疾走ラプソディ

カーテンの合間から差し込む朝の陽光を浴びて今日が月曜日だと気がつかされる。
月曜日が嫌いって言う学生は多い。
これから金曜日までつまらない授業を受けるはめになるし、休み明けは特にやる気がでない。
人間、二日怠けだすとそうなるように上手くできているのだ。
間違いない。
現に私も今、最高にダークで憂鬱な殻の中にいる気分を味わっている。
しかし、時間というものは無慈悲なもので容赦なく進んでいく。
私はため息をこぼしながら、ベッドから体を起こし身支度を始めた。
寝汗でグチョグチョの寝巻を半脱ぎに洗面台までおぼつかない足取りで向かう。
洗面台の鏡で自分の姿を確認すると、そこに映るは私のさえない顔。
特に寝起きとあってむくみが酷い。
茶色の短い髪は寝癖により、あっちこっちに跳ね回り乱れ狂ってる。

「もう少し、綺麗な髪が良かった」

そんなことを思ったりしながら、早々に蛇口をひねり水をだす。
銀の口から吐き出される水を私は両手ですくった。
寝起きには凶器に等しい冷たい水。
私は恐る恐る顔にその凶器をぶつけた。
案の定、痛みに近い感覚が顔面を通して全身に伝わっていく。
脳内に蔓延る眠気がその感覚によって吹き飛ばされていき、強制的に脳を起動させられる感覚だ。
毎日の習慣ながらこればっかりは慣れない。
私はそのまま服を着替え、居間に向かう。
机の上には目玉焼き、味噌汁、ごはんと定番の朝食ラインナップが勢揃いしているが、時間のない私にそれらを食する時間など有るはずも無く、無残にも放置されてしまうのであった。

早いもので五月も中旬を迎え、雨季も徐々に足音を近づけつつあった。
「学生生活なんて瞬きする間に終わる」とは某作家が言った言葉だ。
まさしくそのとおりである。
このまま、あと残り一年の高校生活もすぐに終わってしまうのだろう。
そんな思いにふけりながら私は家の車庫から自転車を引っ張りだし、学校に向けて出発した。
自転車のペダルを馬鹿みたいにこぎ続け、耳には音楽が鳴り響くイヤホンを突っ込まれている。
涼風が私の体を撫でるように流れていき心地良い。
朝の爽やかな空気が体中に広がっていくのが分かる。
けれど、足は朝からの重労働に悲鳴を上げていた。
整地されていない道をタイヤが通過するたびに自転車のカゴに放りこんた鞄が小刻みに揺れる。
片道四十分の通学路。
初めて、この道を通った時は新鮮で有意義な時間だと感じていたが、今になってみればそんな気持ちはどこに行ってしまったのやら皆目見当がつかない。
今の私がこの道に感じているのはただただ「長ったらしく、めんどくさい」と言う気だるさだけである。
でも、私は自分の意思でここを三年間通うと決めた。
この気だるさを我慢してでも得たいものがあったからだ。
だから、私は後悔はしていない。
私はさらに自転車をこぐペースを少しだけ早めた。
学校に近づくにつれて、学生の姿が見受けられるようになってくる。

「なんで、お前らより早く家を出て、学校に向かってるのに同じくらいの時間に到着せねばならんのだ」

など内心、愚痴を並べながらその他大勢の学生の一人に紛れ込んでいく。
古びた校門をくぐり抜け、指定された駐輪場に自転車を置いた私は早足で教室に向かった。

教室は代わり映えもなく、見飽きた顔が並んでおり、私は自分の席に鞄を無造作に置き椅子に腰を下ろした。
朝からずっと酷使し続けた足がようやく休憩に入れる。
途端に筋肉は緩み、疲れが全身を蝕んでいく。
私は楽な体勢をとろうと、頭を机に埋め、小さくため息をついた。
木と黒鉛の混じりあったような匂いが鼻を支配し息苦しい。

「おはよう、優子」

私は自分の名前を呼ばれ、ゆっくりと埋めていた顔を持ち上げた。
途端に息苦しさから解放され、肺に十分な空気が入ってくるのが分かる。
目の前には詩織が女の子らしい可憐な笑みを椅子に座る私を見下ろすような状態で立っていた。
彼女の大きな目には私の疲れ気味の顔が写っているに違いない。
整った眉を少し細め、目元にかかる髪を詩織は払う仕草をする。
その瞬間、髪は綺麗に波打つ。
詩織は黒くて長い髪をしている。
一本一本が艷やかで根元から毛先までおさまるまとまり感。
そして傍から見て、分かるほど髪の内側からはうるおいを感じる。
私のパサパサの髪とは大違いだ。
おまけに詩織は可愛らしい顔をしているし、人柄も良い。
本当に羨ましい。
私が男なら惚れていること間違いない。
私はそんな詩織と自分を無意識のうちに比べてしまい内心ため息をつき、静かに挨拶を返した。

