APAF Exhibition上演に寄せられた質問に回答します!

10月に上演したAPAF Exhibition『フレ フレ Ostrich!! Hayupang Die-Bow-Ken!』では、上演後にその場で観客からの質問や感想などのフィードバックを受けることで、翌日以降の上演のブラッシュアップに繋げていきました。フィードバックセッションは、アーティストの成長の機会だけでなく、観客同士のシェアリングの機会でもあり、作品と観客の新たな関係作りのトライアルでもあります。

「創作の苦労は?」「タイトルの意味は?」「オンラインの観客と劇場の観客について」「今後の展開は?」など、時間が足りずに答えられなかった質問のいくつかに、作品を創作したディレクションチームの3名(ジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダ、Aokid、額田大志​)と、多田淳之介APAFディレクターがお答えします。

リアルタイムアンケートサービス“Slido(スライド)”を使用し、その場で投稿された質問(記名は任意)をスクリーンに投影。オンライン視聴の観客も含め、複数の国から英語や日本語やタガログ語での質問が届き、その場でディレクションチームらが答えました。

作品について

Q1:題名『フレ フレ Ostrich!! Hayupang Die-Bow-Ken!』はどういう意味ですか?また、何語ですか?

[回答者:Aokid]

ディレクションチーム3名それぞれのバックグラウンドにある言語(タガログ語、日本語、英語)を混ぜることで、別のカルチャーに出会う入り口としての機能をタイトルに持たせたいと考えました。
“フレフレ!”はフィリピンで実際に起きた「街中に逃走したダチョウ」を応援する言葉であり、「flee」(逃れる)や「free」(自由)といった英語にもかけています。
“Hayupang”は日本語に直訳すると”動物”ですが、タガログ語ではもっとさまざまなニュアンスを含んでいるようです。タガログ語のままにすることにより、タガログ語で書かれた原作のニュアンスを伝えています。
“Die-Bow-Ken”(ダイ-ボウ-ケン)は、ダチョウの逃走とジェームズが書いた原作の2つともが、ある種の「冒険」でもあること。また、”大冒険”というマンガ的な響きを持たせることで、フィリピン原作のジャパニーズ漫画のような作品にしようという意図もありました。漢字ではなくアルファベットにしたのは、音が伝わるようにするため。さらに言葉を解体し、Dieは「死」、Bowは「弓」、Kenは「知」という意味を持たせました。通訳チームとともに、題名を制作、調整しました。

Q2:劇中の”ヤギ”は、日本だとなににあたりますか?

[回答者:Aokid]

僕たち一般市民だと思います。あるいは、視点をもう少し変えれば、日本に暮らしているマイノリティーの人々なのかもしれません。しかし基本的には自分のような一般の人を指していると思います。この作品を観ながら「自分はヤギのように搾取される状況に置かれている」と感じた人がいるかもしれません。または、今作の鑑賞によって少し想像を巡らせた後で「自分はヤギと同じかもしれない」とあらためて気づく人もいると思います。僕自身は後者かのように思います。僕は劇中のヤギのように、これまで知らないうちに搾取されていたのかもしれません。しかしそう気づいた時に大事なのは、この状況を憐れむのではなく、「自分はどうすればいいのか」「何かを変えることはできないか」など、前向きに考え、動き始めることだと思いたいです。

Q3:物語の後半、オンライン参加の観客に選択肢から選んでもらう形をとっていましたが、それぞれの選択肢によって結末が違ったのでしょうか?

[回答者:額田大志]

どの選択肢になっても、結末は同じでした。これは、フィリピンで起きているロドリゴ・ドゥテルテ大統領による虐殺を、東京の劇場の観客は傍観することしかできない、という無力感を味わってもらう意図があります。

創作過程について

Q4:物語はどのように創作したのでしょうか?オンラインでの共同創作は素晴らしかったですね。

[回答者:ジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダ]

原案となった物語を書いたのは2年ほど前、フィリピン政府による血まみれの麻薬戦争が起こった頃でした。これは麻薬との闘いで無残にも奪われた命への個人的な祈りであり、私にとって大切な物語だったのです。

私はこの物語にもう一度立ち返り、Aokidさんと額田さんにに共有しました。二人に意見を聞いたところ、人間そのものを映し出す普遍性を感じ取ってくれました。私たちがこの物語を作品のベースとしたのは、いま目の前にある悪夢と向き合えば、アジアと世界の未来についてのより良い夢を見られるのではないかという希望からです。

Q5:音楽がとても楽しかったです。音楽の創作過程について少しお話いただけますか?

