“Boys be ambitious”問題

少年は、いつになれば大志が抱けるのか

小学校のとき、ウィリアム・スミス・クラークの”Boys be ambitious”という言葉を知ったのだけれど、当時これに全くピンと来ず、色々調べていたことがあった。

実はこの言葉には

金や私欲のためではなく、名声などと呼ばれる空しいものでもなく、人間として当然持つべきもののために大志を抱け。

という続きがあるらしい。その諸説は様々で、出典も明らかではない。それ以前に、日本語訳である「少年よ、大志を抱け」を初めて見た時、クラークさんはどんな大志を持てって言ってるの?とモヤモヤしたものだ。

いずれにしても、少年に向けられた言葉の真意は少年時代の僕に届かず、モヤモヤした感情は、この後予想以上に長く尾を引くことになった。


少年は、大志の抱き方がわからない

僕は受験戦争体験者である。

1回目の受験は中学校。全クラス通して見ても受験する子供は僕含め3人だけだった。特にその学校に行きたいという理由もなく、「何のために受験するの?」という問いに対して、自ら答えを出すことはできなかった。

2回目の高校受験時には、明確な目的があった。中学校が男子校だったこともあり、高校では女子生徒がいる共学に行きたかったのだ。「青春を謳歌したい」というとんでもなくアバウトな願いが、「女子生徒がいるから」という理由で解決できると本気で思っていた。近からず遠からずの解決法だった、と今思えるのはそれなりに楽しい高校生活だったからだろう。

しかし、中学から高校の6年間、僕は大志の抱き方を見出すことはできなかった。そして僕は通過儀礼の様に大学を出た後、社会人として世に放たれ、流される様に人生を送ることを正当化しながら、心の中のモヤモヤだけを大きく育ててしまった。


少年は、大志を抱く準備をした

32歳の時、雇われ社長として7年間勤めていた会社を辞めた。

名札を外された僕とは一体何者なのか。世間に対してどんなインパクトを与えられる力があるのだろうか。そんなことばかり考えていた時、「僕は恐ろしい程に何もない人間なんだ」という逃れられない事実があり、それを受け入れる覚悟を決めたタイミングがここだった。

今の自分には、「社会的に存在する意義がない」と自覚することは、とても困難で怖い。積み上げてきたものが大きく、そこにかけてきた7年という時間を否定することと同義だからこそ、怖い。しかし、その時の僕にとってもっとも怖かったことは、「裸になった時の自分の無力さに、顔を背ける日々をこれ以上続けること」だった。辞職することに不安がなかったと言えば嘘になるが、それよりも新たな自分に出会えるのではないかという漠然とした期待感があり、妙な高揚感を覚えていた。

自分自身を受け入れること。それは僕にとって、今の自分が装備している盾と矛の全てをその場に捨て去ることだった。そしてこれが大志を抱く上で必要となる準備だということに気づいた瞬間でもあった。


少年に、ようやく大志を抱く時が訪れた

僕は雇われ社長を辞めた後、SIer会社に就職した。この会社には1年半程いて、その中で出会った人の中には大志を抱いている人もいたが、大志を抱くところまで行ったとしても、それを具現化するために必要な”理解者”や”情報”とつながることができず、夢半ばにしてその大志が潰えてしまうという事態が想像以上に多く発生していた。

この会社だからそういったことが起きているわけではなく、日本という大きな領域においてこの現象が常に生じ続けているとすれば、これは社会的に大きな課題の一つではないか、と思いたち色々調べることにした。この調査によって、内閣府が出しているデータで「物の豊かさよりも心の豊かさを求める声が圧倒的に多くなってきている」という事実を数値的側面から知ることができた。

出典:内閣府-国民生活に関する世論調査

このデータは、当時僕が持っていた「大志の様なもの」を大志に変えるだけの充分な根拠となった。つまり、ようやく大志を抱くその時が僕にも訪れたのだ。


僕は、大志を抱き起業を決意した

雇われ社長を辞めてから次の会社に就職するまでの1ヶ月の間、これから2年の間に達成すべき目標を考えセットすることだけに時間を使った。目標というよりも、願い事といった方が正しいかもしれない。

背中を預けられる仲間を見つけたい

僕が悩みに悩んで出した願いはこれだった。32年間生きていて、背中を預けられる仲間になりうる人はたくさんいたのかもしれないが、僕自身がこれを意識していなかったために、それが叶うことはなかった。僕は喉から手が出るほどに、仲間を欲していた。

喉から手を出し続けること1年半、僕はようやく心のうちに秘めている大志を打ち明ける相手を見つけることができた。彼とは同じ会社で同じ課題に取り組み、共に解決を模索する同志だった。彼と話せば話す程に、「自分が実現したいと考えていることは、彼と一緒なら絶対に実現できる」、そう強く思う様になった。

その後僕らは同じ大志を胸に、共に会社を作ることを固く約束した。そして、その約束は近い未来に果たされることとなった。


人間は、いつか大志を抱くことができる

人間は、いつか必ず大志を抱く瞬間がやってくる。その時に必要なのは、間違いなく”仲間と情報”だ。

この世にはまだまだその心の内から出ていないwill(小志)があり、そしてその集合体とも言えるBig will(大志)を実現するためにあがき、もがき、苦しみ、悩んでいる人たちが沢山いる。しかし、その小志や大志のひとつひとつに対して”仲間”や”情報”を繋げることができたり、一緒に実現を目指すことでさらに一歩前に踏み出すことができたなら、それはどんなに素敵なことだろうか。

僕は幸いにも仲間に出会うことができ”全ての人が充実している社会を、この世界中の人々とCO(一緒に)DESIGN(実現)したい”というBig willを抱くことができたが、大志を抱く前も、抱いてからも僕は変わらずもがいている。

しかし、”少年はいつか大志を抱くことができるのだろうか”、という疑問に囚われていた昔の僕はもういないのだ。

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