「今日も、朝からご苦労さま。いつものことだけど大変だね」

詩織はそう言いながら、私の隣である自分の席に着く。

「仕方ないでしょ。自分で決めて此処に来てるんだしさ……」

「まあ、そうだね。仕方ないって言ってしまったらそれまでだしね」

詩織はそう言って、苦笑いを浮かべる。
鞄から教科書とノートを幾つか取り出し、机の中にしまい始める。
私はそこまで丁寧なことはしない。
授業のたびに鞄から教科書類を引っ張り出すようなタイプの人間だ。
むしろ、私のようなタイプの人間の方が多い気がするから、詩織がまめなだけなのかもしれない。
どちらにしても、あまり大差ないことだと私は思うのだが、どうやらまめな性格の女子の方が男子からのウケが良いらしい。
現に詩織はモテる。
一方、私はモテない。
別にモテなくて一向に構わないが友達に、異性にモテる者を持つと辛いものである。
私より詩織の方が魅力があると他人に格付けされている気がするからだ。
それは、とても不愉快で腹立たしい。
ともあれ、男子という生き物はこれまた滑稽なもので、自分の脳内で勝手にイメージしたものがそのまま女子であると思い込む節があるらしい。
先に述べたような僅かな違いからもそんな馬鹿馬鹿しい妄想はどんどんと肥大化していき現実とのギャップに悶え苦しむ。
言わば、自分で自分の首を絞める習性を持ち合わせているようだ。
いい歳した男が汗水だして稼いだ金を、ついキャバ嬢に貢いでしまう構図を思い浮かべれば想像しやすい。
ようは男子とは女子に夢を見すぎな生き物なのだ。

「ほんと、カッコ悪い……」

私は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟ながら、携帯をポケットから取り出して時間を確認した。
もうすぐ、ホームルームが始まる時間だ。
間もなく憂鬱な月曜日の幕開けである。
だが、その前に一人の男子が教室に駆け込んでくる。
松崎君だ。
黒く短い髪の毛は朝のように寝癖で跳ね回りだらしない。
眠そうに目蓋を擦りながら、自分の席に着くと鞄を足元に置き、そのまま顔を埋めて眠ってしまう
私は彼の姿を凝視するように追っていた。

「松崎君……今日も遅刻ギリギリだね」

詩織はヒソヒソと私に耳打ちする。
私は詩織の口から松崎君の名前が出てきた瞬間、一抹の不安を覚えた。

「そうだね……」

「松崎君って確か、優子と同じ中学だったよね。昔からあんな感じだったの?」

確かに松崎君は私と同じ中学の出身だ。
私の通っていた中学から、この高校に進学したのは私と松崎君だけ。
私は声を発さずに、詩織の顔を見ながら頷いた。
詩織は眉をひそめながら、少しだけ口を尖らせている。
詩織がこのような表情を浮かべるのはあまり機嫌が良い時ではないのを私は知っていた。

「松崎君……いつも寝てばっかだし、遅刻も多いし、だらしないよね。そこまで、悪いルックスじゃないと思うけどなんかカッコ悪いと思うな」

詩織は少し申し訳なさそうな顔をしながらも、松崎君に対する本音を私に漏らす。
私は詩織の本音に対し、安堵と怒りが入り混じった形容しがたい感情が内側で渦巻いていた。

『そんな事ないよ!』

私は心の中ではそう叫ぶ。
しかし、実際に音となって私の口から出たものは「そうだね」という同意の言葉であった。
私は嘘をついたのだ。
大手を振って否定するのが恥ずかしかったからだ。
けれど、これで詩織は松崎君を好いてはいないことが分かり、内心そっと胸を撫で下ろした。