[回答者:額田大志]

ほとんどの音楽は、稽古場(Zoomによるオンライン上での稽古)で、私、あるいはパフォーマーのロビ・ルスディアナが演奏することで生まれました。

それぞれのシーンで表現するべき目的を共有したのち、パフォーマンスに対して音楽をつける、あるいは音楽によってパフォーマンスが構築されるというのが主な流れです。またAokidとボーカリストのバニー・カダッグも具体的なアプローチを頻繁に提案してくれました。

複数の音楽家が稽古の初期段階から関わり、音楽についての議論も多く設けられたことが、本作の上演に結実していると感じます。

また本番では私やロビが、予定していなかった音楽を、即興的に仕掛けていく場面もありました。

Q6:額田さんによる音楽はかなり日本的なところがあったと思いますが、日本以外の観客はどう感じたのでしょうか?

[回答者:ジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダ]

音楽は世界共通の言語だと思っています。額田さんの音楽を日本的だと捉えることはできますが、私は彼の音楽をはじめて聞いた時からとても気に入りました。そして、この作品のための作曲とアレンジも気に入っています。私と額田さんの音楽の好みは意外にとても似ていたので、制作中も楽曲についての意見の対立はめったにありませんでした。

作品をオンライン視聴したフィリピン人の観客に音楽の感想を尋ねたところ、感情に訴えるものだったと言っていました。他のシーンでも泣きそうになったそうですが、特にダチョウが東京芸術劇場に向かうときの曲の展開に感動し、涙ぐんでしまったそうです。

Q7:この作品をまとめる上で一番苦労したことは何ですか?

[回答者:Aokid]

チーム全員に情報が渡りきっていないとも言える中で劇場入りをした感じがありました。
劇場入り後に優先しておこなったのは、観客そして僕たち発表チーム側(!?)にも共通してわかるように、作品の骨格や流れを作ることでした。もし劇場上演のみであればスムーズに一本の骨格を通せるはずが、オンラインと劇場とを繋いでみてやっとイメージを持つことができ、作品の骨格を作ることができました。
さらに上演2日目、3日目と重ねることで、より物語を突き詰め、やっとダンスパートの動機付けなども深められました。
しかし、クリエーションにおける当初の方針は、いかに「なるべく”まとめずに”バラバラなアイデアを持ちよるか」、でした。また、実際の劇場に入ってからスピード感を持って作品をまとめようとしたのですが、十分な時間を持つことができていたのか、劇場だけでなくオンライン配信の要素も含めたまとめができたのかは、自分たちでもわかりません。すべてに100%というのが難しい中での全力作業でした。

Q8:今回のプロセスを一言で表すなら?

[回答者:Aokid]

文化祭的青春

オンラインとオフラインについて

Q9:オンラインの観客・劇場の観客とで、選べること・参加できることがそれぞれの特性によって設けられていて、媒体が違う参加者が集まる場とはいえ、平等性を感じました。そのことについてはディスカッションはされたのでしょうか?

[回答者:額田大志]

オンラインと劇場では、根本的な体験の質が異なるため、それぞれの鑑賞環境に応じた演出プランを度々議論しました。同じ戯曲を異なる演出プランで上演するようなイメージです。

結果的には、参加型のオンライン、傍観型の劇場と、明確に差別化することになりました。

また担当を分けたわけではないですが、特に最後の1週間ほどは、オンラインの上演についてはディレクターのジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダが、劇場の上演については私とAokidがイニシアチブをとり、それぞれのクオリティを高めていく時間となりました。

Q10:劇場で見るのとオンラインで見るのとでは観客の鑑賞状況が全く違う、という前提をおいた作品だったように思います。特にオンラインの鑑賞者に配慮したことはありますか?

