遊歩するラナ・デル・レイ

ere nakada
afterwecameback
Published in
May 25, 2023

雨にぬれた石だたみが暗い夜の光をもの憂げに反射するなか、ピアノの音が41秒間すらすらと歩みつづける。そしてそこに現れる「私はパリに行った」という歌声。映画の中で幾度となく美しいものとして描かれ続けてきたその都市のなかで、グレース・ケリーやキム・ノヴァクといった50年代のハリウッド女優が悠々しく歩いている情景が浮かびあがろうとする瞬間、耳元で“Texas”とささやき笑う声が聞こえる。これは、ラナ・デル・レイの“Did You Know That There’s a Tunnel Under Ocean Blvd”というアルバムの10番目にあたる曲である。彼女の楽曲にどうしても惹かれるのは、ただひとつの方向に物事を運んでいくのではなく、ぶらぶらと寄り道をしながら形象しえないものの輪郭に思いを馳せているように聞こえるからだ。近ごろ私は次に撮りたい脚本のプロットを完成させるために解決するべき課題と向き合う時間が多い。しかしそこで気づくのは、あるひとつの重要な問いを紐とくためにその問いについてのみ考えることは、かえって何も考えていない状態に等しいということだ。

ちょうど1ヶ月ほど前に、はじめての「インタビュー」をした。待ち合わせしていたカフェが改装中で営業していなかったため、急遽近くのスターバックスへ。オーダーしたコーヒーを待ちながら、最近どうですか?と探りぎみに会話をはじめる。それからメッセージで送ったような卒業プロジェクトの内容をもう一度相手に伝え、映画製作にたずさわる上で居づらいと思った経験や違和感を覚えたことなどについて聞いてみる。私が聞き、相手が答える。私が聞き、相手が答える。一定のリズムを繰り返しているうちに、店内がかなり混み合ってきた。4月の晴れた土曜日、渋谷のスターバックスでは人並みを高く飛び越えたところで、声が忙しなくうごめいている。会話をする人々のあいだに挟まれた私たち。自分たちが話す内容の匿名性を保てなくなることが気がかりになり、代々木公園で行われている東京レインボーパレードまで歩いて行ってみることにした。

渋谷からラフォーレ方面まで歩き、坂を上がって原宿側の代々木公園入り口へ。自分たちの場所をひとつの席にとどめずに移動させることで、私たちのあいだで浮上するトピックも卒業プロジェクトから自由に離れられるようになった。「そういえばさっき言っていたことだけど」「これもしかしたらもう言ったかもしれないけど」。遊歩するラナ・デル・レイのように、行ったり戻ったり、時にリズムが乱れたりしながら、ゆるやかだけれど連続した会話を少しずつ進めていく。

今までに別の関係を築いていたとしても、卒業プロジェクトのインタビューという名目のもとに集まると、それが調査する・されるの関係性へと意識せずとも変化する。自分のもつテーマについて相手が話しやすくなるように私が質問を投げかけ、相手は私のテーマに沿った内容を伝えられるように返答する。私は調査者の席に座り、相手は協力者の席に座る。しかし、街でゆらゆらと人波のなかを歩いているあいだでなら、私たち2人はともに歩行者になることができるのかもしれない。ある建物を見て何かを思い出したり、過ぎていく人たちの身にまとうものについていいねと言ったりしながら、相手の話を聞いて、自分の話をして、それがたまに「映画業界での息苦しさ」について考えや思いをめぐらせることにも繋がっていく。歩行するという日常的な行為のなかでなら、「インタビュー」とされたときに議題に上がるような内容でなくとも、伝え、話し合うことが許されるような環境がうまれていたのかもしれない。あることについて考え、話したいときは、なるべくひとつの問いや態度に執着しないほうがいいのではないだろうか。この卒業プロジェクトで私は、ラナ・デル・レイのスタイルを思い出しながら街のなかを遊歩していきたい。

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