
塵のような小噺 十題
ETH留学記録 2019/11
みなさんこんにちは、南です。
さて、今月のテーマは「塵のような小噺 十題」ということで、チューリッヒやETHで気になったことや思いついたことを淡々と10個に達するまで書いていきます。
一応この目的を述べておくと、若干気になったけれどまとめきれていない、調べきれていない、というテーマについてとりあえず発信しておくことがこのMediumの一番の魅力であると思うからです。月刊にしているのも、前月号までの内容の撤回、付け足しなど、情報のアップデートに対してほどよい間隔だからです。きちんと書きたいなら論文に書きましょう。
目次は以下の通りです。
1. まちのなかの緑
2. 川と壁
3. 地球温暖化は予算獲得の方便か
4. デジタルの性質
5. ぼくらはデザイナーか、エンジニアか
6. ラグビーイングランド代表の守備
7. 女性の社会的地位問題
8. 建築初等教育
9. 東大建築への提言
10. 東大建築の強み(ドラフト)
1. まちのなかの緑
チューリッヒ市内では、至るところで緑が見られます。旧市街の窓なんか見ると緑だらけですし、薬局や中にはビルまるごとなんてこともあります。本当に東京もチューリッヒを見習ってもっと街に緑地を。。。
ということを書きたいわけではなく、文字通り「緑色」が市内のいたる所に広がっているのです。

緑の中でも深緑色に近い色ですが、友達(Bern在住)に聞くところによるとこの緑色は昔からの色らしいです。そのため、旧市街地では窓シャッターを緑色にする景観条例のようなものが存在するらしいのですが、調べきれていないです。面白いのは、よく見ると塗料の違いから微妙に緑色の濃さが異なり、彼いわく本物の緑色があるらしいです。確かに安っぽい緑色というのがあります。後の宿題としては、
・条例的なものを調べる
・ホームセンター的なところに行って塗料の調査
を予定しております。乞うご期待。
ちなみに、最初にこの緑色を見たとき、architecten de vylder vinck taillieu が鉄骨やカーテンに緑を使う理由に繋がっているのではと思ったのですが、こちらも調査中です。
2. 川と壁
先月号で述べたとおり、現在ランドスケープの設計授業をとっていますが、いまは最初の一ヶ月で作成したプロトタイプを実際の地形に合わせていく過程です。そのため、RhinocerosとGrasshopperを用いて自分たちの地形をモデリングしている最中です。

この小噺はこのモデリングの手法から。地形のモデリングに際して、DocofossorというGrasshopperのプラグインを用いています。ちなみに開発者がTAという素晴らしい環境です。このプラグイン、簡単にいうと点や線、面を入力パラメータとして、地形(サーフェス)をうねうね変更させていくイメージです。僕らの敷地は川なので、流路をもちろん設計しなければならないのですが、一般的なイメージでは川の流路を「削る」ように、期待する流路を線データとして入力します。ただ、この手法が抱える問題点は、川の増水に対応できないことです。川は侵食と堆積によって成長し、また洪水による流量変化に伴う水面上昇も定期的に発生するなど常に不安定です。つまり、流路を直接インプットする「ポジ」の設計は難しいのではないのでしょうか。川がここには来てほしくない、ここは越えてほしくない、といった流路の可能性を削っていく「ネガ」で設計していくほうが自然な気がしています。
この話をいわゆる建築にも応用するとどうなるでしょうか。川は地形を分断しますから、同じように空間を分節する壁を例にしましょう。壁を作ると空間が分かれるのか、それとも異なる空間のはざまに壁が存在するのか。ハコとハコの間のスペースが「豊か」なスペースになる。このようなありきたりな議論のもう一つ外側に「変化する、不安定な建築」の手がかりがあるように思えます。
よくよく考えると、建築が「こうしたい!」という積極的選択と法規など「こうしなければ」という消極的選択の集合体という話とも結びつけられるかもしれません。
3. 地球温暖化は予算獲得の方便か
建設業は二酸化炭素排出量削減に対してかなりポテンシャルを持つと言われています。もちろん運用段階も含めての話ですが、施工関係の排出量も削減することが課題となっています。つい先日、 the Swiss National Centre of Competence in Research (NCCR) Digital Fabricationによる、DFAB HOUSEに見学に行ってきました。ロボットによる施工や3Dプリンターによるスラブの使用などの先進技術を用いて家を建てましたというプロジェクトです。シェル構造でおなじみのProf. Dr. Philippe Blockによるプレゼンが素晴らしかったので、この小噺はそこから。

