本を読むのが大好きだ。

物心ついたころには布団に入ってから母や父にせがんで色んな物語を読み聞かせてもらっていた。

自分で読めるようになってからは、毎月家族で図書館に出かけ、大きなトートバッグに借りれるだけ本を借りて読み漁っていた。

日記だって続いたことはないし、ランニングや筋トレジム通いが続いたことは一度もない。けれど、本を読む、ということだけは今も変わらず続けている。すっかり習慣化していて、もはや続けているという意識もない。

1日のどこかで本を読む行為がないと気持ち悪いし、鞄の中に読みかけの本とこれから読む本を入れておかないと落ち着かない。汚い話だけれど、歯磨きしなくても眠れるが、本はたとえ数行でも目を通して眠りたい。

本であれば節操なくどんな本でも読む。小説も読むし、ビジネス書も、科学に関する本もなんでも読む。その時々で気になっているテーマやその周辺に関する本を読むこともあれば、本屋でふと気になったタイトルの本を読むことも。

もし許されるならば、ずっと本を読んで過ごしていたい、とすら思う。

「それだけ本を読んでどうするの?」「やっぱり会社経営に役立つの?」などと本を読むことの意味とか目的を問われることがあるのだけど、正直その質問はナンセンスだし、そんな問いを投げかけることそのものがもひとつ理解できない。

ページを繰る度に引き込まれる胸が高まる冒険譚に出会う。

本当に手触りが感じられるような、生き生きとした美しい文章に出会う。

自分が言葉にできなかった感情に、登場人物とともに涙を流しながら向き合う。

世の中の不思議を解き明かす新たな世界の見方が手に入る。

理由なんて挙げればキリがないけれど、理由を自分の稚拙な文章に変換するとどうも本を読むという体験を矮小化してしまいそうで嫌になる。

何かの役に立つかどうか、などというアホみたいな、因果律を前提にした読書、問題解決のための読書はしていない。(そういう場合に本を読むこともあるが、それはあくまで「仕事」に過ぎない)

肚で身体で読む。染み渡らせる。

食べたものが自分を形づくるように、読んだものが自分の身体をつくっている。本を読んだ結果が、本を読んでいる私が私なのだ。


読書会をすることにした。

おなじく本好きのせいこさんと。

告知にあたってこんなことを言われた。

「簡単なプロフィールください。社会的肩書き寄りなのじゃなくてこの読書会に来てくれる人に知ってほしいライフワーク的なやつ。」

いざ書こうとするととても困った。社会的肩書じゃないプロフィールがなかなか書けなかった。

ショックを受けた。自分を取り戻さなきゃ。本を読んでいる私が私、なのに。そのことを人に紹介する言葉がなかなか見つからなかった。

「読書会やりませんか。」「やりましょう。」
このやり取りのおかげで、本を読んできたおかげで、読書を好きな自分の声をあらためて聴くことができそうだ。

最後にてこずったプロフィールを記録のために記載しておく。

主催者②オハラ
大勢の人と居るのは得意じゃないけれど、人には興味あり。海は苦手だけれど、山は好き。
世界中の人々の暮らしを見て回りたい。ロジックじゃない野性的な世界の捉え方を模索中。
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