学校という小さい世界

Yuichiro Nagai
7 min readJan 30, 2017

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日本では、小学校から高校までの12年間という長い義務教育期間において、子供たちは日々の大半の時間をそこで費やします。言うまでもなく、学校は子供たちの成長において甚大な影響力を持っています。

今回の話は、特に現役の中学生・高校生、とりわけ「学校が苦痛」だと感じている子たちのために書いたエントリーです。

学校という小さい世界

冒頭に書いたように、義務教育期間の子どもたちは、ほとんどの時間を学校で過ごしているわけですが、学校というとても小さな世界のルールや価値観の支配下にあるということになります。

「支配」という言葉はちょっと強すぎるかもしれません。

ただ、あえてそう書いたのは、それくらいに影響力が強いということです。何が良くて何がダメなのか、誰がイケていて誰がイケてないのか、そういった価値基準の形成において学校内の同級生たちや教師が大きな影響力を持ち、逆に学校外の世界の影響力は相対的に薄まります。場合によっては両親たちから受ける影響力をはるかに凌ぐこともあります。

子供たち自身が、自分がどういう人間なのか、他の人たちからどう見られていて、どう評価されているのか、誰かに好意やリスペクトを示されたり特別扱いされたりするに値する人間なのかどうか。そういったことを、学校内における人間模様・ヒエラルキーを通して、子供たちひとりひとりが自覚していくようになります。

ここで僕が声を大にして言っておきたいのは、自分が通っている学校なんて、全国に数千数万ある学校の中の1つでしかないという事実です。ある学校内での自分の評価や人間関係なんて、小さくて狭いローカルな世界でのことにすぎないわけです。

怖いのは、その世界を一般化してしまい、学校の外の世界においても自分はそうだなんて思ってしまうことです。そして、この先もずっとそういう人生が続いていくんだろうなという諦めまで出てくると本当にシリアスです。

「友達がいない」
「勉強はわからないしつまらない」
「毎日が退屈」
「いじめられて辛い」
「自分を理解してくれる人がいない」
「何もやりたいことがない」

学校生活において、こんなふうに感じている子たちは少なくないと思います。

学校というのはある意味とても残酷な場所で、かなり限定的な指標で人を判断・評価するような仕組みになっています。これだけ時代が変わっても相変わらず、運動神経、容姿、おもしろさ、ガキ大将、不良、ガリ勉強などでカテゴライズされ評価されてしまいます。

周囲の同級生や教師たちは、上記のカテゴリーの中で能力を発揮する子たちは認知しますが、そうでない子たちは目立たずひっそりと存在していて、学校生活の中で自分が他人から高く評価されたりスポットライトを浴びる機会に恵まれません。

その結果、上記のようなカテゴリーで目立つ子たちよりも相対的に自尊心を育みにくい環境がにいると言えますし、ずっとそういう環境に身を置くと自分自身や自分の将来に対してポジティブなイメージを持ちにくくなるような弊害がある気がします。

学校の外に自分の価値基準をつくる

いきなり結論的な話をしますが、そういう状況ではまず一旦学校の外に目を向けるしかないと僕は思っています。もちろん、学校によっては、そういう状況の子供たちの対応・サポートをしてくれる場合もあるとは思いますが、それだけを期待して座して待つのはリスクが高すぎます。

他人が手を差し伸べてくれたらそれはラッキーであって、それを最初から当てにするわけにはいきません。まずは自分から動くしかないわけです。学内での周囲からの評価や人間関係から一旦距離を置いて、その外の世界で自分を再構築することに努力を費やした方が建設的です。

そして、そうするためには、そのとっかかりとなるものは必要で、要するに趣味やその周辺にあるようなことから始めてみればいいと思いますが、ゲームなどのヴァーチャルなものは人とリアルに接しないのでオススメできません。

たとえば読書のような基本ひとりでするようなものでも、最近は何人かで集まって本の感想をシェアしたり議論するようなコミュニティもいくらでもありますし、多くの趣味でコミュニティはちゃんと見つかると思います。

必ずしも人と出会わなければいけないわけではありませんが、外の世界でつくるネットワークの大きなメリットは、自分よりも年上の人たち(人生の先輩たち)とも出会いやすいということがあります。学校で辛い経験して乗り越えてきた先輩たちがいれば彼らから学べたり勇気づけられたりすることも多いでしょうし、少し上の歳の人たちが日々どういうことを考えたり悩んだりしているのか、自分の歳の時に何をやっておけばよかったと後悔していたりするのかなども聞けたりもします。

そういう諸先輩方の知識・経験を吸収し参考にしつつ、さらにネットワークを広げて行く中で、同じ方向性で切磋琢磨していける仲間たちを見つけていけばいいと思います。そういう世界をつくっていくにつれて、学校でのことは反比例的に気にならなくなっていくはずです。最終的にはなんて些細なことだろうと思えるようになっていくでしょう。

勘違いして欲しくないのは、学校がよくない場所だとか、学校での勉強がどうでもいいと言っているわけではありません。単に、学校がひどく苦痛だという状況下で、それを無理に耐えたり、改善されることを神頼みしながら途方に暮れたり、いじめられるままになっていたり、退屈だ退屈だと言うだけの毎日になっていたりすると、人生をひどく浪費してしまいます。それだけはなんとしても避けましょう、ということです。

出会いを大切にする

人生は自分の努力ももちろん大切ですが、人との出会いも同等に大切です。自分だけの努力ではどうにもできなかったことが、出会いによって救われるということも多々あります。もちろん、他人からの援助をあてにしろと言っているわけではありません。ただ、結果として、良い出会いはあなたを窮地から救ってくれたり、成長のきっかけをつくってくれたり、いろんなことが良い方向に進むようになったり、様々なポジティブ影響力を持っています。

たまたま学校という狭い世界で一緒になった人たちの中に、生涯友人でいられるような人が見つかればそれはそれですごくラッキーだと思います。でも、そういう人が見つからなくても何も心配することはありません。確率的にはむしろそれが当たり前で、そういう貴重な人たちは自分の足で能動的に動いて出会っていくべきなんです。

外の世界には無数の人たちがいます。もっと言えば日本(国内)にこだわる必要もありませんよね。広い世界で気長に同志と思える人たちを見つけていけばいいんです。

そうやって小さい世界にとどまらず外に飛び出すことを身につければ、その後は怖いものなんてずいぶん減ると思いますよ。環境は自らつくっていけるということや、他人を中傷したりおとしめたりするような人たちとはできるだけ関わらないようにすることで、自分の人生のクオリティに自身でちゃんと責任を持つことができるようになります。

すべての環境が変えられるとは思いません。特に小さい頃は、家族環境がどれだけ悪かろうがそれを子供の力で改善しようとするのは並大抵のことではありません。

だからこそ、しかるべき人たちをサポートを求められたり、本当はどうあって欲しいのかを表現できたり、自分がやれることがたとえ微々たるものであったとしても、まずはそこからやっていくしか道はありません。

そして、そうやって行動していると、それを見て助けてくれる人たちは必ず出てくると思うので、その助けも借りて少しずつでも前に進むしかないですね。

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Yuichiro Nagai

とにかく肉と麺が好き。IoTスタートアップで人事やってます。