文章をまとめる日

ere nakada
afterwecameback
Published in
Jun 26, 2023

ベランダから室内の方へ振り返り、ここは10年のあいだ私の部屋だったのか、と粗大ゴミとして回収されるのを動かずにじっと待つベッドをながめる。実家を出てから1年とちょっとしか経っていないことに気がつきおどろいた。生活の臭いはあっという間に消えてなくなってしまうみたいだ。棚の奥に隠されたいつの日かのタバコを吸ってみたが、舌がキュッと縮むような苦さですぐ火を消してしまった。自分自身の重さを支えることもままならずにゆらゆらと胴体を揺らす老犬が、部屋のドアからこちらを見つめている。私のことに気づいているのかはわからない。犬の名前を呼んでみたがそこには静寂があるのみで、動きもなければ音もしない。ベランダに侵食している木の枝の近くで何かが動くような気配がした。木々のあいだから見える新しくできた富裕層向けの老人ホームにまだ入居者はいないみたいだ。

私の部屋、もしくは私が使っていた部屋に戻ってパソコンを開き、協力者と話をした日に書いたメモを読み返しながら文章の軸となるアイデアを考える。今回のインタビューでは会話を録音をしていない。複製できるかたちで記録を残すことは「証言」のニュアンスを与えてしまう恐れがあり、わざわざ言うほどのことでもないかもしれないけど…からはじまるような会話のしかたに合わないと思った。私が話を聞いている協力者は、まだ完全に映画でご飯を食べているひとたちではない(そもそも映画だけでご飯を食べれる人の数の少なさも問題としてあるが)。友人や知人に聞いた話に不安を覚え、仕事に対する集中が削がれてしまう、思うように実力が発揮できない、というような話があった。いつか被害を受けてしまうかもしれないという可能性を常に身近に感じることは、想像以上に体力をうばう。

このあいだ私は新宿駅で行われていたデモに参加し、バッグのストラップを握りしめながらなぜこのような社会なのかと憤っていた。SNSでデモが過剰な行為と揶揄されてきたことを思い出す。社会的に弱い立場にいる人がひとり残らずものすごく大きな暴力をふるわれない限り、不当は存在しないとされてしまうのかと思うと足元がゆるんで体が落ちそうだ。私たちは自分がここにいてもいいということを自分たちに言い聞かせ続けなければすぐに忘れてしまう。口をとざし、からだを縮めて、何もなかったことにしてしまう。だからこそ、どんなことでも心置きなく話題にできるような環境をつくっていくことが必要だ。このデモではあるゾーンにいる参加者の顔を撮影してはいけないというルールを運営側が提示していた。この瞬間にあることがこの瞬間にしか存在しないということは、何かをしたり、話したりすることの後ろ盾になるときがある。インタビューで録音しない、ということがどれだけ会話の内容に影響するのかはわからないが、そこから安心は生まれていると信じたい。

一部の人に力をもたらし、一部の人を危険にさらす法案が議会で可決された。楽しくもないものを吸収する余裕はなかったが、それでもいくつかの記事に目を通し、頭を休めるためにまぶたを閉じる。それから新しいタブを開き、「自然 温泉」と検索する。口座残高が5000円程度の私には到底見合わない、部屋の窓から森や湖が見えるいくつかの旅館に目星をつけた。いつかゆったりと安心して生活できるのではないかと期待してしまうことにしゅんとして肩をすくめる。いろんな理由から最近は外出を控えるようになった。ここ数週間は特に、知らない誰かにおそわれる気がして、外にいるときはなるべく厳しい表情をみせながら歩くようにしている。髪をながくのばしたら、今よりもすこしは怖がらずに歩けるのだろうか。もともとは対象にならないために短くすることに決めたことを思い出して笑ってしまう。

部屋のドアのところではまだ老犬がゆらゆら揺れながらこちらを見つめている。何かの不調を知らせているのだろうか、悪くした腎臓が痛むのだろうか。おどろかさないように距離をとりながら、いま何を思い、考えているのかに注意をはらう。それがやり方なのだと思う。

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