走れ!新聞部!10悪魔のささやき

これは夢だろうか。環は思った。今目の前でにこやかに笑っているこの人は、「新聞部を廃部にする」と言っていた張本人だよね。
アザケリアン林に呼び出されたと思ったら、この人の元に連れてこられてしまった。全身黒ずくめ。もう5月も終わる。暑くないのかなこの人。衣替えというのは6月1日と決まっているということだから、まだ冬服でもいいのだろうけれど。
「高田環さんをお連れしました。」
アザケリアンから敬語いただきました。
「ご苦労。環さん、わざわざ呼び出してごめんなさい。」
なんだろう。なんでこんなに機嫌がいいんだろう。

「どういう御用ですか?」
「新聞部さんの陸上部体験リポート、壁新聞で読んだけれど、感動しました。」
委員長、「感動しました」というところで胸の前で手を組んで感激のポーズをとっている。わざとらしい動作、に見えなくもないけれど、でも、目は本当に感動している、よね。
「ありがとうございます。」
「あなたと仲のいい、相川さん?すごいわよねえ、素人同然だったのに、トレーニングを積んで、ひょっとしたら、今度の大会、出場するかも、なんですって?」
「はい。」
出場するかも、じゃなくて、出場が決まった。昨日お姉から聞いた。びっくりするくらいの進歩だって。でもなんだろう、藍ちゃんが褒められているのに、素直に喜べない。
そんな私をこの人じっと見ている。何、この目線。ちょっと落ち着かない。
「でも、惜しいわ。」
ポツリと言った。心底残念そうに。
「え?」
「彗星のように現れた相川藍さん。それはそれでいいんだけれど、本当はもっとインパクトのあるニュースにできたはずなのにね。」
インパクトのあるニュース?
「どういうことですか。」
この人、私のことを真正面からじっと見つめながら言う。
「率直に言いましょう。高田環さん、あなたをニュースにすればもっと盛り上がったのにね。」
「私、ですか。」
私がニュースに?この人何を言い出すの?
「高田千明の妹にして、小学生時代、姉に勝るとも劣らない記録の持ち主。そんなサラブレッドのあなたが、なぜ新聞部員に?」
私の脳裏に競技場の歓声が蘇ってくる。だけど。
「小学校と中学じゃレベルが違いますから。」
そう、お姉と比べられるのは。
「本当にそう思っている?」
藍ちゃんは、お姉に認められて。私は。
「本当です。もういいですか。」
頭の中に浮かんできたものを振り切るようにして、環は言葉を絞り出した。委員長に背を向ける。その背にかけられた言葉が環を凍りつかせる。
「このままだと、あなたの相方の相川さん、お姉さんの千明さんに取られてしまうわね。」
トラレテシマウワネ。藍ちゃんが、お姉に。
委員長がゆっくりと私の前に回り込んでくる。
「相川さんは、陸上の楽しさに目覚め始めている。今度の大会に出場したら、彼女、もう新聞部には戻ってこないでしょうね。」
モドッテコナイ。藍ちゃんがいるから、私は居場所を見つけることができた。トラレテシマウ。藍ちゃんをお姉に。
「そんなことは……。」
「ないと言い切れるかしら?」
「それは……。」
「しかも、本来は千明さんの横には、あなたがいるはずだった。」
「私は!」
ワタシハオネエノトナリニイタカッタ。
「皮肉よねえ、尊敬する姉と親友が、あなたから離れていく。」
「お姉も藍ちゃんもそんな人じゃありません。」
「そう、そうならいいんだけれど。」
この人、また私を見つめている。私のこころがこの人に漏れている。
「一番わかっているのはあなただものね。」
モドッテコナイ。トラレテシマウ。オネエノトナリニイタカッタ。モドッテコナイ。トラレテシマウ。オネエノトナリニイタカッタ。
「ごめんなさい、余計なことを言って。」
環は、自分の心をはっきりと自覚してしまった。
「失礼します!」
打ちのめされた。私は、藍ちゃんに嫉妬している。私は藍ちゃんが憎らしい。私は、お姉が憎らしい。二人が一緒に私を置いてきぼりにしていく。
「二人の大会での活躍、祈ってるわね?」
「……。」
私は、二人の活躍を祈れない。ワタシハフタリノカツヤクヲミタクナイ。
フラフラと環は委員長のそばを離れた。ハルマユがそんな環を無言で見送っている。
環が去った後、春香がおずおずと奈央に問いかけた。
「いいんですか。」
「あの子の心の中に妬みの炎がくすぶっていた。私はそれをかきたてただけ。あとは、あの子が勝手にやるでしょう。」
委員長は何も指図をしていない。協力も要請していない。これで何か起こっても、報道委員会には降りかかってこない。思わず身を寄せ合うハルマユである。
「悪魔だ。」
「こわ〜。」
「行くわよ。」
「はい!」
連合体育大会前日の昼休みのことだった。

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筑田 周一
雨は止まない -雨の国の物語-

都内で国語を教えてます。『学び合い』に基づく授業を模索中。ライティング・ワークショップにもはまってます。/『学び合い』/ライティング・ワークショップ/リーディング・ワークショップ/ファシリテーション/コーチング/アクションラーニング/マンダラート/ディベート/高校演劇/怒ってます/脱原発に一票