彼らが進めるプロジェクトのイメージは「digital fabrication」ですが、まずその認識を改める必要があります。digital fabricationはどのようにデータを出力するかの話で、デザインプロセスの一部でしかありません。彼らの進めるプロジェクトの軸は3つで、以下のようにそれぞれが異なる問題につながっています。
Structural geometry > Pollution (CO2)(使用資材量を形状により減少)
Funicular form > Resource depletion (資源枯渇、特にコンクリート)
Digital Fabrication > Material waste (コンクリート打設に伴う廃棄物など)
特に彼は床スラブに興味があるそうで、建築全体の重量の多くを占める、設備などが入り組む部分のためdigital fabricationを用いたpre-constructionの研究との相性がよさそう、といったところが主な理由のようです。
彼の説明はとにかく論理的に問題意識が研究テーマに直結していました。ここ数年、建築界に吹き荒れるComputational Designの波が一体どこへ向かうのかというのはずっと僕の疑問で、ある意味「大人の遊び」化しているようにも思えていたのですが、彼らはもしかするとPlayground状態から脱して環境問題という地に足のついた問題に取り組んでいるのかもしれません。その証拠に、研究内容をどのようにスケールさせるか、ということをスピンオフ企業という手段により彼らは本気で考えて始めています。
この環境問題という根拠が、単なる研究の予算獲得のための大義名分にならないようにするということは、これからしばらくの課題ではないでしょうか。
4. デジタルの性質
先日、MuDA (Museum of Digital Art)なるものに行ってきました。展示は Vera Molnarという方の個展で、現在95歳のデジタルアートの先駆者で知られているようです。もともとサイコロを用いた作品を作っていたのが途中でデジタルアートに目覚め、1980年代頃から下の写真のような作品を作り始めたらしいです。というのも、「ランダム」が彼女の一つのテーマで、デジタル技術と非常に相性が良いと思ったからだそうです。

先駆者というだけあって、作品自体はシンプルながらもデジタル技術のもつ性質について再考できるだけのシャープなテーマが垣間見える良い作品でした。先駆者だからこそ、それまでの作品と異なる特徴が見えやすいのですかね。例えば上の作品、左の一枚から右の一枚へ単に線が付け加えられていくだけなのですが、これはデジタル技術の重要な性質の「正確性」から導かれる「再現性」によって作品の質が担保されているように思えます。すべての線がきっちり同じであるからこそ、左から右へ「線が付け足されていく」という時間軸が存在しえるのであって、これが手書きの適当な線の連続ならばそこに共通した文脈は存在せずバラバラな5枚の連作になるでしょう。(だからこそあのクオリティを手書きで実現していたスタジオ・ジブリには驚かされるのですが。)
もしくは、彼女の掲げるテーマ「ランダム」も非常に興味深いデジタル技術の性質です。しかし、このランダムという機能は一次的性質(最上位の性質)ではなくいくつかの性質の集合により成り立っているようにも思えるので、きちんと一度この「性質」の関係性と、「性質」から生み出される「機能」については考える時間を取りたいと思っています。
それに際し、現在読み進めている本をここで述べておきます。一つは、CCAによる「When Is the Digital in Architecture?」。デジタルというワードは非常に危険なワードです。定義の仕方によっていくらでも意味が変わります。しかしながら、その意味の違いをうまく使いこのテーマに沿った短い論考が集まった面白い本です。正直こういう卒論にしたい。もう一つは、この本にも寄稿している建築史家Mario Carpoによる著作「The Second Digital Turn」です。比較的有名な 「アルファベットそしてアルゴリズム」とは異なり邦訳されていないので、留学を機にKindle版を購入しました。帰国したら勉強会ぜひ開きましょう。
5. ぼくらはデザイナーか、エンジニアか
