「エコノ」と「ヒューマン」
穏やかでない言葉ですが、 DOA (Dead on Arrival、到着時心肺停止)という医療用語があります。
病院に到着した時にはすでに、患者の心肺が停止しているような状態を言うのだけど、私は、おそらくプロダクトやサービスについても、「DOA状態」というものがあるのではと思っています。なんとか市場投入まで漕ぎ着けるも、想定ターゲットから総スカンをくらい、レビューでも酷評され、発売後数ヶ月で市場から姿を消してしまうような状態。今までの苦労が報われずに終わりを迎えるという、ものを作っている立場としては、最も避けたい事態です。しかし、残念ながら、DOAは決して少なくない確率で起きています。
数年前に、ある映像コンテンツサービスの立ち上げをサポートしたことがありました。高齢者向けやDINKS向けなど細かくセグメント化されたマーケット調査がなされ、パワーポイント資料には、棒グラフやパイチャートで分かりやすくターゲットのコンテンツ視聴行動がまとめられています。そして、その市場は大きい/競争相手もいない、と導き出している。そんな風に綺麗に論理が組まれたそのビジネスモデルは、非の打ち所の無いように思えました。
その後、何とかローンチまでこぎつけ、幾つかのメディアに大々的に取り上げられるも、初月ユーザ数は予想の60分の1。その後、そのサービスは低空飛行のまま許容幅をはるかに超える赤字を出し続け、開始4ヶ月で終了を迎えます。データと論理を以って、存在が証明されていた市場。しかし、実態はと言えばそんな市場は存在しませんでした。棒グラフやパイチャートで存在を証明されたはずの人たちはどこに行ってしまったのか?
エコノとヒューマン
DOAを目の間にして、「もっと具に調べればそんなことは起きなかった」と言う人もいるかも知れません。確かに、より広範に、より深くデータを当たれば、違った風な結果になったかもしれない。でも、これはリサーチや予測の精度の問題ではなく、ヒト、集団、群衆、社会常識のようなをモデル化するフレームやアプローチそのものが根本的に間違えていたかも知れない、もっと他のいい方法があるかも知れない、という立場で考えてみる方がより未来的で真摯なアプローチのように思います。
サービスが失敗する原因は無数にあって、単一の原因に帰結させるのはあまりにアンフェアです。しかし、なぜDOAが起こるかというと、かの「棒グラフやパイチャート」に原因の一つかも知れません。「○%の人が、〜をしたいと思っている」という時に前提に置いている「人間像」は、実際にサービスを使う実在する人間そのものとあまりに乖離しているように思います。
棒グラフでは、「人は、自分の行動から得られる便益とコストを適切に考えて意思決定を行っている」ということが暗黙的に前提とされています。ここでは、人間は –疲れていようが元気だろうが、目の前に意中の女性がいようがいまいが、夏だろうが冬だろうが– いつも同じように選択を行い、正確な記憶力を持ち、誘惑に惑わされない強固な意思を持つタイプの人間です。
でも、”本当の人間”は、リスクに対して、メリットよりも敏感に反応するが故に、入らなくてもいい保険に加入し、目前の快楽を選択するが故に毎晩のようにお酒を飲み、砂糖まみれのアイスクリームを食べだりします。
少し本筋から逸れてしまうけれど、(それがインタビューであれアンケートであれ)リサーチという一般の人にとって「不自然なコンテクスト」の時に得たデータの取り扱いについては、特に注意が必要です。一般的に、人は、ステレオタイプ化されたデモグラフィー(集団)像と自己ブランディングを持っていて、ある時には集団の中に隠れようとし、ある時には違いを強調して目立とうとします。例えば、30代男性であれば、「俺、おっさんだから」と言い訳したり、「あれ流行ってるけどダサいと思うんだよね」と言ってみたり。回答者は、質問の内容やコンテクストに応じて意識的 / 無意識的にどちらに振る舞えばいいかを考えたりしています。
