「私ってある出来事の1部分しか見ていない」という真実

最近、『創造の方法学』(著:高根正昭)という本に出会いました。

この本では、著者のアメリカ大学院留学や社会的運動の経験を基に、主に研究の方法論が説かれています。例えば、研究では未だに明らかにされていない事象を証明することが1つの貢献の形とされていますが、その方法には「仮説」と「検証」を繰り返すということが大切であり、それぞれの具体的方法について著者は解説を行っています。この本を読んで、私が下記の文章がとても印象に残りました。

「われわれが現実に行っている認識は、われわれの持つ概念に導かれて、絶えず変化する経験的世界の一部を、辛うじてつかまえるという仕事なのである」(p.59)

結局、人って発生している事象の1場面を切り取って認識しており、その認識の仕方(見方)は個人が持つ概念・スキル・経験・知識に左右されるんだろうなと、上文から私は気づきを得られることができました。例えば、あるグループワークで議論を進行させている人(ここではリーダーと称することにします)のリーダーシップについて観察しようと思います。そのグループワークに所属しているリーダー以外のメンバーの1人は、リーダーの存在を見て「議論を上手に進めている」「大きな声で話している」からあの人はリーダーシップがあると認識します。一方、そのグループワークに参加していた私は、iLEAPでリーダーシップの講座を受けた経験があり、講座で習ったリーダーシップのタイプを使ってその人は認識しようとしました。「ああ、あの人は民主主義的なタイプだなと。」

どちらが良いか悪いかという話ではなく、人の認識って個人が持つ様々な要素の影響を受けるなと強く感じることができました。人と人が話し合って議論をする際にも、メンバー1人1人は事象の1部分を切り取って話していることを、議論のメンバー全員が認知することができている状態が理想あると思いました。(頑なに自分の意見を曲げようとしない人もいるので。)

あと思ったことが、事象の認識できる範囲を広げるためにも、概念・スキル・経験・知識などを増やす・広げることは大切だなと感じることができました。事象の認識の範囲を広げることができれば、より良いアイディアを創出することができたり、誰かと話しているときでも「共感」を生む場面が多くなったりすると思います。例えば、共感の中でも、例えば「ある事象について同じ様に思ってるんだな。同じ風景を同じ目線から見てるんだな」と相手に対して思えると、私は少し幸せというか親近感に近い感情が芽生えます。(相手も思うかも知れません)日々、新しい気付き(Awareness)に出会うことも事象の見方を広げるんだなと思いました。

概念・スキル・経験・知識などを増やす方法もたくさんあるなと思います。読書をしてみたり、新しい仕事に勇気を持ってチャレンジしてみたり、誰かと一緒にごはんを食べたり。受動的に発生したイベントでそれらを得ることもありますが、やはり能動的に自らそれらを掴みに行く姿勢も大事と思いました。

よっぴー

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