yamachan
11 min readSep 10, 2017

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【ネタバレ】映画「三度目の殺人」のネタバレ解説【ねたばれ】 — 表と裏のストーリーに関する妄想に近い私の理解をまとめてみました

この週末に是枝裕和監督の映画「三度目の殺人」を観てきました。凝った構成の脚本で、多くの伏線が張られているように感じましたが、主に解釈できるのは2パターンで、そのどちらかは明確な結論を避けているように感じます。

一緒に観た嫁さんも混乱したみたいですし、ネットの感想をみても意見がいろいろ分かれている気がします。なのでここで、私の理解をまとめてみました。ちなみに1度しか観てないので、細かな見逃しや、記憶違いがあるとおもいます。個人的な妄想話、二次創作、ヨタ話程度に読んでください。

私の最初の感想

ツイッターで映画に関して3つ呟きました。以下の順です。

#movie 「三度目の殺人」久しぶりに劇場で嫁さんと。是枝監督+福山雅治/役所広司/広瀬すずなサスペンス映画。観てよかったと思える作品でした。

容疑者Xの献身と非常に似た構成のドラマ、とみせかけて、特殊な能力をもって生まれた哀れな男の悲しい人生と最後の救済の物語。

三隅はサトリに近い感情同調があり、殺人の器で殺意はない。鳥を殺したことが自身の罪。証言が不安定なのは摂津らの影響。相手に同調すると行動を起こし、二度目の殺人は咲江。三度目は重盛で、咲江を守りたい想いに同調し、結果自身も救われた。

表のストーリー

伏線をあまり気にしないで素直にストーリーを理解すると、こんな感じかとおもいます。

役所広司演じる三隅高司が、広瀬すず演じる山中咲江という娘のために、その父親を殺害してしまう。もしくは咲江の殺人を幇助してしまう、もしくは咲江の殺人を庇って犯人になろうとする。

福山雅治演じる弁護士、重盛朋章は三隅の罪を軽くしようと関わっていくが、三隅と咲江の関係に気がついてしまう。咲江は三隅のために何かできないか悩んでいたが、それが大きなきっかけとなり、法廷に立ち三隅の減刑のために証言することを決意する。それは咲江にとって辛い決断だった。

しかし三隅は咲江を自分の娘のように大切な存在と感じていて、咲江が法廷で自分の秘密を明かし、傷つくことに耐えられなかった。そこで三隅は減刑を諦め、わざと遅すぎる無罪の訴えをすることで、咲江の証言を不要にしたのだ。

三隅は自身の死刑が無期懲役に減刑されるより、咲江の将来を守ることを選択した。同じく娘をもつ父親としてその気持ちを理解した重盛も、自身の裁判で勝ちを優先する考えを改め、三隅の行動を支援する。

二度の殺人を犯した三隅は死刑になることが確定する。これは三度目の殺人である。三隅と重盛という二人の人間が、司法と死刑という手段で、三隅という人間を殺すのだ。

最後に重盛が十字路(十字架)の上に立ち、頬を拭うのは、彼は自分も罪人だと知っており、以後はそれを背負って生きていかなければならないからだ。

残される違和感

私は最初、この表のストーリーはすぐ予想できた。キャストやポスターから咲江が主要人物三人のうちの一人なのは明確だし、映画序盤における露出も多かったからだ。

しかし途中から描写に違和感を感じることが多くなり、上記の表のストーリーと関係ない伏線が幾つかみられることから、裏にもうひとつのストーリーが隠されていることは判った。

そもそもだが、表のストーリーには過剰すぎるのだ、三隅高司の態度の怪しさと不安定さ、演じる役所広司の表現が。そして接見室でのシーンが多すぎ、尺も長すぎる。たぶん監督は、表のストーリーに関してはかなり際どい動機を設定したことで、補強は不要だと考えたのだろう。

特に私が気になったのは以下の点

  • ガラスに手をかざしただけで、三隅が重森の娘のことを口にしたのは何故か。偶然でなければどうやって知ったのか
  • 鳥の墓と山中の死体に共通する十字架
  • 三隅と重森の類似性、特に「命は選別されている」などの発言について
  • 三隅が最後に言う「あなたのストーリー」の意味