ちなみに、行動経済学という学問では、棒グラフで前提とするような論理人間を「エコノ」と呼び、リアルに近い人間像を「ヒューマン」と呼んだりしています。
むろん、人の本当の姿を知りたいと思う時、私たちがリサーチ対象としたいのは、「エコノ」ではなく「ヒューマン」です。新しいサービスやプロダクトを使ってもらうということは、行動習慣に変化を及ぼすことと同義です。人の心を揺さぶりワクワクさせるには、論理ではなく、感覚的に良い、素敵、欲しい、と思ってもらわなければならない。そのためには、ヒューマンは何をモチベーションに行動しているのか / 誰に影響を受けているのか / 彼らのルーティンや癖は何なのか などを知る必要があります。
困ったことに、ヒューマンを理解することは、エコノを理解するよりもずっと難しい。ヒューマンの意思決定やその振る舞いは支離滅裂であり、ロジカルではないし、感情的で予測不能です。
イノベーションプロセスの中で、一般的な市場調査の代わりに行うデザインリサーチは、まさにヒューマンの行動を観察し、モデル化し、インサイトを引き出すために行われます。
システム1とシステム2
エコン / ヒューマンという分類の他に、もう一つの分類モデルも紹介しておきます。
「直感的かつ自動的な思考」と「熟慮的で合理的な思考」という、2つの思考モデルの分類です。ダニエル・カーネマン(心理学的洞察を経済学に統合した功績により2002年にノーベル経済学賞を受賞)は、世界中でベストセラーとなった「ファスト&スロー」において、前者の自動的な思考を「システム1」、後者の熟慮的な思考を「システム2」と呼んでいます。
下表の分類の通り、システム1は外的刺激に素早く作用し、本能的に反応したり感じたりし、そもそも「思考」と呼ぶにすら値しないものも含見ます。例えば、熱湯に手を入れて、素早く手を離したり、可愛い子犬を見て笑顔になったり、または、2×2のような簡単な計算もシステム1で処理を行います。

一方で、システム2は、どの会社に入るか、10万円の自転車を買うべきかどうか、といった熟慮を要する決断や、115×23のような複雑な計算を扱います。システム2で思考する際は、一定の集中や努力を必要とし、そのスピードは遅くなります。
ここ数十年の心理学や社会科学系の研究では、重要なビジネス上の決断を行ったり、選挙で投票をしたりするような、システム2を必要とするような状況でさえ、感情的、無意識的、近視眼的なシステム1で処理するケースが多いということがわかってきました。例えば、有権者の投票は、候補者の顔立ち(どれだけハンサムか、人が良さそうか)に左右され、投資家は会社の名前や天気に影響を受けて投資活動を行ってしまう。
そして −ここが最も重要なポイントなのだけど− システム2で問題を処理する際も、その前提となる事実認識においては、ヒトが本来的に持つバイアスまみれの誤った考えに影響されることが多いということも。
つまり、医者が処方箋を書く、統計家を数字を解釈する、といった、ある事象がシステム2で処理されるべき場合においても、情報はシステム1というフィルターを透過することが多く、システム1の垢にまみれたあとにシステム2に到着します。
いわば、システム2は、おしるこの中に沈むお餅のようなものです。そのお餅は、あずきの汁を全て取り除いて食べるのは不可能なのと同じように、人の脳は、全てのバイアスをなくし、純粋に理性的に判断をすることは非常に難しい。
人を理解したい(そしてその上で企画をしたり新製品開発をしたい)と思う時、こうした、人が本来的に持つ不確からしさを無視することは、真摯な態度とは言うことはできません。何らかの形で、システム1が幅を利かせる「ヒューマン」の行動を、棒グラフやパイチャートではない形でモデル化する必要があるでしょう。
この「非合理的なものをモデル化する」というパラドキシカルな課題に対して、幾つかのアプローチを持っているデザインリサーチについては、別の稿で詳述したいと思います。