Shover, grabber and cheater.

Kavanaugh米最高裁判事候補の報道に、高校時代といえば、自分も女のコを押し倒してしまったことがある…と冷や汗をかいた男性は多いのでは? でもね、ここには細くともはっきりとした違いがある、と思うのです…。There could be a fine line here…;)

記憶というのは一貫した安定的なものではなく、そこにはムラがある。1996年の1月にどんなことがあったか、と訊かれたら、答えることができなくても、1995年の1月の話なら、何時間でもできる。そういうことがある。今 30代前後以上のアメリカ人なら、例えば2002年の9月に何があったかと訊かれたらおぼつかなくとも、2001年の9月にあったことなら些細なことまで驚くほど話せるのではないだろうか。

トラウマ的な体験をすると、記憶はそれを核に定着するようだ。近年米カトリック教会の児童性虐待の事実が暴かれているように、たとえ30年以上前の話だろうと、古すぎて調べても判らない、と決めつけられるものではない。性的襲撃の被害者が事実を認めて告発するに至るにはとても長い時間がかかるということも、ニュースを普段から見ている人にはいまやほとんど常識だ。

米最高裁判事に任命されようとしているBrett Kavanaughの高校時代に、性的被害を受けたという女性の告発を聞いた時、まず考えたのはそういったことだ。

17才の時の過ち、若気の至りなんだし、その後は社会の中で立派な地位を築いているんだから…という意見もあるだろうが、その後社会で立派に生きれば17才の時に女の子を襲っても最高裁判事になれる、というのでは、ティーンエイジャーの男の子たちに間違ったメッセージを送ることになる、といってる人がいた。その通りだろうと思う。

過ちを悔い改めれば、立派な哲学者にはなれるかもしれないし、立派な宗教家にだってなれるかもしれない。しかし大統領や最高裁判事はそういう仕事ではない。もしその人物が仮に再び罪を犯した場合、思想界や宗教界といった特定の世界にとどまらず、累が及ぶのは世の中全ての人だ。

そんなことをtwitterには書いた。その後Yearbookの話が出て来て、いや、単にそういう問題ではない、このKavanaughという人は、こういう本当にマッチョで(フランス語では悪口です)misogyneな(フランス語でほぼマッチョと同じ意味です;)所謂英語でいう*カルチャー*の中で、どっぷり育って来た人なんだ。。と思ったり、

さらに第二の告発者の話を聞くと、もう、ボキャビュラリーがあまりにポルノ的になり過ぎて、ちょっと公の場では細かくコメントすることさえ憚られる。(Anita Hill 様、お察しします…)

しかし気を取り直して、男の視点からのリマークを一応述べておくなら、確かに高校や大学時代といえば、女の子たちといろいろ遊んだという人も多いだろうし、告発が事実だったとしても、ちょっと身につまされる、やや我が事として、同情してしまう、という向きもあるかもしれない。

しかしここには、一見微妙だが、実ははっきりとした違いがあるように思う。

確かに女の子を若気の至りで押し倒してしまった、そして「やめてよ!」などと手厳しく押し返されてしまった、という人は多いかもしれない。しかし思うに、普通の男性が、女性を押し倒すのはなぜか?

それは「行けるかもしれない…」と思うからで、「OKかもしれない…」と思うからだ。

というとまたひどい話に聞こえるかもしれないが、「OKかもしれない…」というのは、口には出していないが、実はこの女の子は内心ではOKなのかもしれない、つまり、自分を受け入れてくれるかもしれない、と考える。もっというなら、実は好意を持ってくれているかもしれない…と考える、ということだ。それがどれほど勘違いで、サインの読み違え、身勝手で根拠のない希望的観測、我田引水であったとしても、だ。

それが実際に単なる勘違いで往々にしてあればこそ「やめてよ!」「ああ、ごめん、ごめん」というawkard momentが訪れるわけだが、それにしても、全ての前提として「この子もこちらを好きかもしれない…」という誤った判断がまずは、ある。

翻ってKavanaughの最初の告発者の訴えていることは何か。それは押し倒し、声を立てないよう口を塞いだ、というものだ。この小さな一つのジェストが表しているのはむしろ逆に「この女性は自分を受け入れていないかもしれない」という前提だ。そして、相手が自分を受け入れていようがいまいが、自分は自分のしたいことをする、という無意識的な意思や行動パターンを表している。これは、普通の男のすることでは決してない。

普通の男は、受け入れられていないかもしれない、と思う女性を押し倒したりしないし、相手の意思など無関係に自分のしたいことをしようとしたりはしない。確かに外面的な行動は大差なく見えるかもしれないが、内心としては、ここにははっきりとした違いがある。

なんだかいい訳じみて聞こえるかもしれないが、何もこれは女性に向けて書いているのではない。むしろ男性が、Kavanaughがやったと告発されていることは普通ではない、仮に告発が事実であれば、この人物に共感することなど到底できない、ということを明確に認識するためだ。

5番街の真ん中で誰かを銃で撃っても自分は受け入れられるとか、女性のクロッチをつかんでもスターであれば受け入れられる、などと考えるのが健全な精神の欠如の表れ、狂気の沙汰であることは、改めて確認する必要もないだろう。

そこまで明白ではないにせよ、Kavanaughのこの疑惑も、多かれ少なかれ、男なら誰しもみんな身に覚えのあること、などでは実はない。


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