魚を与えるのか、釣り竿を与えるのか

昔、あるべき国際援助についてこんなことを聞いたことがあります。

「お腹をすかせている人に魚を与えれば、数日は空腹を感じさせないですむ。だが魚を食べ尽くしてしまったら、また空腹に苦しむ日々を送ることになる。けれども釣り竿を与えて、魚の釣り方を教えれば一生食べ物に困ることはない。」

聞いたときにはなるほどと思いましたが、最近学ぶことについて考えるときにこの話を思い出し、今ではこの話は通用しないのではないのかと思うようになりました。

この話は「海や川や湖には食べていくのに十分な魚がいる」という前提がないと通用しないのです。

いくら魚の釣り方を教えても、そもそも海や川や湖に魚がいないのでは釣りをすることも出来ません。

昔ならあって当然だったものがある日突然なくなってしまう。そんなことも今では珍しくなくなってしまいました。文字通り湖が消えてしまった地域さえあります(アラル海がそうですね)

これは子どもに対する教育にも同じ事が言えるのではないかと思います。

丸暗記の一夜漬けでも定期テストなら何とか乗り切ることは出来る。でも、数日経てばほとんど忘れてしまい、入試の時に苦しむことになる。けれども普段から計画的に効率の良い勉強法を探しながら勉強していけば、入試や資格試験の時に役立つ自分なりの効率の良い勉強法を身につける事が出来る。そうすれば安定した職業に就くことが出来て一生安心して暮らすことが出来る。

昔は確かにこの通りだったかもしれません。

私が30年前の高校時代に読んだ和田秀樹さんの「受験は要領」という本にこんな意味のことが書いてあったようにきおくしています。

一流大学を卒業して大企業に就職すると生涯賃金は約3億円。一方、中小企業に就職したら生涯賃金は1億円以下。僅か数年の受験勉強でこの差がつくことを考えたら、こんなに割のいいアルバイトはないのではないか?

金額などはうろ覚えですが、大意としては間違っていないと思います。

当時はバブル景気が始まるかどうかといった時代。確かに当時の常識はこの通りだったかもしれません。

けれども現状はまったく違ってきています。

どんな大企業でもいつ経営が傾くか分からない。一生、同じ会社に勤め上げること自体が難しくなっている。仮に同じ会社に勤めていたとしてもやるべき仕事はどんどん変わっていく。

「海や川や湖には魚がいる」という常識と同じように「大企業に入れば一生安心」という常識がまったく変わってしまっているのです。

食べていくためにはどんどん変わっていく状況に次々に対応していく必要があるのです。

魚が捕れなくなったのならば、畑で作物を作るのか、釣り竿や釣り針を作って魚が捕れているところで商売するのか...新たに食料を得ることを考えられるように新しい事を学び続けるための方法。

いままでの仕事が求められなくなっても、自分の適性や興味を考えながら社会に求められる仕事に必要な事柄を学び続ける為の方法。

単なるノウハウではなく、そんな学び続けるための方法論が今は求められているように思います。

そんな学び方を研究しているのがtoiee-labです。

自ら学び続けて、成長していくにはどうしたらよいのか?

そんな問いかけの答えがtoiee-labで研究している学習理論にあると感じています。

私自身もその学習理論を応用したワークショップを開催したり、普段の授業に取り込んでいくことで、今後自ら学び続ける人を増やしていきます。

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