パイサーン師の一言説法〜求めなくても幸せが訪れ、嫌がらなくても苦しみが去っていく〜

2016年01月10日 08:41

幸せを愛し、苦しみをイヤがることに間に合っていく

みなさん
ぜひ、試してみてください。
心を真ん中に置くことを。
すなわち
心がどちらにもふれていかないように
してみるのです。
幸せにもいかず
苦しみにもいかずに
ただ真ん中にいる。
幸せであっても、喜ばす
苦しくても、イヤがらず
耳ざわりのいい、都合のいい言葉を言われても
喜んだり、嬉しくなったりせず
聞きたくない、悪口を言われても
否定したり、落ち込んだりせず
何かがうまくいっても
有頂天にならず
何かがうまくいかなくても
がっかりすることなく
そんな風にしてみましょう。
ただこのような気持ちが起こったら
その心を
プラスにも
マイナスにもふれていかせず
ただただ
真ん中の心で
知っていく
嬉しさが起こったら、嬉しさの心だ、と知り
嬉しさを掴んで
すり寄っていかないこと
悲しさが起こったら、悲しさの心だ、と知り
悲しさを拒否して
追い出していかないこと
そうしていくと
その人それぞれに、
その時にふさわしく
幸せを愛さなくても、
幸せが向こうからやってきてくれて
苦しみを嫌がらなくても、
苦しみがこちらから去ってくれます
たとえ身体にまだ苦しみがあっても
心は苦しみが生じず
たとえ財産をなくしたとしても
心は悲しみに覆われることが
ありません

むやみに信じない、自分で実験してみる

試してみる。

今日のパイサーン師の

最初の一言で

ハッと目が見開かされます。

この試してみるということ

とても大切ですね。

いつも心にグッと響く

パイサーン師の説法ですが

今日はさらに

グッと踏み込んできます。

いい話は

読んでわかった気になってしまうことが

多いのですが

いざこうして自分が

試してみるとなると

自分の心に様々な反応が起こってくる

ことがわかってきます。

ブッダもまた

「むやみに信じるな、

自分でちゃんと試してみること」

の大切さを遺しておられます。

喜ぶな、悲しむな、ではない

パイサーン師の言葉を表面的に読むと

仏教は喜ぶな、悲しむな

とまるで無味乾燥な心を

養っているかのように見えます。

「仏頂面」

という言葉もあるように

嬉しい時に喜ばず

悲しい時に悲しまないなんて

なんて人間的な心を

捨ててしまう味気なさなのだと

思ってしまうでしょう。

しかし

そんなことを言っているのでは

決してないと私は思います

嬉しさ、悲しさなどは

起こすものではなく

もうすでに起こっちゃってるもの。

自分では気づかないほどの

スピードで

そこに無自覚にすり寄っていって

しまっているのです。

それをさらに増殖させ

余計な粉飾で駆り立てて

自然さを失わせて

いるのだと思います。

感情の粉飾決済をしない

ただそれに気づく。

無理に幸せを粉飾し

無理に苦しみを粉飾することの

なんと虚しいこと

虚しさは何もないからではなくて

いろいろ飾り立てすぎる

粉飾してしまうから

起こってしまうのでしょう

ただ知ること

それだけにとどめ

心を真ん中にしていくことには

トレーニングが必要なのですね

欲しい欲しいと思って得たプレゼントより

思わぬ時に得られるプレゼントの方が

より嬉しいですよね

自然な笑顔は

きっとその瞬間に

頑張らなくても起こっている

それもまた

ただ知るだけでいいんですね

またまた

試してみたいと思います

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Originally published at urasakimasayo.blog.jp.