保守の判断、リベラルの判断

New justice in SCOTUS of my crazy uncle (Sam). …同じことばで表明される同じ考えの、現実への適用の違い。*失敗できる*民主主義。

Watch how entitled rage looks like.

Kavanaugh問題については既に多くの論点が出ていると思うが、ひとつだけ。

例えば、女性差別はよくない、性暴力はよくない、認められない、許されない、ということ自体は、保守であろうとリベラルであろうと、「自分は市井の一市民であり、特別な権利を持っていない」と認める、教育のある現代人なら皆同様にいうことだろう。そのことば自体には、まず、なんの違いもありはしない。

ただ、実際には、その同じことばで表明される考えの、現実への適用の仕方が違ってくる。

そもそも保守というのは、従来の考え方や行動、価値観を守ろう、という立場。そして、従来の価値観というなら、例えば男性上位、女性蔑視の社会だって、その大きなひとつ、になる。

というと、もちろん現代的な保守の人は、いやいや、保守というのは従来のいい価値観だけを残すという立場で、女性差別や人種差別はそこには入ってこないですよ、というだろう。

しかし、問題は、何が*いい価値観*なのか。何が女性差別や人種差別に当たるのか。あるいは、どこから許せない、というか。女性差別や人種差別を認めない、ということばの中身は、ここにある。単に認めないというだけでは、その基準は何も明示されてはいない、そこの判断は、実は完全に恣意的になる。

今回の場合、その*実質*が典型的に現れた:かつて性暴力を受けた、という被害者が非常に信用できる証言を行った。そこまでの理解は保守もリベラルも同じ。

でも、そこでリベラルは、こういう重い証言が出てくる人を最高裁判事にするわけにはいかない、と判断する;一方保守は、いくら重い証言があっても、真っ黒と思える証拠が出ないかぎり人の社会的地位は奪えない、という判断だ。
もう一歩踏み込こめば、*人*といってもそれは、権力ある白人男性で、その地位を一女性の証言だけで貶めるのは不当だ、という判断だ。

この一女性の証言だけで…という文は、一女性の証言*ごとき*で、と置き換えてもすんなりとつながる。つまりこれは典型的に昨今の# MeToo、新しい流れを、真っ向から否定する形になる。
結局それが今のアメリカの*保守*の立場であり、今回の顛末で明白に露呈したことだった。

不確かな嫌疑で権力を脅かされている男性の怒りが現在のサイレント・マジョリティに共感された、などという人もいたが、共感というなら、性暴力を受けた被害者、その人のこれまでの苦しみ、人生のほうに、はるかに共感すべきだろう。逆にもし女性がKのように偉そうに怒りまくって噛み付いたらどうなるかという点は、明白な性差別として多く指摘されていたが、文字通り、どちらが被害者かもう判ったものじゃない。

ビールをちょっと飲み過ぎたことはあったが、それのどこが悪いんだ!!みたいな証言に、むしろそれはプレップ・スクールのお坊ちゃん高校生が親にするいい訳だろう、といっている人もいたが、深夜のコメディアンのネタ通り、*就職面接*で怒鳴って泣いて、それで決まった仕事がなんと!最高裁判事なのだから(笑)もう、どちらがコントかだって判らなくなる(なお、英語と同じくフランス語でもコントはsketchです;)。
だいたい「お前ら、よくも俺様をこんな目に遭わせやがって、誰に向かって口きいてんだ、こら!!」という尊大な怒りや憤慨の涙と、性暴力の記憶から生まれる被害者の苦痛の涙を同列に並べること自体、既に大きく行き違っている。

Kavanaugh問題を超えた話になるが、
経済、軍事力だけでなく、自由主義、人権主義といったユニヴァーサルなアイディアを武器に、世界の秩序を抑え、地域によってはかなりうまく平和を保ってきた大戦後のアメリカ。2050年には世界第3位の経済まで転落する、との話もあり、以前の回にも書いたがT政権にかかわらず、世界をリードする盟主の座を降りるというのは、こちらは自然な流れのとおり、なのだろう。

もちろんそれで世界が大きく混乱する危険性は高いが、人権、自由といった普遍的な価値観のチャンピオンでなくなったアメリカ社会の問題は、これまでほど世界に影響を与えなくなる。

しかしこういう最高裁判事を抱えては、有権者が相当選挙で頑張らないと、アメリカは当分時流を拒み、過去へ過去へと(フィッツジェラルド風に;)遡ろうとする勢力に牛耳られてしまう。

そもそも全ての元凶は、ヒラリーが嫌い、とか我がままをいって(笑)選挙に行かなかった選挙民。気持ちは判るが(笑)でも、だからエレクトラル・カレッジに負けてしまった。

日本の場合もそうだけど、とにかく民主主義は結局、選挙で勝たないとどうしようもない。

…もちろん、選挙で勝てばなんとかなる、というわけでもない。選挙システムの違いから、サルコジ、オランド、マクロンとかなり民意を巧く反映した大統領を選出しながら、迷走を続けている国もある(笑)。

しかし、民主主義というのは、失敗してもいい仕組み。
むしろ失敗してみて、やり直す、この連続で進んでいこう、という仕組み。

やり直せるって素晴らしい、という宣伝を昔見たことがあるが(笑)民主主義では失敗するのは構わない。
集合知というようなことをいいたい人もいるかもしれないが、現実的にはbandwagon jumpers(付和雷同)も多く、見識ない大衆が多数決で物事を決めるのだから、失敗するのはむしろ当然のプロセスだ。
そして失敗しても、やり直せばいい。これが民主主義、一番のメリットだ。

だが、もし失敗してもやり直さないなら。
民主主義というものにあまり大した価値はない。恐らく全然いいシステムではないだろう。
失敗して、それで終わり、になるのだから。
#GoVote


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*関連する(前回)ポスト→ Shover, grabber and cheater.
Kavanaugh米最高裁判事候補の報道に、高校時代といえば、自分も女のコを押し倒してしまったことがある…と冷や汗をかいた男性は多いのでは? でもね、ここには細くともはっきりとした違いがある、と思うのです…。There could be a fine line here…;)

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