙句、American ExpressのSky Travelerというカードを持ってみて、サポートセンターの対応は良いし、オンラインサービスの出来も良く、国内での使い勝手に文句はなく、さらに昨年度からはApple Payにも対応して… と満足していたのだけれど、当然海外でAmerican Expressは使いものにならないから、VisaかMasterを併用することになる。

2枚持ちをすること自体には抵抗はありませんが、国内で(私の思う)まともなVisaかMasterカードが全くない。信販系カード会社はリボ払いだの保険だののセールスが執拗で、サポートセンターの営業時間が限られていたり、ナビダイヤルで高額な電話代を負担する必要があるのにオペレーターに繋がるまでに十数分の時間がかかったり、そしてなにより、信販系も銀行系も、国内のクレジットカード会社は、カードフェイスに限らず、オンラインサービスや請求書や各種DMのデザインが本当に酷い。

昨年、Luxury Cardというチタンだか何だかの金属製のマスターカードが登場すると聞いた時には、「ラグジュアリーってなんだよ…」と思いつつ、一番年会費の安いカードのデザインが他に比べると酷いモノではなかったので、早速コールセンターに詳細を問い合わせてみたところ、Apple Payを含めた電子決済への対応予定はなく、さらに付帯するETCカードは親会社の信販系会社と同様のデザインものになるとのことで、契約の選択肢からはすぐに外れました。

そして結局、適当なVisaカードとAmerican Express Sky Travelerの二枚持ちで日々を送ることに。
国内では前述の通り、American Expressが殆どの店で使えて、それがダメなら「Suicaで」と言えば済んでいましたが、先日、この状態で初めて国外へ出向いたところ、今度は「American Expressが使えるか否か」を気にしないといけないというストレスが常に付きまとう。
「VisaかMasterしかダメ」と言われるところまでは良いものの、その後自分が納得できていないデザインのVisaカードを端末に通し、PINコードを入力して決済しないといけないことの虚しさ…
そう、CitiカードとAmerican Expressの2枚持ちだった一時期は、「使えない」と言われたら黙ってCitiカードで決済をしていたのに、Citiカードなき今、「VisaかMasterしかダメ」問題のストレスが最高潮に。


私の周囲にはデザイナーと呼ばれる職業の方が多くいますが、どうやらこういった「日常生活で使用する些細なもの」のデザインに対して、こだわりを持ったり、それ故にストレスを抱く人はあまりいない印象である。
いっそ現金を使えば良いではないか、と言われるかもしれないが、「カードを持たない」という主義の方がいるように、「現金を持ちたくない」という主義も認められてほしい。

「インターフェイスデザイン」というバズワード的な単語が広く浸透する以前から、デザインは鑑賞するものでも、非日常的なものでもなかったはずで、当然のことながら「ヴィジュアルデザイン」が対象とする分野は、人間の身体や心理、そして今時の言葉を使うなら「ディスプレイ」さえも、かねてからシームレスに「グラフィックデザイン」と繋がっていたものと考える。

以前、とある外国車の所有者の方々のフォーラムに参加させて頂いた際に、「この車のどこが好きですか」との主催者からの問いに対し、「走りが良い」と言う自動車愛好家の方らしいコメントを除いて、多くの方の答えの主旨が「そのブランドであること」を理由に挙げていたことが残念でならなかった。
同様のことを、今のAppleと同社を取り巻くファンの方々にも感じる。スマートフォン市場におけるiPhoneのシェアが世界的にも極めて高い日本において、iPhone Xはどのように受け止められるのだろう。同じように「Appleの最新機種だから」と言う理由で売れてしまうのだろうか。

私はインターフェイスデザインの観点からiPhone Xに興味があるが、ラップトップと同等の金額を出してまでこの「検証」を行うべきなのだろうか。次年度には同じように新しいiPhoneが発表されるのである。
そして、iPhoneを使う日本の多くのユーザは、手に入れた最新のiPhoneにインストールするアプリケーションのインターフェイスデザインにはさほど関心が無いようだ。ハードウェアがユニボディであったり、ベゼルレスであったり、有機ELになろうと、その上で走るアプリケーションはこれまでと変わらない。

私のこうした特性を「こだわり」と形容すれば一言で済んでしまうが、当人にとっては心身に影響を及ぼすほどの重大な問題である。
デザインとは視覚的な要素だけで構成されているものではなく、いわゆるユニバーサルデザインのようにユーザに対して配慮または整備をすることだけでもなく、極めて広範囲の様々な事象に対して、多様なポジションの方々が、それぞれの形で参画すべき社会問題であると考える。

とある採用面接を受けた際や、とある著名なデザイナーの方と話をしていた際には、こうした私の考えるデザインの話をしていて、「それらは領域が違う」との指摘を受けた。結果として、私自身はどこに向かうべきなのか、指針を見失った。

なぜAppleはiPhoneを高値で売り続けることができるのか、なぜMicrosoftは自社製ハードウェアを発売することにしたのか、なぜ歴史も浅いTeslaの電気自動車が売れるのか、なぜSamsungが世界中であらゆる家電のシェアをとっているのか、なぜスタートアップの中国メーカーが数年間のうちにスマートフォン市場において高いシェアを奪うことができたのか。

これらには全て、デザインが深く関与していると考えるのは私の思い込みでしょうか。一例として、日本メーカーではSonyだけが世界市場で健闘しています。このことも「デザイン」と無関係でないと私は考えるのです。

日本のデザイン界を切り開いてきた先人の方々は、今の日本のデザインの現状をどう思われるのでしょう。
「もういいかな」と時々絶望しながら、何かを形にしたいと思う毎日です。

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