現代アートが「知的×感性的エクスタシー」を催すとき、コレクションしたくなる

ウィトゲンシュタインや構造主義を経て「言語ゲーム的世界観」がインテリの大前提になっているいま、ウィトゲンシュタインを真っ向から否定する新たな思想があってもよさそう。「言語ゲームなんてないんだ」みたいな。

と思ったのは、現代アートについて考えながら。現代アートは言語ゲーム。でも、それは突き詰めれば無根拠ってこと。相対主義。それに対してある種の絶対主義的な価値を打ち立てることはできないんだろうか、と。

試みに、感性学を根拠とする美学(エステティクス)を、認知心理学や神経科学によって再理論化することは考えられるかもしれない。例えばfMRIで「ほら、これが視覚的快感の脳活動パターンですよ」と。しかし、そのような唯物論では「不快」に美的価値を見出すことはできない。唯物論では語れない。

唯物論や自然科学でケリがつくなら、とっくについている。だから言語ゲーム論が強いんだが、人類がその地点で100年ほど足踏みしているのは、少々怠慢ではないかとも思う。新たな科学の導入によって言語ゲームを批判する哲学がそろそろ登場しないかなと。

いまは「根拠がない言語ゲームだからいいんだ、なんでもやりたい放題だし、予測不可能な未来が楽しいのだ」と無根拠性を肯定するタイプの実存主義的なニヒリズムやポストモダニズムに人気がある。それこそインテリが現代アートを楽しむ基本スタンスかと。しかしそれもいずれ変わりそうだなと。

現代アートの「デュシャン以降の基本ルール」は、果たして何世紀ごろまで有効なんだろうか、ということを考えている。3世紀後にはアートというジャンル時代がオワコンどころか美術館が潰れて全部博物館になってたりしてね。例えばの話。

デザインの分野で重要なことを言ったのがクリッペンドルフ。デザイナーがデザインすべき究極の人工物は「デザインのディスコース(言説・言論)」だと言った。「デザインとは何か」を巡る言語ゲームが大事なのだと。ディスコースを通じて、他の分野に吸収合併されない「デザイン固有の領土」を守れと。

だって「デザイナー」がいなくなれば、「デザイン」という領域はなくなっちゃうんだから。なお人類はデザイン行為をするかもしれないが、自覚的な専門家であるところのデザイナーがいなくなった世界では、誰がデザインの理論や手法の発展を担う?誰がデザインの教科書を書き、学校で教える?

現代アートの未来についても同様。美術館という制度ができて、アートと市場経済がリンクして、そんなに時間が経ってない。千年後には「アート固有の領土」がほとんど消滅している可能性もふつうに想像できる。その伝統を絶やさないという人の意思は、言語ゲームの形で実践される。

だから言語ゲームは大事なんだ、という話になるんだけど、ぼくには一抹の疑問が残る。現代アートは純粋な言語ゲーム。それで千年伝承できるか?と。その点、デザインは純粋な言語ゲームではなく、外部に様々な根拠を持つ。経済性、有用性、快楽性など。だから生き残りやすい。でも現代アートは違う。

だからこう思う。現代アートの最大の強みは、外部に根拠や基準を持たない、言語ゲームとしての純粋性だが、それは同時に弱みでもある。危ないバランスでギリギリ立っているガラス細工を愛でているようなもの。それも一つの美学だが、伝承や歴史化には向かない。20〜21世紀の徒花で終わりかねない。

「自然科学・唯物論・絶対主義」対「人文知・観念論・相対主義」というふつうの構図がある中で、アートにおいて絶対的なものを考えると、不可避的に「神」の問題になりがちだと言えそうだ。宗教というよりは、人間が不可避的に想像してしまう「超越的な存在の感覚」のこと。いわゆる「神感」でもいいし、バタイユのいう「神秘体験=性的絶頂」でもいい。

「自然科学・唯物論・絶対主義」対「人文知・観念論・相対主義」というふつうの構図を超えて、アートにおいて絶対的なものを考えるとしたら、これは「神」的な問題系。人間が不可避的に感覚してしまう超越的な存在のこと。いわゆる「神感」とか、バタイユ的「エクスタシー」のこと。

だから現代アートが小難しいお勉強のような言語ゲームとしてのみ存在するならば、これは何世紀にも渡って生き残ることは難しそうだけれども、そうではなく、エクスタシーの感染で伝承するならば、これは何世紀も残りやすいと思う。それが「言語ゲームの外部に根拠や基準を持つ」ひとつのあり方。

現代アートは、下手なセックスよりも気持ちいい「知的×感性的エクスタシー」を与えるものになれたとき、時代を超えて残っていけるだろうし、そうではないもの、ある時代のハイコンテキストな言語ゲームのなかでたまたま文脈的価値を持つようなものは、後世の人には理解されないだろう、と思う。

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個人的には、今後のアートコレクションの方針として、「知的×感性的エクスタシー」が強く感じられるものを集めていきたいと思うのでした。

個人的には作品の購入にも3つのレベルがあると思っていまして、

  1. 面白い作品があれば単品買い
  2. 同じ作家の他の作品の展開も面白ければ追加で購入
  3. グローバルアートマーケットや美術史という巨大な存在に挑もうとする野心的な作家なら、応援の意味を込めて継続的に購入

したいと思っています。

石橋秀仁 (Hide Ishi)

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