No warmths without pains.

骨折して、こうありたいと再び願った。

4niruddha
abt 4NIRUDDHA

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骨折してから見えたもの

いい年をして足を骨折をし、独り身であることもかなり手伝って、辛い想いをする日々が続いている。手術後からの経過は順調で、このまま行くと走ることはもう暫く先だとしても、日常が戻ってくるのもそう遠くはなさそう。そう思った時、骨折して初めて見えてきた辛さ、その今の辛さも次第に過去のものとなるのだろうなと感じた。辛い想いをしている人が居たら同じ目線に立てる優しさと、身近な人が辛い想いをしている時にはその人の支えになれるよう、自分の中でそうした想いを風化させないために自分のための記録として、これまでのことを残しておこうと思う。

骨折までの経緯と入院手術

2014年4月20日にランニングからの疲労骨折手前の状態から足を踏み外し、弱っていた第5中足骨基部を骨折した。いわゆる、jones骨折という難治性のアスリートがなり易い疲労骨折の一種。骨折箇所がズレていたため、ボルトを埋め込み矯正する手術を行うこととなった。4月23日に生まれて初めての入院と全身麻酔による手術で3日間の入院。入院日までに3日間の泊まりの準備、入院手術費の工面、死んでも文句を言わない手術同意書などの準備をした。初めての入院、手術とあって、本当に心細く、誰かに側に居てもらいたいと本気で思ったが、独り身で支えになってくれる人が居なかった点、また妹が結婚するという話があがっている中、兄が骨折で入院しますと報告するのも申し訳なかったので、家族にも特に知らせることなく諸々の準備を済ませた。

入院初日に他患者の手術が立て込んでいたため、20時頃から手術開始。全身麻酔による手術で本当に麻酔で意識を失う経験をし、麻酔から醒めてぼんやりフワフワした感覚から一転、手術箇所の激痛で苦しんだ。前日からの絶飲食で点滴で栄養と水分を取る。入院中は抗生物質と栄養の点滴を続けた。点滴を変えた直後は血管にひんやりとしたものが入ってくる感覚があり、お風呂にも入れない入院生活の中で、それが唯一の心地よい感覚だったかもしれない。

手術によりボルトが入った第5中足骨基部

風景も変わらず、動けずの入院生活は退屈そのもので、インターネットと読書のおかげで何とか過ごすことが出来たが、途中からiPhoneの通信量制限が発生し、読書に転じる。入院食は質素な給食のようなもので、懐かしさはあったが小学生の頃のような楽しみと言えるようなものではなく、焼肉やステーキなどが食べたくなった。

周囲からは入院中の出会いのようなものを期待されたが、同室の患者は全て男性、高齢の看護師、入院患者も高齢な方ばかりで期待に応えられそうな環境ではなかった。また、平日の入院とあって、お見舞いに来ていただくのも申し訳なく、入院した病院も誰にも伝えなかったが、窓からの変わらない景色と動けない不自由さで、後から自分の甘え下手さを呪い、これからはもっと甘え上手になりたいと思った。

退院してからの生活

GWのまっただ中、介護された入院生活からの解放は不自由さ、辛さをより感じることとなった。これは経験しないと分からないことばかりだったので、辛かったことをつらつらと書いておく。

  • 一言で言うと、松葉杖が辛い。
  • 骨折から入院まで、踵が付けるようになるまでの術後1週間は体重を松葉杖と両腕で支える形になるので、移動が本当に大変で、休み休みでもたいした距離を移動できない。GW中ではあったが入院分を取り戻すために、暫くタクシー通勤となり、金銭的にも堪えた。
  • 踵が付けるまでは部屋の片付けも出来ず、何かを拡げたら元に戻すのも大変でそのままにし、さらに部屋が散らかるという悪循環で、散らかった部屋が自分の自己肯定感を著しく低下させる装置となっていた。
  • お風呂がまともに入れない。静ちゃん並に風呂好きな自分には非常に辛かった。
  • 片足で出来ていたことが出来なくなった。ズボンやパンツ、靴下などは座ってでないと履けないので老人になったようで辛い。
  • 雨でも傘がさせない。松葉杖で雨に濡れるのは惨めな気分になる。
  • 色々な人に「大丈夫?」と聞かれる。実際は大丈夫ではないのだけど「大丈夫です!」と答えざるを得ない。なんだか嘘をついているようで正直者な自分には辛かった。甘え下手を自覚したのと、似たようなシチュエーションの時にどう声をかけるのが良いか考える切っ掛けになった。
  • 階段が1段ずつでしか昇降できない。昇りについては、踵がつけるようになってからは普通に昇れたが、降りについては辛い。エレベータも階段に手すりも無い低層マンションの4階に住んでいるのが仇となった。
  • 電車で通勤するようになったら、日本の通勤事情の容赦のなさを身を以て知った。骨折箇所に不意に足が当たった時の悶絶は想像を絶するレベルで辛かった。
  • 駅のエレベータでは、健常者の方がエレベータに向かう自分を悠然と抜き去り、上に行ってしまうので、必死で追いつくのが辛かった。あと、バリアフリーな建物のありがたみ。
  • 側に居る人がスタスタと先に歩いて行ってしまうのを松葉杖でノロノロと移動しながら眺めるのが、何故だか惨めな気分となり辛かった。昔から祖母と歩くことが多かったので、一緒に歩く人の歩速に合わせることを意識しているが、これは続けようと思った。
  • 松葉杖だと両腕が使えないため、買い物がほぼ不可能となった。一度、スーパーで弁当を買って、松葉杖の手に袋を挟んで持って帰宅を試みたが、予想通り弁当の中身がひっくり返っていた。それ以来、しばらく夕飯は外食か、おにぎりのようなポケットに入って崩れないもの。
  • 片足で洗い物をしていて、バランスを崩してワイングラスを割ってしまった。後片付けの大変さと惨めさを感じて辛かった。
  • 天気の良い日に動けない。写真を撮りに行けないのが辛かった。
  • いままで平気だった独りでご飯を食べることが辛くなった。
  • ばあちゃんと毎年やっているiPad花見が出来なくて辛かった。
  • 孤食の外食で松葉杖で入店を拒否されたことがあった。これは自分の存在そのものを否定されるかのような衝撃を受け、本当に堪えた。誰かと一緒だったら違ったのだろう。本当に辛かった。

総じて、育った環境だと思うが、やはり自分は甘えるのが下手なんだと思う。あと、不自由な身体になったことで、惨めな想いをしてしまうことが増えたように感じる。これは単に健常者向けに世の中が作られているということに過ぎないのだけど、もともと自尊心や自己肯定感がそれほど高くない人が陥ると、自分が否定されているかのように感じて、本当に辛いと思う。そういうこともあって、Albert Ellis や Martin Seligman などの心理学系の書籍を読み直していた。あと、独り身は本当に辛いことになる。

骨折が治ったら

骨折してからというもの、惨めさを感じる瞬間が増えて、同じ目線に立ってくれる人がそばに居たらどれだけ心強いか、どれだけ自分のことを大切に感じることができるだろうかと、本当に身にしみて痛感した。身体が不自由になった人だけでなく、何か辛い想いをしている人がそばに居たら、持ちうる最大限の想像力と今回の経験を活かして、以前にこうありたいと願って撮った光景のように、同じ目線に立つように心がけて、支えになりたいと思った。

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4niruddha
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