新潟県三条市で工場(こうば)のオープンマインドに触れる旅

行ってみたい場所なのにまだ行けていない場所。でもいつか絶対に行くことになるだろうと確信している場所。ものづくりに関わっているとどうしても耳にすることになる新潟県の燕三条という場所は、僕にとってそんな場所だった。

新潟県のほぼ中央に位置するこの場所は、古くから金属加工の地場産業で有名。先日ようやく念願かなって先日、三条市に工場(「こうば」と読む)を見学する旅に行く事に。今回は燕三条と呼ばれる地域の内、三条市の工場を中心に回る事にした。

新潟県における三条市の位置

知っている人も多いと思うけど、燕三条は金属加工の町。そして日本一社長が多いともいわれるほど小規模な製造業が多い町。「いやいやそんなの知らないから!」という人の為に簡単に燕三条の歴史を簡単に説明しておく。

燕三条にあたる地域には古くは石器時代から人が住んでいたらしいが、この地の産業としての大きな転機が訪れたのは江戸時代に始まった和釘作りがきっかけだそう。

和釘

17世紀初頭、毎年のように起こる風水害に疲弊した三条・燕地域の領民を救うため、江戸時代初期に時の代官だった大谷清兵衛は、江戸から鍛冶職人を招いて領民に和釘作りを奨励した。これがきっかけとなり、その後の「江戸の大火」で和釘の需要が増えたこともあり和釘の需要が急激に増え、両地域での鍛冶業を後押しした。その後は和釘だけでなく銅器やキセル、矢立などの製造も始まった。

明治時代にも東京や横浜で災害・大火があったことで、和釘の需要は更に拡大したが、曜釘の導入により明治20年代には和釘が洋釘にとってかわるという産業的な危機が訪れる。

その後和釘製造がスタートして30年を経て、江戸中期以降に会津地方から鋸や鉈の製法が伝わり、その他鉄製曲尺なども生産されるようになると、再び燕三条の金物生産は息を吹き返し隆盛を極めた。

というわけで、燕三条には今のような、国内有数の金属加工業の町工場が立ち並ぶことになった。そして今回は三条駅から車で20分ほど走った所にある「諏訪田製作所」から見学をスタート。

三条駅から北に車を走らせていくと、鮮やかな緑の田んぼや味のある民家が広がるのどかな風景の中に、突然現れる黒いモダンな建物が「SUWADA OPEN FACTORY」。その様相はまるで美術館のようだ。

SUWADA OPEN FACTORYの外観

「SUWADA OPEN FACTORY」は、諏訪田製作所のものづくりの概要がわかる展示が誰でもできるように製品や資料が展示されているスペースで、予約なしで気軽に見学できるのが特徴。また外装内装とも、工場の展示とは思えない洗練された雰囲気。黒を基調とした建物のなかに、上品に諏訪田製作所の代表的製品である爪切りの展示がされている。

館内の展示の様子

一つ面白い所は、館内のオブジェや調度品の多くが、爪切りに使用する材料の金属板を金型で抜いた残りの部分、つまり「廃材」によってつくられている。エントランスのドアの把手から、照明の枠部分、ライオンや兵士のような彫像などもそうだった。

廃材から作られた間接照明
廃材で作られたライオンのオブジェ

中でも印象的だったのは入り口近くの兵士のような2体のオブジェ。それらはまるで浅草寺の金剛力士像のように、エントランスをくぐってすぐの位置に立っている。

入り口近くにある二体の兵士のようなオブジェ

そのうち左の像のちょうどみぞおちに当たる位置に、美しい鏡面仕上げをされたSUWADAの爪切りが飾られている。本来は意識されることのない抜き型で抜いた後のたくさんの廃材が、兵士という具象の形をとって主役の製品を包み込みつつ守っているようにもみえる。

廃材の胎内に飾られている爪切り

これらの諏訪田製作所の展示を観ると、世の中に溢れている沢山の消費財の陰には普段意識されることのない無数の廃材があるという、図と地の関係のうちの「地」の部分を否応なく意識させられる。そこに更に職人の匠の技が加わった製品に価値がない訳がない。そんなことをあらためて思わされた。

そして諏訪田製作所のオープンファクトリーから程近い場所には、次に見学したこだわりの素材と製法の箸で有名な「マルナオ株式会社」がある。三条見附線という道路を車で走っていると道沿いに目印の木の看板がすぐに現れる。しらさぎ森林公園近くののどかな田園風景の中を分け入っていくと白い二階建ての建物が見えてくる。それがマルナオのオープンファクトリーとショップを併設した建物だ。