これは2.で前述したプラグイン開発しているTAに言われた言葉です。現在取っているスタジオはRobotic Landscapeと名前がついている通り、このデザインとエンジニアの微妙な駆け引きを建築家という立場で一人二役でこなす必要があります。エンジニアに何ができるかという制限を知ることはデザインの初期条件になりうる一方で、デザインを達成するために行った実験(エンジニアサイド)の失敗がデザインにフィードバックをもたらすことも多々あります。これをどうまとめるかは非常に難しいのでこの辺にしておきます。
ところで、前述の彼はランドスケープに精通している一方で、Grasshopperを用いたモデル作成についても担っています。これは僕の感覚ですが、モデル作成や設計手法について論じるとともに、その手法を用いたプラグインを作成し発表するというところまでを行っているPhD researcherが一定数います。フィールド調査や文献調査と同じように、とりあえず新しい手法に沿ったツールを開発し、そのツールの開発とそれに集まるフィードバックをもとにまた論を再展開する。これはこれからしばらくデジタル界隈の論文の書き方として主流になっていくのではないでしょうか。非常に興味深い潮流だと思います。僕らは理論をこねくりまわすためではなく最終的にはモノを生産するために存在するという意味で。

6. ラグビーイングランド代表の守備
日本のニュースはあまり見ないので、気がついたら台風が来ていたり、首里城が燃えた話もつい昨日知ったりという感じなのですが、ラグビーW杯のハイライトは割と見ました。とても面白いスポーツですね。特に、イングランド代表の攻撃的(積極的)な守備は見ていて気持ちのいいものでした。
もちろんこんな話をするためにこのテーマを掲げたわけではなく、「攻撃的守備」、このワードで小噺を始めたいと思います。守備は基本的に受け止めるものです。同じように僕らは災害に対して受身になるしかないのでしょうか。
現在進めているスタジオでは、度々起きる洪水に対してどう対策するかというのが非常に大きなテーマです。しかしながら、洪水はいつ起きるかわからない。建設中に起きたら? 洪水でシステムが破壊された直後にもう一度洪水が起きたら? いくらでもシチュエーションは生み出すことができます。もちろん万能なシステムは存在せず、この無限に生まれるシチュエーションに対して無限に解決できていない問題が発生する、この状況は皆さんも経験があると思います。ところがこちらの学生は割とバシバシ決めていってしまう人も多いように感じます。悪いように言えば「詰めが甘い」となるのですが、何かを仮定したときにしかデザインは生まれません。仮定というのは「決定」です。すなわち無限を有限で区切るというべきでしょう。「締め切りがデザインを生み出す」という某先生のお言葉も理解できます。
よく考えれば、「仮定」「検証」「調整」のループは工学理学の世界では当たり前とされているものです。素直にこのループに乗って設計することも必要なスキルなのかもしれません。無限の可能性をもつ攻撃に対して、柔軟に対応しようという守備は機能しません。攻撃を仮定し、絞った守備体制を敷き、タックル後調整していく。こんな姿が僕たちには求められているようです。
7. 女性の社会的地位問題
現在ホットな話題となっているこの問題ですが、現地の学生も交えてお酒飲んでいるときにこの話題が出てきたときは正直驚きました。普通の話として出てきます。少なくとも日本が後進国だということは認識されていそうでしたが、東大の女子率の低さについて入試制度が点数勝負であることは一つの要因ではないか(海外大学ではポートフォリオ選考のため女子率をコントロールできる、実際しているらしい)という話をしたら、別に本気で問題だと思うのならば試験を分ければいいじゃないかという意見を頂戴しました。おそらく日本で男女別の試験実施となれば「逆差別」論者が盛り上がるでしょう。実はETHの建築学科の教授陣も男性がかなり多く、学生もこれに対しては問題を感じているようです。
これに引き続き、生徒と教授の関わり方に移ります。最も驚いたのが、ハラスメント(パワハラ、アカハラなど)に対する意識の高さ。生徒が教授に対してハラスメント(例えば講評中に強い口調で攻撃されるなど)を受けたとして、その場にいる一定数以上の同意(すなわちこの行為がハラスメントだという共通理解)が得られればそのままそのハラスメントに関する議論に移行できるというルールがあるらしいです。しかも実際にそのルールが一度適応されたと聞きました。もはや理解の域をこえているのですが、備忘録的な意味でもここに書き残しておきます。
8. 建築初等教育
