あたまのわるいはなし
国際都市あさくさ
海外旅行の醍醐味とはなんだろうか。
もちろんそれはひとによって異なっているはずだ。たとえばそれは建築様式や音楽や肌の色のちがいであったりする。
ぼくのそれのひとつとして挙げられるものは、香りだ。
出国審査を終え、Duty Freeと書かれたショップでさまざまな人種のひとびとが買い物をしているあの空間にただようブランドものの香水の香りがまずそれにあたろう。
大手百貨店に足をはこべば同じような香りにひたることは可能だ。しかしながら空港のそれとは異なる。空港のそれは非日常を体感する場所として、航空機に乗りこむ前の気分の高揚を高めるひとつの要因として、そこに存在している。
とりわけ、ぼくが最も感じる香りのちがいは、ひとびとのそれだ。
数時間もしくは十数時間のフライトを終え、異国の地に着陸をする。空港や空港からダウンタウンまでの電車、また街中において比較的近しい距離ですれ違うひとびとからただよう香りは日本のそれとはまったく別物であると感じる。
市場にでまわる香水のブランドがちがうのか、香水を選ぶときの嗅覚の好みがちがうのか。はたまた根本的に体臭がちがうのか。それを特定することは容易ではない。容易ではないし、容易ではないそれを特定するなど野暮なことをせず、体感している香りは日本のそれとはただちがう。それが海外ではなかろうか。
……と思っていたのだが、その”香りとしての異国感”は今やもはや浅草や六本木でも十分に感じることができる時代となった。
中国や韓国からの人間は言わずもがな、東南アジアからの観光客も多い。
ひとびとの香りのちがいを非現実性ととらえた海外旅行はもう成り立たないと感じるのだ。
島国ニッポンに在り、国外の文化や特性が少なからず浸透しつつある世界情勢において、海外の地へ赴くことの意味を再考するにはとてもよい環境だ。
もっとニッポンを大事にしたり、「コレをするにはこの国がよい」という具体的なキャラクターをもとめて旅をするというのも面白いのかもしれないし、よくよく考えると多くのひとはすでにそういう動機で旅をしているものだと思う。ぼくは情報が考察として真に染み入ってくるのが少し遅いほうかもしれない。
アタマワリー