鳥の墓なのですが、十字架を含めとても小さく丁寧に作られていました。また重森がそれを見つけるのは三隅の家に咲江が遊びに来ていたことを知った直後です。

そしてその少し前、重森と娘の会話に金魚が出てきたのを覚えているでしょうか。重森は娘に言います「ちゃんとした女の子は死んだ動物に墓を作ってあげるものだよ」みたいな感じのことを。

また三隅は殺人に対しては罪の意識を感じていないのに、殺した5羽の鳥には強い罪の意識を感じているような描写もあります。丁寧に弔った行動の後にまだ気にしている、のでしょうか。

これらをあわせて、私の印象は「鳥の墓は咲江が作った」「十字架は咲江」です。よって山中の殺人は、十字架の形で火葬されたこともあわせ、咲江の意図のように思えてきます。

三隅の正体

ここで私は少し困りました。咲江が実行犯である可能性は低いですし、咲江が三隅に細かな殺し方まで指示するのも変です。ここは「三隅は咲江のために山中を殺した」ではなく「三隅は咲江の山中を殺す意図を理解して、それを代行した」と仮定してみました。

三隅は咲江と仲良しでしたから、咲江の価値観を理解していた可能性は高いです。なので咲江のかわりに殺人を実行することは可能なはず。でもどうして?自分なりのやり方で殺すのがやはり自然です。

ここで三隅のこれまでの行動が意味をもってきます。たまに不安定に見えるのはどうしてか。何かあるたびに供述が変わるのはどうしてか。

警察に取り調べられているうちは、自供し、素直に犯行を認めていました。摂津という弁護士が事務的に担当していた間は、ぼんやりと曖昧な返答をしていたようです。重盛が担当してからは、感情を表に出すようになりました。

そして何より、週刊誌の記者との会見後、自供内容が大幅に変わります。銀行振込をもとに山中美津江を主犯格に仕立て上げる話は、本当であればもっと前に話しているべきですし、その後の様子をみても隠す様子はありません。本当に三隅の意見なのでしょうか?

裏のストーリーですから、思いきって仮定してしまいましょう。三隅には少し特殊な能力があります。重森が娘の心配をしていることをガラス越しに察知する能力、つまり人の思考や感情を読み取る能力、です。

いや、そんなに便利なものであれば三隅はこんなに悲惨な状況になっていませんね。たぶん人の思考や感情に同調してしまう能力。あまり強い能力ではなく、特定の相手にしか強く同調しないのではないでしょうか。

そう、違和感の最初のひとつ、ガラス越しに重森の娘の話をするシーン、あれは彼の変人さを示す変な例のひとつ、ではなく、裏ストーリーの鍵となる行為なのです。

三隅の人生

ではその同調能力をもつと仮定して、三隅の人生を振り返ってみましょう。彼の育った家庭は悲惨だったと語られています。暴力的な環境だったようで、両親の影響をことさら受ける彼は、かなり暴力的な若者だったのではないでしょうか。回りの影響を受けるぶん、自身の性質はかなり控えめ、つまり空っぽの人間だったように思われます。

そして北海道での最初の殺人事件。映画の中では老いた巡査が語っていた話ですが、三隅が殺したのは周りから恨まれていた、質の悪い借金取りだったとか。彼自身が何かされたのでしょうが、周りの人々の恨み辛みに強く影響され、殺人を犯してしまった、というのはどうでしょうか。

最初の殺人の後、三隅は駅のベンチでただ座っており、空っぽに見えた、と巡査は言っていた気がします。殺人の後、怖くなったり罪の意識で逃げださず、ただ座っていたのは、皆の憎しみから解放されたから、かもしれません。そしてここから30年間、彼は服役します。

そして服役後、山中の会社で働きます。彼はここで山中咲江と出会い、仲良くなり、娘のように感じ始めます。そして咲江の苦しみに同調してしまい、山中がかなりの悪人なので躊躇なく、咲江の望み通りに山中を殺害してしまいます。

三隅にとって二度目の殺人、なのでその後の流れはわかっています。憎しみから解放された彼に逃げる意欲はありません。家賃を前払いし、鳥を手にかけ、服役の準備を始めます。この間に咲江が訪ねてきて、鳥の墓を作ります。(ここ、若干自信なし)

これまでの二件の殺人、三隅自身には殺すほどの強い動機はありません。もともと感情の乏しい人間ですから、動機などうまく説明できません。刑事たちの取り調べの際、誘導に抗えるとはおもえません。

