差別と暴言

昨日のpostで、twitterやFacebookにおける2ちゃんねる的なものを「デマと差別」と呼んでいたのを、「デマと暴言」に修正した。

デマを信じることや暴言を放つことは個人の信念の範疇だけど、差別は、それが「個人の信念の問題」とされること自体に問題がある。そこで「デマと差別」という並べ方をするのは、それ自体が差別に加担する立場になり得る。

デマや暴言は、果たして個人の信念の範疇なのか? デマ一般・暴言一般に関してはそうだと考える。ただし「差別的デマ」「差別的暴言」を「個人の信念の問題」と捉えるのは、それ自体が「差別的デマ」「差別的暴言」に加担する立場になり得る。この自己言及的な性質は、デマ一般・暴言一般に由来するものではなく差別に由来するものだ。

昨日のpostで扱いたかったのは単に「キラキラしてないもの」「良質でないもの」であって、その典型としては「デマと暴言」の方が良い。