マルナオオープンファクトリーの入口

ここでいきなり個人的になるが、実は僕は箸を器用に使うことに自信があるせいか、箸選びには昔からこだわりがある。それは先ができるだけ細く削られている箸を常に選んで使っているという点。先が太い箸だと細かい食材を自由に掴みにくくてイライラすることがある。特にオリーブや大豆などの小さくてつるつるした丸いモノを掴む時には先の細さが重要だ。

その点マルナオさんの箸は黒檀や紫檀といわれる硬い木材でつくられ、素材が堅くしっかりしている上に、先が特に細く成形されていて使いやすい。

マルナオさんのオープンファクトリーも気軽に予約なしで観覧できるようになっている。オープンファクトリーのドアの把手が箸の形状をしていて少しほっこりさせられる。中に入ると、ガラス越しに生の職人の仕事の様子を観ることができ、その一方で、マルナオの歴史に関する資料も一覧することができるいたれりつくせりの設計。

実際に職人が働いている様子をガラス越しに見学できる
マルナオオープンファクトリー内の展示の様子

オープンファクトリーのすぐ横には、まるで銀座辺りにあるような高級感溢れる作りのショップが併設され、箸だけでなく、デミタスカップやカトラリー等の様々なマルナオのオリジナル製品を購入できる。

1939年創業のマルナオ株式会社のルーツはお寺や神社で目にする木彫りの装飾にある。初代の福田直悦は手先の器用な人で、家計を助ける為に若い頃から寺社装飾や仏具を作っていたが、あるとき作った墨壺車という大工道具が評判となり、大工道具製造業に転換したという。

その後2000年には原点である木製品の製造に回帰し、現在の主力製品である黒檀・紫檀を使った木製箸が誕生する。このころから海外見本市などにも積極的に出展し、高い評価を受けて今のマルナオブランドができあがったという訳だ。

これらの展示を通して、今や日本全国の有名百貨店の中に店舗を多数構えるマルナオの製品作りが一朝一夕のものではなく、歴史の積み重ねによって磨き上げられた結晶のようなものだということが理解できた気がする。

次に工場を見学させてもらったのは、オーダーしてから2年待ちの包丁もあるという、包丁工房タダフサさん。飲食業や料理好きの間ではよく知られている包丁メーカーだ。

包丁工房タダフサ

こちらの工場も基本はいつでも見学可能だが、サイト上には予約推奨と書いてある。後ほどその理由がわかった。タダフサさんは例え見学者が一名であっても、しっかり職人が見学者に付き添って包丁製作の全工程を説明してくれるからだ。この説明が実に分かりやすくて興味深いので、ぜひ見学をされる方は前もっての予約をお勧めしたい。

私がまずタダフサさんの受付に伺ってショップを観ていると、スタッフに「見学の方ですが?」と向こうから声をかけられ、「少々お待ちください」と言われて待つことほんの1、2分。すぐに若手の職人さんが来て包丁の製作過程の説明ツアーがスタート。

包丁工房タダフサのショールーム

まずは包丁の材料を型抜きする現場から始まり、溶接、研磨、刻印の打刻、などの工程を巡りながら一つ一つ丁寧に説明してくれる。途中で質問を挟んでも逐一丁寧に回答してくれるのが嬉しい。

熟練職人による研ぎの工程

タダフサさんの包丁は鍛造と型抜きの両方があるそうだが、驚くのはその手作業工程の多さだ。刃の研ぎは勿論のこと、柄の磨きや包丁の打刻まで、機器を使いながらもその多くは職人の手作業に拠るところが多い。世の中の製造業の多くが機械化されていっているとはいえ、やはりまだまだ手作業の価値というものには置き換えられない魅力があるのだということを痛感した。

研ぎ上がった包丁のサンプル

感心したのは、世間からこれだけの評価を獲得したタダフサさんの包丁だが、未だに製品の改善や使い勝手の探求に余念がないこと。文章だけでは説明しにくいのだが、最近の改善点は包丁の柄と刃を連結する部分の溶接するポイントを変えたことで、柄と刃の接続強度を増しつつ、工程の短縮を実現したそうだ。その飽くなき品質の追求には本当に頭が下がる。

次に見学したのは三条市ではなく燕市にある玉川堂という事業者。1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を200年に渡って継承する老舗で、新潟県や文化庁から無形文化財にも指定されている燕三条地域でも最も古い事業者だ。三条市から車を走らせて燕市に入るとすぐ、左手に存在感のある門構えの古民家が見えてくる。それが玉川堂だ。

