じっかん

いつも聞いているラジオで「実感」について話していた。内容はほんとに取り留めもなくて、ただ年末に温泉旅館で過ごして、部屋から見える景色が最高で、ほんとに最高だった!みたいな話だったんだけど、そういうオチもないただこう感じた!って話を、そのラジオの中では「実感話」と呼んでいた。

「実感」は突然現れる。

ラジオの話のように、ライブ的にただ目の前に広がることもあるだろうし、その逆にじんわり心の奥からにじむこともある。

自分を可愛がってくれていた親戚のおばあちゃんが亡くなった時、葬式では泣けなかった。いなくなったとは思えなくて、またあの家に行けばいつものようにお茶を持ってきてくれるような気がした。葬式から少しして遺物の整理か何かでその家を訪れた時に、妙に静かな上に少しカビ臭くて、肌感覚でここに人が住んでいないことが伝わってきた。その時に、もうここにおばあちゃんはいないんだと、実感して苦しくなったことがあった。

「実感」ってたぶん、自分の感情をそのまま100%受け入れることにあるんだろうと思う。体験的な実感は、脳にズバーン!とリンクして今この綺麗さや楽しさや面白さを伝えてくる。だから人に話してもそのズバーン!感は伝わらない。対して、時間差のある実感は、受け入れたくない思いや信じられないがその時にあって、時間が経つことでそのケバみたいなものが取れてきて、受け入れられるようになった頃にズバーン!と来るんだろう。

毎日のように歩いた鴨川沿いは、甲州街道沿いに変わった。ここにはアオサギもいなければヌートリアもいない。いま、東京に越した実感が湧いていないということは、これから少ししていずれズバーン!と寂しくなることになるんだろうか。こわいな、実感。

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