それから拘留されている間、個室にいる三隅と、接見室にいる三隅の違いに注目です。無心にピーナッツバターを食べている姿、鳥だけに強く反応する姿、この空虚な人物が本当の三隅なのでしょう。

そして裏ストーリーへ

さて弁護士が摂津から重盛に交代するあたりから、この映画は始まります。摂津は三隅との接点があまりなく、同調する要素は少なくおもわれます。

しかし重森は違います。同じ北海道出身、そして娘の父親です。そして実は情熱的な性格です。たぶん本質的に少し似たところがあったのでしょう。三隅は重森には反応します。

重森と接見することで、三隅も感情をあらわにしてきます。特に重森が三隅の故郷に行った後、そして重森が三隅の前で感情を強く出した後、三隅も影響されてどんどん感情が見えてくるようになります。

そして山中咲江が三隅の弁護を重森に相談した時、咲江の状況を知って、重森もまた咲江を守りたいと思ってしまいます。三隅の感情にすっと近寄ってしまう。咲江の将来のため、裁判での証言を止めなくてはならない。

ここから重森による第三の殺人が始まります。咲江の証言を止めるために必要なこと、経験豊富な弁護士である重森ならすぐに思いつきます。でも咲江が父親を殺せなかったように、重森も実行はできない。何故なら間接的にですが人を殺すことになることも、はっきりと理解しているから。

そこで重森に同調し、その目的にも納得している三隅が、その第三の殺人を実行します。これまでと同じ代行です。ただ手段が物理的でないだけ、対象が自分であるだけ、です。

最後の接見で、三隅は初めて幸福そうな顔を見せます。これまで人を傷つけてきた、価値のなかった自分が、はじめて誰かを幸せにした。大事な人を守れた。彼にとっては苦しい人生の最後に、なにか救われた気がしたんだとおもいます。

だから三隅は重森に言うのです、重森の語ったストーリーは幸せなものである、と。このストーリーは、二人の第三の殺人をも含んでおり、そこまで合わせて三隅にとっては幸せなストーリーなんだ、と。

そして重森はやっと気がつきます、三隅が器である、その意味を。三隅の行動は、自分が願っていた行動どうり、だから裁判はすべて彼の想定通りに落ちついたのだと。出来すぎだった、と。

最後、死にゆく三隅は光が当たり、神々しく見えます。人々の罪を背負ったキリストとは違いますが、彼なりの幸福を得て。

それに対して重森は十字路に立ち、まるで十字架の上に居るように、頬についた血を拭うような仕草をします。彼は自分の罪に気がついてしまった、それを背負って生きていくのでしょう。

おまけ

三隅にはサトリのような、共感?同調?能力があると仮定しましたが、ここが少し荒唐無稽で、だからこそ、しっかりした表ありきの、裏ストーリーなのかな、と。まあ空気人形を撮った監督ですし。

超能力でなく、すごい観察力とか推理力とか他の設定でもあまり変わりません。ただ今回の三隅の場合、望んで得た力ではない、というか、御しきれないで人生が狂ってしまった、という感じなので、そっちが合うかな、と。

主人公が福山さんだし、表のストーリーは「容疑者Xの献身」に構成が似てますよね。不遇の中年男性が、知り合いの母娘、特に娘を助けたくて罪を背負って殺人を犯す。被害者はどちらも娘の実の父親です。是枝監督がそれに気がつかないはずがない。でもあえて、それも踏まえて、表のストーリーとして使ったんだとおもいます。福山ファンのことまで考えてくれたのかもしれませんよ?

なおこの映画に関しては司法のあり方、について興味深い描かれ方をしています。非常にリアル。その関係かな?とも思いましたが、司法の描写とストーリーはそれほど強くは絡まない気がしています。司法を含んだ現代社会の問題、は確かに影響しているし、大事なテーマの一つだとはおもいますが、今回のストーリーラインの中心に来るかと言えば、ちょっと違う気が。。

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yamachan

Web系技術者。映画, 特撮, 功夫, ロボット, アニメ, ガンダム, 立ち呑み, Kindle, ゲーム(steam,PS4,Vita,3DS,iPhone), 懐パソ(PC-6001, MSX, X68000), JavaScript(Dojo, jQuery), 模型, 乃木坂46 が好き。