3月6日の高田馬場

早稲田松竹に「オーバーフェンス」を観に行った。もんやりとねずみ色みたいな沼みたいなところに佇んでいたところに映画を観たら、掬い上げられた、そして外に連れ出された。加藤典洋さんが本を読むことについて「雨に降られることに似ている、一雨来て景色が生き生きと見えるような」と、そういう表現をしていたけれどまさにそういうような状態と心持ちに変化した。ねずみ色が雨の色になった。

映画のあとにドトールに寄りするするスマホで言葉を打った。

人と一緒にいるってなんて怖いことなんだろう、でもなんて美しいことなんだろう。わたしは美しさを知っている。いや人と人の関係の美しさなんて知らないけど、けれどあの子やあの子やあの子との絶対的な美しい瞬間を、共有できた!かもしれない!ということはあった。一緒にみた、つくった、感じた、「あの」美しさは知っている。というだけなんだけど。ただ、知るという動詞は頼りない。わかる、理解する?「わかる」ことの三つ目の条件は、「真であることを正当付けるにふさわしい理由がある」こと。わたしは真であることを正当付けるにふさわしい理由を、それぞれの美しい瞬間に持っている。オーバーフェンス、しちゃった、もしくはひらいてしまっていた、そのときのわたしとあの子やあの子やあの子との作用によって。三つ目の理由だけでもときには十分かもしれない。

連れ出されて雨にざあざあ降られたかった、だから最近ひさしぶりに村上春樹をやたら読みたかったりしたんだなあと、あとに気がついた。

Like what you read? Give yu dobashi a round of applause.

From a quick cheer to a standing ovation, clap to show how much you enjoyed this story.