アメリカン・ドリーム

アメリカンドリーム。
その言葉を聞いて、みなさんは何を想像するでしょうか。

今回の話は、僕がアメリカの留学中に知り合ったコロンビア出身の留学生、エリザベス(仮名)のアメリカンドリームに関しての回想話です。


2003年8月

僕は大学院入学が決まり、アメリカはフロリダ州、オーランド市にやってきました。8月下旬からは大学院の授業が始まるということで、少し早めに渡米し、ホームステイをしながら入学後に住むアパートを探しつつ、3週間だけキャンパス付近にある語学学校に通った時期がありました。

エリザベスは、同じくその語学学校に通っていたコロンビアから来た留学生で、透き通るような白い肌、ブロンドに染めたカーリーヘアでスリムな体型、笑顔がチャーミングな20歳前後の女性で、語学学校でも男子学生から人気のある子でした。印象的にはコロンビアというよりもヨーロッパ系白人の雰囲気で、英語も堪能、実家は5つ星のホテルを営んでいるという話で、いわゆるお嬢様育ちのわがまま娘を絵に描いたような子と評判でした。

ある日、学校が終わって僕がバスに乗って帰路に着いた時、たまたま同じバスにエリザベスが乗ってきましたが、後ろに座っていた僕には気づかず、やや前の方の席にひとりで座りました。ドアが閉まり、バスが出発してしばらくした頃、ふとエリザベスの方に目をやると、彼女はうなだれながら、涙を拭いているような仕草をしていました。

自分は学校内で挨拶するくらいの距離だったので、そのまま静観してもよかったのですが、その時はなんとなく放っておくには居心地悪い感覚があり、一応声をかけることにしました。

「Hey…..リズ……大丈夫?」

エリザベスは一瞬ハッとして、こちらを振り向いて涙を拭い、「うん、なんでもないの、ごめんね」と笑顔になりました。

「たまにね、故郷のことを考えて、さみしくなるというか、悲しくなることがあって、自然と涙が出てくることがあるのよ。気にしないでね」

エリザベスは財布から一枚の名刺を取り出しました。そこにはホテル名が記載してあり、横に星が5つ並んでいました。

「これ、私の家族が母国コロンビアで経営してるホテルなの。私はアメリカで成功するといって単身で出てきたから、簡単には帰るつもりはないのだけど、家族のことを思い出して悲しくなることがあってね…..とっても良いホテルだから、もしコロンビアに行く機会があったらぜひ泊まってみて!」

涙を拭ってニコッとし、彼女はその名刺を財布に戻しました。

僕らはその後とりとめのない会話をし、先にエリザベスが降りるバス停がきて彼女は笑顔で手を振って降りていきました。とても良い笑顔だったのを覚えています。その時はもちろんそうなるとは思っていなかったのですが、結局、僕が彼女と会ったのはこれが最後でした。


ここから先は人伝いに聞いた話です。

エリザベスの噂

後日、エリザベス関する噂を耳にしました。

ベジタリアンだと公言していつもお弁当に野菜の詰め合わせや野菜サンドイッチをもってきていたエリザベスが、実はベジタリアンではなく肉が大好きで、かつ食が細いふりをしていたが実は大食いで、キャンパス近くのベトナム料理屋で大盛りのフォーや生春巻きをひとりで頬張っているのを何度も目撃されていると。

当時の僕の英語力は簡単な日常会話がギリギリわかるという程度だったので、英語で聞いた話は100%理解できたわけではなかったこともあり、しばらくは単なる聞き間違いなんじゃないかと思ったりもしていたのですが、そのうち異口同音にそういう噂を耳にするようになりました。それで、どうしても気になって同じ学校に通っていた日本人学生に確認してみたところ、エリザベスの噂はホームステイ先での事件を通して明るみになったのだと聞きました。

ある日、ホストファミリーのお母さん(以下ホストマザー)が、ある頃から冷蔵庫の中の食材の減りが早くなっていることに気づきました。使った記憶がない食材が冷蔵庫からなくなることがしばしばあったので、ある時からその頻度と量が増えていき、さすがにこれはおかしいと確信したそうです。それで、エリザベスや他のホームステイ学生たちが学校に行っている間に彼らの部屋の掃除をしていると、エリザベスの部屋で異様な匂いが漂ってきました。

