雨宮まみさんを偲ぶ

yuco
5 min readNov 17, 2016

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今日の昼過ぎ、いつものように育児の合間になんとなくスマホを眺めていたら、雨宮まみさんが亡くなったというニュースが飛び込んできて、目を疑った。

雨宮さんとのつながりはもっぱらFacebookだった。2011年か12年ごろに共通の友人たちとの飲み会で1回お会いしたが、その少し前からFacebookでも友人で、たった数日前までやりとりしていた。私のFacebookには彼女からのコメントやいいねの通知がまだ残っている。いまでもFacebookで「本当にひどいデマを流す人がいるんですね!(怒)」みたいなやりとりが始まってもおかしくないような気がしている。

私は2013年に出産してから夜の飲み会というものにまったく行っておらず、2年前に東京に引っ越してからは近所のママ友もできずに乳幼児を育てる毎日で、家族とサービス業の人以外とリアルで話す機会がほとんどなく、ネットで雑談ができる相手は貴重だった。夜9時くらいに子供と一緒に寝落ちし、午前3時とかに目が覚めて、Facebookになにか書くと、いち早く反応してくれて、あー起きてるなーと思ったり。半年ほど前に、Facebookの私のアカウントが突然削除された。なぜか13歳以下だと疑われたのだった。運転免許証の写真を撮って送り、数日で復活したが、その間に、雨宮さんが私がいなくなったのを残念がってくれたことや、私が面白いブログを見つけて、この人の文章すごい!と書いたら、確かにこの人すごいよね!と盛り上がったりとか、彼女とのやりとりをいくつも思い出す。あと2年くらいして子どもの手が離れたら飲み会にも行ける、そしたらまた会えるかなと思っていたのだが……

私が雨宮さんをはじめて認識したのは、2000年代のはじめに日記鯖というレンタルブログサービスで「NO! NO! NO!」というタイトルのブログを書いていたことで、その後はてなダイアリーで開始した雨宮まみの「弟よ!」もずっと読んでいた。実弟におすすめのアダルトビデオを紹介するという形式で「弟よ! 姉ちゃんは〜」と性について語りまくるブログ、いま見ても斬新だし、よくぞここまで赤裸々に書いたと思う。アダルトビデオはほとんど見ないのに「弟よ!」は楽しく読んでいたし、紹介された面白そうなのはいつか見ようと思っていた。このブログが人気となり、Web媒体で自伝的連載がはじまり、単行本となったのが代表作となる「女子をこじらせて」だ。彼女は私のような「ネットの文章好き」に見いだされ、支持されてきた存在だった。

一般的に女性は、いろいろなことに小さめ、控えめ、温和であることを求められる。でも彼女が好きだったもの、アダルトビデオ、宝塚、女子プロレスなど、みんな激しかったり、派手だったり、「ちんまりまとまっていない」世界だ。ロマンがあるともいえるし、一般的な女性に求められるテイストから逸脱しているとも思う。

「女子をこじらせて」などにみられる彼女の持ち味は、そういう激しさを何の味つけもせずストレートに出すと他人が引いてしまう、でも表現したいので、自分の内からの欲求をいかに他人にも受け入れられるような形で出すか、というところにあったと思う。ルックス的には数年前にお会いしたときには、この記事みたいな、コンサバな美人さんという印象だったが、最近のインスタグラムなどではもっと大胆な感じになっていて、ファッションや自分の見せ方についても、あるいは本や音楽やインテリアの好みについても、いろいろ試してアップデートしている感じで楽しそうだなと見ていた。同時に最近の文章の幅も広がっていて、いわゆる本屋の女性向けエッセイ棚には収まらないものになりつつあったと思う。

私は乳幼児2人を育てる専業主婦で、居場所はもっぱら自宅と近所のスーパーと児童館と公園、という地味な生活を送っている。いろいろな場所に行き、いろいろな人に会ったりきれいなものを買ったりしていた雨宮さんとはまったく違う。一般的に女性は同じようなライフスタイルの人どうしで固まりがちで、雨宮さんも、独身アラフォー女性という立ち位置で同じ属性を持つ女性に向けたエッセイを求められることが多く、それもどうなのかという問題意識を表明していたことがあった。彼女の文章はライフスタイルがまったく違う私にも違和感なく読めるものだった。ライフスタイルは違っても、同世代で、2000年前後からのネットのテキスト文化に親しんできたという共通点のある彼女がこれからなにを吸収し、どんな40代、50代を過ごし、どう表現するのか見たかった。

雨宮さんをネット越しに10年以上見ていて、ここ数年はSNSでもやり取りしていたので、なんとなく親しくなったような感覚はあったのだが、当たり前だが彼女にはリアルに会って遊んだりする友人がほかにいて、私は彼女の死についてニュースで報道されていること以外、何も知らない。近親者のみのお別れの会があったそうだが、そういうところにも行けない。ネットでやりとりするだけで満足しているのではなくて、会いたい人には会わなきゃダメだなと思った。

いまあらためて「弟よ!」を読み返すと、一銭にもならなくても書かずにいられない感じがする。このブログが書かれていた10年前は、今ほどネット発の書き手が大量に出てくる時代ではなく、その後の仕事につながる確証もなかっただろう。私は彼女ほどの書き手ではないが、それでも、書くのが好きなのだからこのMediumにでも書きたいことを書いていこうと思った。

そんなわけで、熱のあるブログで世に知られ、ネットのテキストが好きだった雨宮まみさんを偲ぶのに、こういう形もありかな、と、思いを書いてみました。残念でなりません。どうか安らかに眠ってください。

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yuco

前世紀からネットで遊んでいますが、最近は日中は3歳息子&0歳娘と遊んでいます。