[回答者:額田大志]

オンラインの観客は参加型となるため、参加が強制されたり苦痛に感じることなく、むしろ豊かな体験になるようなファシリテーションを心掛けました。たとえば、参加することで物語が動き出す面白さを実感できるか、参加することが作品に必要不可欠であると物語を通して実感できるか、発声や身体を動かすことが単純に楽しいと思えるか、ということに配慮しました。そのためには、あくまでも楽しんでもらうことを前提に、オンラインの観客が「(参加者として)今なにをやるか」をしっかりと伝え、一方で、作業的にならないようなファシリテーションの言葉を、チーム全員で考えました。
正直、ギリギリまで心配でした。けれど、オンラインで自宅などから参加すると、劇場にいるときよりも周囲の目が気にならないことや、世界中の人々が同じようにオンラインで参加することによる高揚感や、Zoomで参加するという特別感も感じられ、結果的にはうまくいったのかなと思いました。

また、オンラインテクニカルディレクターのイトウユウヤさんの主導により、どのような画面をオンラインの観客に届けるかについても、ギリギリまで調整を行いました。劇場に比べてオンラインでは視点が固定されるため、「どの順番で情報をみせていくか?」という慣れない作業でした。

Q11:バーチャルで行われるイベントがより盛んになってきています。観客がオンラインとオフラインで参加の仕方が交わったり、分かれたりすることについてどう思いますか?

[回答者:ジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダ]

コロナ禍での、物理的に隔たり孤立する状況の中で、私たちは集まる方法や体験共有の仕方を新たに発見しているところです。つまりテクノロジーを通して、国境も時間も空間も、乗り越えていけるのです。

リアルとバーチャルが融合したパフォーマンス形式そのものや、それによって可能になった新しい観客のあり方を、このコロナ禍の後も続けるにはどうすれば良いか。そもそもこのような形式が今後も必要とされるのかを考え続けています。私はパフォーマンスと、リアルタイムで配信されるデジタルな身体の関係性をさらに検証し、調査し、発展させていくつもりです。もしかすると、こうした実践は、今後出てくるであろうリアルとバーチャルが融合したパフォーマンスのリハーサルにすぎないのかもしれません。あるいは近い将来、私たちはホログラム(立体映像)のような別の方法によるリモートでのパフォーマンス形式によって、時間と空間を思うままにし、観客の体験を形作っていくのかもしれません。

今後の展開について

Q12:劇中で”卵”のメタファーが示していたように、本当の意味で生きた作品でした。今作の今後の展開は?また、APAF Exhibitionのようなさまざまな境界を超えたコラボレーションを、今後も頻繁にかつ継続的に行い、長い関係を構築していくためのアイデアはありますか?

[回答者:APAFディレクター 多田淳之介]

APAFでは過去の参加者とも継続的なネットワークを形成しながら、それぞれのステップアップや挑戦をサポートしていきたいと考えています。
APAF Exhibitionのディレクターの一人であるジェームズ氏とAPAF Labのファシリテーターの一人であるアルシタ氏も、昨年はAPAF Labの参加者でした。過去にExhibitionで生まれた作品も形を変えながら続いているものもありますし、APAFで出会ったメンバーでの新しいコラボレーションが生まれてもいます。一つの作品を継続してサポートすることはAPAFとしては難しいですが、生まれた作品の接続先については、東京芸術祭や海外のプラットフォームとの連携を模索しています。
APAF Exhibition はボーダレスなクリエーションによる作り手たちの成長を目指すプログラムです。この作品で彼らが得た経験から今後何が生まれるかに期待しています。日本の舞台芸術はまだまだ人材育成や国際交流に関して後進国なので、まずはこういった試みの存在を知ってもらい、支持する人を増やすことが続くことになるのだと思います。

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Asian Performing Arts Farm (APAF:エーパフ) 2020
APAF_tokyo

東京芸術祭における舞台芸術の育成プログラムです。OpenFarmでは【会期:10/20~25】に向けプロセスを公開していきます/APAF is a Tokyo Festival program supporting the development of young artists. https://apaf.tokyo