『ホラホラ、これが僕の骨』デザイントーク【2】詩とともに生活できる本
今の時代に、中原中也の詩集がどのような形であれば存在意義をもつのかというのは、とてもむずかしい問題です。
現在の読者は中也とどのように向き合うか
中原中也が生前唯一出版した詩集『山羊の歌』は、高村光太郎がデザインしているんですね。判型も大きく、存在感のある本です。
でも、今の時代に中原中也に興味をもつ読者は、中也の詩とどのように向き合うだろうかと考えると、高級な装幀、偉そうな装幀は、似合わないような気がしました。もっと日常に溶け込めるような詩集である必要があると思ったのです。
中原中也は日本の文学の歴史に残る詩人ですが、中也の詩は見開きにおさまるくらいの詩が多く、言葉も難解ではありません。日常的な言葉で、繊細な感情が語られています。そうした言葉は、本棚に収まっているべきではなく、できれば、日常のなかで開いたまま置かれていてほしい。部屋のなかで開いたまま置いておいて、ふとしたときに詩のなかの言葉が目に入って、心に沁みる瞬間があればいいなと思ったのです。「詩とともに生活できる本」そういったものが実現できないかと思ったのですね。
本にとって、大切なこと
最近では、装幀というと表紙、正しく言えばカバーのデザインばかりが取り上げられることが多いように思います。ネット書店での売上げが大きくなるにつれて、その傾向は増えているかもしれません。装幀家の作品事例にも、閉じた状態の本ばかりが並べられることが多いです。外見で目立たないと買ってもらえないので、仕方のないことかもしれませんが。でも、本というモノの役割として本当に重要なのは、読者の手元でどのように機能するかではないでしょうか。
現在の多くの本は閉じて置かれた状態にあるのがほとんどで、手を放すと閉じてしまいます。人の手を借りないと、読んでいるときの状態、機能する状態を保てない。それを、リーズナブルな本で、なんとかできないかというのが、今回の装幀を考えるうえでのポイントになりました。
すでに文庫の全詩集も出版されているので、モノとしての存在感を感じるくらいの適度な大きさがほしいけれど、あまり重すぎないようにしたい。ツルツルとした高級感のある紙よりは、すこしざらついてぬくもりを感じるような手触りのよい紙質にしたいと考えました。「詩とともに生活できる」ような親しみやすさを求めていたんですね。また、若い人にも読んでほしいけれど、老眼の方でもあまり苦にならないくらいの文字の大きさはほしいという点にも考慮しました。
詩の場合は、横方向への視線の動きが、通常の散文よりも速くなるので、行間も、マージンも、横方向にある程度の余裕がほしくなります。中也の誌は見開きに収まる程度の詩が多いので、それらが中途半端に改ページしなくてすむ程度の行数を取れるということも重要で、すべての詩をラフにレイアウトしながら、同時に全体像を詰めていくというスタイルで、全体像を考えていきました。