玉川堂の入口

こちらは予約なしで見学が可能だった。車を降りると、すでに銅器を槌でたたく「カンカン」という小気味のよい音が通りまで響いてくる。

少し侘びた木の門をくぐると、左手には日本式の庭園があり、更に進むと左手に美しく整えられた和風の客間兼展示室が見えてきた。

展示ギャラリー兼応接の間
急須が展示されている様子

それを更に奥に進むと、左手に畳敷きの工房で座布団の上にあぐらをかいた職人たちが銅器をリズムよくハンマーでたたいている様子が目に飛び込んできた。

玉川堂の畳敷きの工房で作業する職人たち

畳の上にあぐらをかいて作業をするスタイルは、ヨーロッパの技術の影響を受けて発展した彫金には無いものなので、彫金をやっている僕にとってはとても新鮮だ。作業場の入り口横には、銅器の打ち出しには、ハンマーとともに「鳥口」と呼ばれる棒状の鉄の治具の一種を使うが、様々な形状の当てがねが作業場入り口横に並んでいるのが圧巻だった。

鳥口と呼ばれる道具

この鳥口の製作に関しても金属加工の街だからこそ、気軽に同じ街の加工屋に製作を依頼できるのが燕三条の強みだと職人は語っていた。

最も技術的に驚いたのは、一枚の銅の板を先述した当て金とハンマーを使い、自由自在に成型してしまう所。通常の量産品では、急須の注ぎ口と本体はパーツを分けて作るが、一点ものに近い高級品は、一枚の銅板で本体と注ぎ口を成型してしまう。

工程順に並べられたの急須のサンプル

金属を叩きながら変形するには、「鈍す(なます)」という工程が必要になる。「鈍す(なます)」というのは、銅が真っ赤になるまで火にかけ、自然にゆっくり冷ますことを指す。その工程によって鍛えられて硬くなった金属がまた柔らかくなり、次の加工がしやすくなる。

玉川堂の工房横にあるコークス炉

また一般的に金属を鈍しつつ、そして叩き鍛えながらの成形と聞くと、普通は金属の板を「伸ばす」ものだと思ってしまうが、実はそれだけではなく、金属を「縮めて」成型していくことが秘訣だという。玉川堂に200年以上受け継がれた熟練の技を生で観てその凄さに舌を巻いた。

そして普通は銅というと通常薄いピンクのような色を思い浮かべるが、玉川堂では様々な色揚げの技術を使って、同じ銅でも色々な色やテクスチャーを表現することができる。

色揚げサンプルの一部(実際には他にもバリエーション有り)

僕も知識上では色揚げの技術を知っていても実際にここまで見事に多様な色をテクスチャーと組み合わせて製品作りができるとは思っていなかった。

もうひとつ玉川堂さんの説明の中で感心したこと。それは十数人の職人がいる中、分業制をとらずに一人の職人が全ての工程をこなせるように運営されていることだ。

その運営体制をしく理由について、オフィシャルサイトの中で玉川堂7代目当主の玉川基行さんはこう語っている。

「分業制にしますと、ものの心が分断されてしまうと考えているからです。職人は製品づくりでなく、実際にその商品を買われたお客様の意見にも耳を傾けます。そうすることで、より良いものを生み出していこうという心をひとつひとつの製品に宿していくというのが私たちの基本的な考え方なのです。」(オフィシャルサイトより引用)

これは他の工程への理解がトータルなものづくりに影響を与えるという意味でもあるし、職人個人のキャリア形成についても考えての方針だと推測した。そしてだからこそ見学者がきても一人の職人が全工程を説明できるというメリットもある。とてもよく考えられた上での運営体制だ。

以上、一泊二日の三条ツアーの中で駆け足で4つの工場(こうば)を見学した様子を紹介したが、僕はまず何より工場に発注をかけられる立場ではなくても、一人から気軽に工場を見学できるオープンな三条市の工場のオープンマインドに感動した。そして職人とのコミュニケーションが、単に知識を得るだけではない価値と経験を共有する旅を演出してくれる。

その場では工場側に対するメリットが一見ないように見える工場見学=オープンファクトリーだが、おそらく長期的にみると大きな広報的なメリットがあるはずだ。それは毎年10月に燕三条で開催されている「工場の祭典」の評判を聞けば自ずとわかるはず。オープンファクトリーというコンテンツが産業振興だけでなく観光誘致にもつながるといういい事例を全国に示したこのイベント、これを読んだ方はぜひ訪れてみて欲しい。

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