インタビューという名のお喋り

Shelly
afterwecameback
Published in
May 25, 2023

この文章では、私の卒業プロジェクトで扱っている方法論・手法、特にインタビューに関して、感じたり考えたり悩んだりしたことについて書いていく。

スイスでパートナーを見つけた女性たちに、「パートナーシップ」についてインタビューする時に私が初めに伝えるのは、「理想のパートナーのありについて考えています。スイスで暮らす中で感じたり経験した、パートナーのあり方に関するスイスと日本の間の相違/共通点などを教えてください」ということのみである。予め決めておくインタビュー項目はなく、格好よく言うならば「非構造化インタビュー」だが、インタビューイも私もお喋りしている感覚である。

理由の1つは、このインタビューが、具体的な何かしらの問題意識から始まって問題構造を明らかにするためのものではなく、「パートナーにおける理想の関係について考えたい」という大きな括りの興味関心から始まっているためである。問題の仮説を検証したいのではなく、彼女たちが考えるパートナーシップのあり方と、それを構成する要素全てを聞きたい。だから、私の考え方のフレームが反映される質問を予め用意するのではなく、その場でインタビューイから出てきた話に合わせて、話の流れを考えながら質問していく。そうして出てきた、パートナー、子供、友人、離婚や教育に関わる社会の制度、他人の反応など、様々な要素とそれらの関係を表すエピソードをインタビュー後に整理して振り返ることで、深堀ぼりしていきたい部分も見つかり、それを次のインタビューで聞いてく。

一方、以上のように話を進められるのも、こちらから細かい質問を出さなくても、インタビューイたちが「パートナーシップ」に関する話を自らたくさん喋ってくれるというのもある。このことは、彼女たちが普段から考えたり誰かと話しているトピックであることを示していると思う。自分の生まれた国とは違う場所であり、良くも悪くも日本とは違う環境の中でパートナーシップや家族の関係を築いていく上で、ギャップに悩んだり嬉しく思ったりしながら、日々関係のあり方について見つめ直すことは想像に難くない。友達や知人のエピソードがよく出てくることからも、誰か、特に日本からスイスにきてパートナーを見つけたという、自分たちと同じ境遇である人と会話することが多いトピックの一つなのかもしれない。実際、私がインタビューを打診してみた際に、「ちょうどそのことについて考えていたところでした。どうして日本の女性は『私、結婚できるのでしょううか?』ときくのだろうと」という言葉が返ってきたこともあった。まさに、インタビューという名のもとに「お喋り」しているようなことを、普段の生活でしているのであろう。

自ら積極的にまた協力的に話をしてくれるインタビューイたちだが、私としては彼女たち自身のエピソードを聞くのにかなり気を使ったりはする。やはり自身が関わるパートナーとの関係は、センシティブだし、答えづらいのではないかと私は身構えてしまう。そこで、他の人や社会一般に関する質問の流れで「お聞きできる範囲で…」と彼女たち自身の話を聞き始め、深ぼっても大丈夫か否かを察するレーダーをフル稼働させる。「ぜんぜん大丈夫よー」と自分とパートナーとの間に起きた過去の出来事を話す方がいる一方で、「隠すことはないから」と笑いながらも、やはり自分の話は少しだけ触れるくらいで、他の人の話や社会を主語にした話がメインになる方もいる。ただ、このやり方で良いのだなと私が思えるのは、共通してみな「話をするのは楽しい」と言ってもらえるからだ。インタビュー後「こんなことをを思い出したわ」と長いテキストを送ってくれたり、「(著者が問いかける疑問に対して)私も気になるから次回までに周りの人にも聞いてみるわ」などとも言ってくれる。私も、情報をなんとかして引き出そうとかしこまってしまうインタビューよりも、インタビューイ/インタビュアーの垣根を超えて一緒に考えを巡らせながら「お喋り」する時間がとても楽しく感じる。こうやって楽しいと思えるプロセスで、何かしらの探究ができる道があるならば、やっぱりそれが良い。

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