ホストマザーがクローゼットやタンスの中をひとつひとつ調べていくと、奥の方から冷蔵庫からなくなっていた食材やらお菓子やらフルーツやらがたくさん出てきました。中にはすでに腐り始めているものなどあり、それらが腐臭を発していたようですが、その中にはハムや肉もあったそうです。ベッドの下やスーツケースの中などからも食べ物が出てきたそうです。ホストマザーが帰宅したエリザベスに問いただすと「それは私がやったのではない」の一点張り。途中からは怒って口もきかなくなったとのことでした。

その後、同じ家にホームステイしていた他の学生を通してその話が学校で話題になり、それからエリザベスは学校が休みがちになったそうです。結局、彼女はそのホームステイ先を退去することになり、その後もいろいろと奇行は続いたようだったのですが、もはやどこまでが本当なのか判断がつかないような話も耳にした記憶があります。

コロンビアの5つ星ホテル

ちなみにこれも後日談ですが、上述の家族が経営していたという5つ星ホテルは、エリザベスの家族が経営していたホテルなんかではなく、実は彼女が留学費用を捻出するためにベッドメイキングのアルバイトをしていたホテルなんだということでした。かつそのホテルは5つ星でもなんでもないごく普通のホテルなのだと、他の学生がネット上で調べて気づいたと言っていました。

彼女は、お嬢様育ちどころか実際はとても貧しい家の出身で、メイドをしながら家を出るお金をせっせと貯めていたのだそうです。5つ星ホテルを経営する裕福な家庭の出身のお嬢様で食が細いベジタリアンというのは、彼女がアメリカに来てから作り上げた新しい自分だったわけです。

冒頭で書いたように、僕はバスの一件以来エリザベスを見かけることもなければ話す機会もなかったので、何が本当だったのかは今でもわかりません。もしかしたら上記はすべて噂話以上のものではないのかもしれません。バスの中で彼女は何を思って泣いていたのか。その後の彼女にどういう人生が待っていたのか。今どこにいて何をしているのか。それらはすべてわからずじまいです。

ただ、今でもバスに乗るとたまにエリザベスのことを思い出します。

アメリカンドリーム。アメリカは様々な移民たちによって作られた国です。当時の移民たちは、祖国における迫害や様々な困難な事情があり、そこから抜け出すために国を捨て片道切符でアメリカという「希望の国」にやってきたのだと思います。

そこには様々なヒューマンドラマがあり、周知の通り当時の原住民たちとの悲痛な歴史もあるわけですが、いずれにしても移民たちは新天地に人生の再出発という希望を胸に海を渡ったわけです。

アメリカンドリーム

人には様々な過去があり、ときにそれは思い出したくないようなものだったり、できれば忘れ去りたいものだったりもします。でもそういう過去ほど、簡単に忘れたりそれから自由になったりするのは容易ではありません。

人生の様々な場面で、現在の自分は過去から断続的に続くひとつながりの存在だということを思うわけです。簡単に切り離したりできるものでもなく、たとえ他に誰もそのことを知らないとしても、自分自身に嘘をつくことはできません。

エリザベスがその後、彼女のアメリカンドリームをその華奢な手につかむことができたのかどうか、僕には知る由もありません。おそらく、今後も知ることはないでしょう。

今思えば、彼女が誇らしげに見せてくれたホテルのビジネスカードは、四隅が擦り切れ、皺が寄ってボロボロの状態でした。

「最後の一枚だから大事に持っているの。家族のことを思い出すわ」と彼女は遠い目をして言いました。

アメリカンドリーム。それは人の再出発のことなのかもしれないと思います。この世には無数のエリザベスがいて、その数だけアメリカンドリームがあるのでしょう。そして、多かれ少なかれ僕たちは、皆エリザベス的なものを抱えて生きているのかもしれません。

もし、いつかどこかでエリザベスと再会することがあったら。そんな想像をしながら生きて行くのも、人生の醍醐味のひとつなのかもしれません。

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