ETHでは学部3年の教育制度ですが、最初の1年は短いタームで様々なテーマに触れ、2年生は3つのスタジオにわかれ一年間そのスタジオに所属します。そして3年生からは修士の学生と一緒に設計製図のスタジオを受けるというシステムになっています。ちなみに、ETHは入学試験がないため、逆に進級が実質的な入試のようなもので、1年生から2年生で100人以上減るというように学年が上がるごとに人数が減っていくらしいです。僕として、2年生が3つのスタジオに分かれるというところが非常に面白いと感じていて、スタジオごとにどのような特徴があるのかということは帰国までに抑えてみたいなと思っています。その一つを率いる、Tom Emersonのレクチャーでは、異なる年度にスタジオを受講した複数人の学生と教授本人が対談するという非常に面白いものでした。同じ教授が何年もスタジオを開講することで、どのようにスタジオとして興味が移っていったか、どのように先代の作品を参考にしたのかという、時間軸の伴った教育システムが構築されているように感じました。
9. 東大建築への提言
このままこのテーマに移行します。というのもこの「時間軸」こそ東大建築にいま欠けているものであるように感じるからです。
基本的に東大建築の縦のつながり、すなわち研究という形での情報、知識の継承は研究室という単位で発生しているといえるでしょう。正直、研究室を超えた関わりが大事だ、縦割り反対!という意見に対して言いたいのは、まず研究室が本当に「縦」として機能しているのかということです。ここでいう「縦」は同時期に所属するグループではなく時間軸に沿って継承される縦軸です。 家庭教師ヒットマンREBORN!でいうボンゴレです。この「縦」機能の維持に欠かせないのがアーカイブという概念です。これが現在東大建築が抱える問題の根源な気がしています。その意味で、去年の卒制時に先輩方が取り組まれていたプロジェクトは本当にすごいと思います。同期には今年もぜひ続けてほしいです。
アーカイブシステムがETHでは非常によく機能しています。例えば、スタジオの昨年までの成果物はサーバー上で見られます。もしくは教授それぞれが持っているウェブサイト上に公開している場合もあります。例えば、先述したTom Emersonのスタジオのウェブサイトでは、過去のプロジェクトが写真、説明とともにまとめられています。また、スタジオの成果物を定期的に出版しているスタジオもあるようです。アーカイブは情報の発信の肝ともいえます。
ただ、このアーカイブのシステム、潤沢な資金によって支えられているという事実もあります。どうやらスタジオではTAが一年単位で雇われているので学期終了後もそのまま成果物の編集作業に従事できるという実態があるようです。東大建築はETHに比べ少人数であるため、資金的にこのシステムが真似できないとしても、学生側の努力で機能する一例を紹介したいと思います。
実は、今受講しているスタジオ、普段の課題に加え、毎週の活動をIndesignのフォーマットに従ってまとめることが義務付けられています。日記みたいなものです。逆に言えば、最終講評時にはその活動記録が見れ、アイデアのプロセスとともに理解できるポートフォリオが完成していることになります。これは学生側からしても非常に意味のあることです。わざわざポートフォリオをまとめる必要がないわけですから。そして、このポートフォリオは来年度のスタジオの学生の参考資料として活躍するというループが始まっているのがわかります。
2,3年生の課題についても全員がポートフォリオを作るシステムがあっても良いのではないでしょうか。自身のポートフォリオ作りに学生が苦労するのを見る限り、おおよそwin-winなシステムと言えると思います。特に東大の場合は、課題の内容(目的、ねらい)がおおよそ毎年同じなので非常に参考になると思います。今のところ思いつく自分も含めた東大建築(の学生)への提言です。
10. 東大建築の強み(ドラフト)
テーマを書いてみたものの、具体的な内容が思いつきません。東大建築が最悪だということを言いたいのではなく、ETHを批判的に見れるほどまだ日数が経っていないという理由によります。しかし、最終的には東大の何が強みかということは、外に出て内を見つめ直すという意味で留学の成果の一つであるべきだと信じているので、このテーマは「常に見つけようと努力していること」として書き残しておきます。
しかし、今でも一つ言えるのは総合大学であることを大いに活用すべきです。建築学科が工学部に属し、かつここまで全体のレベルが高い総合大学はなかなかないと思います。ダブルメジャーが可能ならばとても素晴らしいのですが。
淡々と思っていることを書きました。塵のような小さな話ですが、積もって、というより塵ひとつひとつが山に成長することを願いながら今回もこの辺で筆をおくことにします。
