ちきりん著「未来の働き方を考えよう」を読んでこれからのキャリアプランを自分の頭で考えてみた

ちきりんの「未来の働き方を考えよう」を読んで、これからの21世紀に起こるワークシフトの流れとそれにともなう個人のキャリアの選択について再考の機会があったので、これまでの筆者のIT業界における個人的な経験を踏まえてまとめようと思う。

まず、ちきりんが同書の中で、今後起こるであろう働き方の変革で顕著な流れを3つのポイントを挙げて説明している。

組織から個へ

これは、俗にいう「インターネット革命」において労働市場にもたらされる一番大きな変革と言えるだろう。
インターネットの進展によって、企業という組織のあり方まで根本的に見直されるべきタイミングが到来している。

様々なクラウドサービスの出現や格安で利用できるインターネットインフラの浸透により一個人でも企業と同等のスペックで仕事を行うことが可能になった。

これにより、企業という組織に頼らずとも個人がインターネット上の自由市場において、個人のバリューを提供することで対価を得ることが出来るようになったのである。

事実、既に10年以上前から海外では「odesk」のようなクラウドソーシングサービスが台頭して先進国の労働者が行っていた単純かつ労働集約的な仕事を新興国の安い労働者が行う流れが確立されているのだ。

これは、企業という組織のあり方そのものの存在意義を揺るがそうとしている。これまで企業が社内のリソースで行っていた業務を外部の個人に発注することで、企業は多額の固定費を払わずとも、業務を遂行することが可能になった。

さらに、与信の問題からこれまで大企業からの仕事を得づらかった個人が気軽に大企業の仕事を受注できるようになることで、大企業からの受注実績を元に、個人が社会的信用を獲得することも可能になる。

このように、企業にとっては、経営のスリム化とコスト削減が可能になり、個人にとっては組織に縛られることなく個人としての実積と与信を獲得出来るという意味で、まさにウィンウィンの関係が成り立つのだ。

日本でも昨年マザーズ市場への上場を果たしたクラウドワークスなどは、「働き方革命」のミッションステートメントのもと、個人が法人(大企業含む)からの仕事を受注して生計を立てることが出来やすくする社会の実現を推進しており、今後、組織を離れて個人がスキルを活かして生活を営んでいく流れはますます拡大すると考えられる。

先進国から新興国へ

先進国の労働賃金の高止まりと労働力の流動性の停滞といった背景から、ますます多くの企業がバックオフィス業務等の単純かつ労働集約的な業務を新興国にアウトソースする流れが顕著になっている。

筆者が属するIT業界では、単純な業務のみならずソフトウェア開発やデータ分析といった高いスキルとクオリティが求められる業務においても新興国へアウトソースする流れが顕著になってきている。

筆者が所属する企業の例で言えば、ベトナムに自社のエンジニア部隊を擁して社内のプロジェクトの開発をベトナム部隊にアウトソースを行っており、すでにベトナムで採用した現地エンジニアの人数は社内の日本人フロントエンジニアの人数を超えるまでになっている。

実際に彼らの多くは、先進国の賃金と比べるとはるかに安い賃金をもらいながらも、エンジニアとしてのスキルや英語でのコミュニケーションにおいて、日本のエンジニアをしのぐ能力を持つものも多いと感じる。 今後、新興国の堅調かつ急速なGDP成長に伴い現地の労働賃金が高騰するリスクも考えられるが、当面は、先進国の企業にとって新興国の労働力活用によるコストメリットは大きいだろう。

筆者は、この流れにより国内の労働市場の空洞化が進行する可能性は低いと考えている。なぜなら、高度な技術職や知的労働職において実質的に日本の移民受け入れは進んでいないからだ。実際、日本のようなハイコンテクストな文化圏においては、言語的な壁はさることながら、文化的歴史的な障壁が大きく、一部のサービス業などを除いては新興国の労働力が大量に国内に流入して日本人の労働機会を奪うシナリオは考えづらい。

よって、この先進国から新興国への労働流出の流れは、比較的言語障壁の少ないIT分野で顕著に進行すると考えている。

ストック型からフロー型へ

上記に述べたマクロ環境の急速な変化に伴い、戦後、高度成長期を経て日本人が享受してきた人生プランのテンプレートが崩れつつある。
つまり、良い教育を受けて良い大学を卒業して、一流企業に就職し、家庭を設けてマイホームを購入して終身雇用を前提に定年まで勤め上げるという人生設計だ。

そもそも、終身雇用神話はすでに崩壊の一途であるし、高額な授業料を払って一流大学を卒業した肩書きでその後のキャリアを生き抜いて行ける可能性も疑わしい。実際、昨今話題になった「G型大学×L型大学」の議論にもあるように、従来の大学組織とそこで提供されている学問教育の本質的な意義が見直されようとしている。

今後重要になるのは、こうした大企業や有名大学の権威や肩書きに依存せずとも個人として自由な生き方を選択出来るようなアジャイル型キャリアであろう。

事実、米国を中心にMOOCが台頭して、インターネット上で有名大学の一流講師の授業を無料で受けることが可能になっている。これにより、高い学費と生活費を負担して一流大学に通わずとも自宅やカフェでインターネット環境さえあれば高い教育にアクセスが可能になった。

想像してみて欲しい。もし今後、こうしたサービスを利用してプログラミングやデータ解析などの高度なスキルや知識を身につけた新興国の労働力がインターネットを通じて先進国の労働者の仕事を奪う未来が到来するとしたらどうであろうか。

こうした背景を鑑みても、今後はその時々の時流に応じて、必要なスキルをサプリメントのように補給しながら、労働市場におけるニーズに応えつつ、十分な対価を得てひとりひとりの人生を謳歌するという小回りの効く生き方こそが、21世紀型の主流になっていくのではないかと考えている。

最後に

本書で論じられているようなテクノロジーの進歩や新興国の台頭によって個人の働き方が変わるというワークシフト論は、何も真新しい話ではない。
重要なのは、実際にこういった未来予測に触れて、実際に身の回りに起きているわずかな状況の変化を機敏に感じ取り、そこで自分の体験と照らし合わせて実際の行動を起こす勇気をどれだけの人が持って
いるかということだ。

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