季節はずれの祖母との花見

サクラと紫陽花と

4niruddha
abt 4NIRUDDHA

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2014年6月8日、ちょうど数日前に東京も梅雨入りをした。そんな中、季節はずれになってしまうのだけれど、一人暮らしの祖母と毎年つづけている桜の写真で花見をした。祖母の足が悪いので、毎年このためにその年の桜の写真をたくさん撮り貯めているのだけど、今年は花見の時期に足を骨折してしまい、のびのびになっていた。

歩くことに多少の歪さが残っていたが、写真をして歩こうと、いつものように祖母の住む青砥の1つ手前の京成立石で降りると、踏切のカンカンと鳴り響く音に小さな頃に遊んだ記憶がたぐり寄せられていた。仲見世をぐるっと回って、祖父母の家があった辺りを眺めるように通ってから、祖母が大好きなお寿司をお土産に買って青砥へ向かった。思い思いにシャッターを切っていたが、梅雨らしい曇天が写真に湿った灰色のトーンを与えていたように思う。

祖母の家に着くと何やら工作をしていて、その手を止めて迎えてくれた。お土産に買ったお寿司を摘みながら、iPadに詰めた今年の桜の写真を取り出した。梅雨の時期だし、桜だけ眺めるのも寂しいので、急遽、前日に家の近所で紫陽花が咲いているところを巡って、紫陽花の写真も撮り足し、今年の明るく咲き誇る桜の写真と共に、雨露にぬれた瑞々しい紫陽花の写真も2人で眺めていた。祖母に見せる桜の写真はあの花見の季節の陽気さも伝えたくて、花見をする人々の様子も一緒に撮るようにしている。写真での花見だけではなく、昔に桜の木の下で花見をしていた頃の思い出もよみがえるように。

花見もひと段落して他愛のないおしゃべりをしていたら、妹の結婚の話になった。自分達の孫の代で結婚している人間が親類の中でも一人も居なかったので、本当に嬉しそうに話をする祖母の姿を見て、独り身で交際相手も居ない自分の不甲斐なさを感じつつ、こんな嬉しそうな顔にさせてあげたいなと思っていたら、僕のばつの悪い想いを感じ取ったのか「最近の人は結婚しなくても、色んな生き方があるからねぇ。」といつものフォローをしつつ、ケタケタ笑いながら話を変えてくれた。

「さっき、なに作っていたの?」と僕が尋ねたら、ごそごそと写真を取り出して、「思い出のアルバムを作ろうと思ってね。」と祖母が答えた。自分が死んだ時にどんな人生を送ってきたか残しておきたいということらしかった。少し物寂しい感情が胸の奥に芽生えた。

祖母はもうすぐ89歳で、妹が結婚するあたりで卒寿になる。写真を見ると、生まれた時から学生の頃、祖父と結婚した時の写真や旅行の写真など、切り貼りしてアルバムにしていた。初めて見る写真もたくさんあって、改めてこんな人生の写真を撮りたいと思った。

会話の合間あいまに祖母のポートレートを撮った。もっとポートレートに適した画角のレンズもあるのだけど、2人で居るこの時間、空気を壊してしまいそうな機材なので、いつものGRで28mmの画角で撮影した。今、この時間の空気を撮りたいと願っていたように思う。

話もひと段落して、祖母の家に来たら必ず行く鰻屋に食事へ出かけた。必ず行くといっても、近所で祖母の足で行ける店がそこしかないのだけど、美味しい鰻屋であることが救いだ。一昨年までは痩せてしまい、足下も覚束なかったが、食事の量も増え、足の筋肉も戻り、一昨年よりも足取りがしっかりしていて、聞けば2kgも体重が増えたようで、それを聞いて安心した。鰻屋ではうな重と肝串、焼き鳥に冷酒を頼んで、おちょこで小さく乾杯をした。

今年に入ってから、いろいろと辛いことばかり起きて、なかなか元気になれないのだけど、昔から祖母は自分の話をきちんと聞いてくれる。それだけで気持ちが楽になる。足さえ良ければもう少し早く来たかったな、などと思ったりした。

鰻屋からの帰り道、朝からの梅雨空に時折 霧雨が混じった。ほの暗くなっていく曇天の夕暮れ時と相まって、辺りが灰色に包まれていくようだった。そんな灰色に縁取られる紫陽花に目が留まった。

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