授業中、私はずっと上の空だった。
窓から見える景色をただただ、ボーっと眺める。
徐々に、空が曇りだしており、今にも雨が降ってきそうな天気だ。
ふと、グラウンドに視線をうつす。
松崎君がいつも走るグラウンドだ。
風を体に纏い、他の追従を決して許さない。
空気を一陣の風のごとく走り抜けていく松崎君。
どんどんと彼の姿が小さくなって消えていってしまう。
しかし、それは私の妄想でしかなく実際の彼は教室の片隅でひと時の休息に勤しんでいた。
その姿を確認すると、何故か安堵感が私の心に訪れる。
走っている時の松崎君の姿は普段の彼とはまるで違う人間のようで、とてもカッコイイ。
私はそんな松崎君のことが好きだった。
中学の頃からずっと片思いを続けてきたのだ。
松崎君はずっと陸上部に所属しており、陸上が県でもトップクラスであるこの高校に入学すると決めていた。
ハッキリ言ってしまえば、私がこの高校に入学を決めたのは松崎君が入学するからという安直な理由からだった。
けれど、それで彼との距離が近づくわけでもなく、私は何も変わらずに遠くから眺めているしかなかった。
松崎君は私とは別の世界に生きているのだ。
しがみつくことも、離れることもできない私はただただ打ちひしがれた気分で空を見上げる。
物理的な距離は本当に些細なものだ。
それこそ、その気になればいつでも手が届く。
けれど、心の距離は果てしなく遠い。
必死に歩み寄ろうとも彼は捕まらない。
足を止めず、凄いスピードで先に進んでいくのだ。
勿論、声を掛ければその足は一刻ほどは止まってくれるだろう。
けれど、私にそんな勇気はない。
走っている時の松崎君が誰よりも好きだから、私は彼が走ることに対する障害にはなりたくないのだ。
自分でも馬鹿みたいだ。
松崎君が私など見るはずもない。
彼が見ているのはグラウンドの景色と自分のタイムだけである。
そんなことはずっと昔から分かっていたのに、しつこく追いかけて私は苦悩してる。
諦めてしまえば楽だというのにそれも出来ずに、ただ見ているしかできない自分が腹立たしい。
私はどうすれば良いのだろうか。
流れる雨雲を静かに見据える。
やがて、小粒の雨が空から降り出し始め、乾いた大地を濡らし、グラウンドはの土はあっという間に重みのある濃い色に変わり、湿地のように水気を表面に浮き上げる。

「今日……傘、忘れたな」

ああ、月曜日は本当に憂鬱だ。

放課後になっても雨は止むことを知らず、むしろ激しさを増すばかりであった。
外で行われる部活の殆どは休みとなり、日頃より帰路につく学生が多い。
案の定、駐輪所も混んでおり、私は適当に学校を浮浪しながら時間を潰すことにした。
雨音が校舎内で心地良く鳴り響き、普段とは違った雰囲気を醸し出している。
一定のリズムで刻まれるその音に私は耳を傾けながら、校舎内を歩き回っていると、やがてグラウンドに繋がる渡り廊下に行きつく。
その廊下は簡素な屋根がグラウンドまで続いているだけで、左右からの風雨には全くの無防備である。

「もしかしたら、居るかもしれない」

そう思うと、体は自然とグラウンドに向かってしまう。
歩くたびに左右から吹く湿気混じりの冷風が露出した肌を刺しては突き抜けていく。

「寒い……」

そう愚痴をこぼしながらも私は歩みを止めなかった。
やがて、グラウンドに近づくにつれて雨音とは別に縄跳びの風切り音が何処かで鳴っているの気がついた。
私の心音が高鳴っていくのが分かる。
自分の耳を頼りに早足で音のする方へ向かう。
校舎の屋根づたいとグラウンドが私の目の前に現れ、その屋根の下にあるコンクリートの小さな敷地には黒い全面に白い縦筋が幾つか入っている上下のジャージ姿をした松崎君がいた。
縄跳びを自在に操りながら、軽々と飛んでいる。
短く寝癖だらけの髪は湿気に負けることなく、跳ね回っており、汗が頭皮から吹き出し、顔面を伝いながらコンクリートの地面に落ちていく。
彼の顔は真剣そのもの。
飛ぶことのみに集中しているためか、私がいることに気がついていないようであった。
他の陸上部員は誰もおらず、松崎君だけが残って練習している。

「相変わらず、スゴいなあ」

私は無意識のうちにその言葉を発していた。
そう、松崎君は本当に凄いのだ。
一人でも黙々と練習し、努力を惜しまない。
ある意味で病的であるけれど、私にはそれが魅力的に見えて仕方ない。
そう、中学の頃からなんら変わらない松崎君。
ただ、ひたすらに自分で定めた目指すべき目標に進んでいる。
詩織は松崎君をカッコ悪いと言ったけれど、この姿を見ればそうは思わないだろう。
こんなにカッコイイ人はそうはいないと断言できる自信がある。
そうなると私は朝の自分を無性に叱ってやりたくなってきた。
それだけで、やはり私は松崎君がどうしようもなく好きなんだと再認識できる。
しばらく見つめていると松崎君は私の存在に気が付いてか、先までの激しい動きを止めた。
やがて互いの視線が合う。
今までは、それだけでも十分嬉しかった。
けれど、内側から湧き出る高揚をこれ以上、抑え切れるはずもない。

「少しくらいなら良いよね?」

そう自分に訊ねながら、私は初めて、自分から彼に歩み寄っていた。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.